15『集中治療室』

まどか 乃木坂学院高校演劇部物語・15   

『集中治療室』




 お気楽そうに手を振るのがやっとだった。


 バックミラーに、いつまでも不安そうに見送るまどかの姿が見える。

 フェリペの通用門をくぐるまでの、ほんの数十秒なんだけど、やたらに長く感じられる。


 体が、グイっと左に傾き、四トンの巨体は通りに出た。

「いつもの、かけます?」

 馴染みの運ちゃんが気を利かしてくれ、返事も待たずにオハコのポップスをかけてくれた。運ちゃんと二人のデュオになった。

「この曲って、Mアニメのテーマミュージックなんですよね。家で唄ってたらカミサンに言われました」

「そう、わたしも。そのアニメからこのミュージシャンにハマちゃったのよ」

「へえ、そうなんだ」

 運ちゃんは、わたしがダッシュボードに片足乗っける前に、缶コーヒーをとった。運ちゃんは飲み残しの缶コーヒーを飲み干すと、昨日のお天気を挨拶代わりに確認するような気楽さで聞いてきた。

「なんか、あったんすか?」

「どうして?」

「なんとなくね……」

 ルームミラーにウィンクした運ちゃんの顔が見えた。

「オトコがらみ……かな。先生ベッピンさんだから」

「ドキ……!」

 大げさに胸に手を当てとぼけておく。大方のとこ外れてはいるが、二割方はあたっている……。

「すんません、ここからは進入禁止だ……」

 話のことかと思ったら、グイっとハンドルがきられた。

――進入禁止――この先、工事中の看板が、助手席に流れる景色の中に一瞬見えた。

 それから、運ちゃんは黙って運転に専念した。予定にない道を走っているせいか、わたしに気を遣ってのことか、判断がつきかねた。おのずと、わたしは物思いにふけった……。



 病院に行くと、受付でその場所を告げられた……集中治療室。


 最初に怖い顔をした教頭の顔が飛び込んできた。その向こうに、潤香のご両親。

 気の弱いバーコードは、ご両親に顔が向けられず、ずっとドアを見ていたんだろう。

「先生、お忙しいところすみません」

 潤香のお母さんが頭を下げた。

「いえ、それより……」

 わたしの言葉で上げたお母さんの顔は戸惑っていた。

「実は……」

 母親の言葉が続くと、潤香のお父さんが割って入ってきた。

「先生、あんた、なんでこのこと言ってくれなかったんだ!?」

「は……?」

 出されたお父さんの手には、潤香の携帯が乗っていた。

「大変なことですよ、これは!」

 携帯の文面を読む前に、バーコードがつっこんできた。

「すみません」

 言葉だけでシカトして、携帯の画面に目をやった。ヤマちゃんの気をつかったメールの一つ前のメールが目に入ってきた。

――今日は、ほんとうにすみませんでした。不注意からとはいえ、申し訳ありませんでした。タンコブ大丈夫ですか? 明日の舞台楽しみにしてますね。K高 工藤美弥

「送信履歴、と写メも見てやってください」

 ボタンを押してみた。

――石頭だから大丈夫。K高の芝居はソデで観てました。がんばってましたね♪ 明日はよろしく。 芹沢潤香

 そして、写メを見ると、K高のポニーテールと潤香のツーショット。そして、背後に少し離れて怖い顔をしたわたしが写っていた。

「先生、あんたこの事故を見てたんでしょ?」

「はい。こんな大事になると思わずに……申し訳ありませんでした」

「かわいそうに、潤香は……」


 お父さんが向けた顔の先には、集中治療室のガラスの向こうに潤香が横たわっていた。


 長い髪を剃られた頭には包帯が巻かれ、ネットが被せられ、体のあちこちにはチューブが繋がれていた。

「こないだ、頭を打ったばかりなんだ、気のつけようがあるでしょうが。こんな危険な裏方やらせずとも!」

「申し訳ありませんでした。不注意でした。本当に申し訳ありませんでした」

「これ、持っていてやってくださいな」

 渡されたのは、一束の潤香の髪の毛だった。

「……これが遺髪になるようなことになったら、訴えてやるからな!」

「あなた……!」


 お母さんがいさめると、お父さんは充血した目に涙を溢れさせて去っていった。バーコードは最敬礼で見送った。


「すみません、先生。主人はあんな気性なもんですから……そんなものを渡したりして」

「いえ、わたしが不注意であったことは確かなんですから。戒めとして……潤香さんの回復を祈るためにも持っています」

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