第3話 モンスターとの遭遇

 3時間ほど歩いただろうか。私はモンスターに遭遇した。これはモンスターのような動物や破滅的状況という比喩ではない。そのモンスターは2メートルほどの体躯をした猪のようだった。しかし私が猪ではないと判断できたのは、その猪が30センチほどの見事な一本角を蓄え、大きな一つ目でこちらを見ていたからである。

 このモンスターは「ゴギ」と呼ばれる。今だからこそこのモンスターを補足説明するが、ゴギは一つ目で一本角という特徴の他、頑丈で赤茶の毛皮と極めて鋭利な尻尾を携えている。尻尾は後方の敵を刺突するため1メートルほどの長さをほこり、いつもは地面に垂れているものの、自由に動かすための適度の筋力が備わっている。また目を保護するためのラクダのような大きな瞼が不気味さを助長し、一つしかない視覚を補うであろう鼻は豚と同様に二つの穴をむき出しにした構造をしている。その鼻はアリクイとまではいかにまでも10センチほど突起しており、そうしたフォルムの動物をそのころの私は動物園や図鑑などで見たことなどなかった。だからこそ2メートルほどの体躯と禍々しい形相をしたモンスターに、私は本能的に襲われると感じた。

案の上、そのモンスターは私と2秒程見つめ合ったのち、そのたくましい四本の足を器用に動かし突進してきたのだ。死の危険というものに慣れていなかった私は咄嗟に身体を動かすことができなかった。

 その時を正確に思い出すことはできないが、私はそのモンスターを撃退していた。その理由は明白である。この世界において私は特別だったのだ。それはこの異世界が昔の世界と違っている大きな点の一つである力動が問題であった。重力の問題か密度の問題かあるいは物理法則の問題か、いまだに分からないのだが、私の身体は異世界では考えられないほどの強度を誇っていた。これを書き記している現在は異世界に身体が適応したのか、この時ほどの身体強度はなくなってしまった(それでも常人の2倍ほどの強度があることは確かである)。物理学的な知見に乏しい私にこの異世界での不可解な力動を解明することはできないので、その感覚だけでも説明すると、この異世界の全ては軽く脆いのだ。この大きな利点によって私は今まで生きている。

 モンスターは勢いよく私に一本角を突き刺した。しかしそれは私の皮膚を貫通することなく、打撲を与える程度の衝撃を与えただけだった。私は怯み、倒れてしまったが、そのモンスターは私以上の衝撃をうけたようで大きくよろめいていた。見るとその立派な一本角は痛々しく斜めに曲がっていた。私は直ぐ逃げようと立ち上がった。するとそのモンスターは私から少し距離を置き、体を斜めにして、尻尾をムチのように振り回した。その鋭利な尖端が立ち上がったばかりの私の横腹をかすめる。するとバチっと大きな音がなり、私に痛みと小さな切り傷を与えた。だがそんな痛みより大事だったのはモンスターの尻尾の方であった。その鋭利で結晶化した尻尾の尖端は欠け、破片がとび地面に落ちた。さすがのモンスターも主な攻撃手段であった角と尻尾が不能となれば逃げるしかなかったようで、背を向けて森の奥へと去っていった。

 私はモンスターを撃退した事実より、あばらに感じる鈍い痛みと横腹の切り傷の痛みに心を奪われていた。横腹の切り傷を指先で触りながら確認すると、非常に浅く、血が滲む程度であった。白いシャツは角に刺された部分と尻尾の当たった部分が切れているだけで、ほとんど原型を保っていた。あばらを触って骨が折れていないだろうことを確認した時には、私はさっきの出来事を振り返るだけの少しの冷静さを取り戻していた。私はこの勝利に驕り高ぶった。この世界において私に敵はいない。例えこの世界が夢や虚構の類であっても強者として生きていくことができるのだから幸運だ。今思えば尋常ではないその思考は、動物が他の動物より優位を示した時の恍惚感のせいであろう。本当に冷静ならモンスターという全く想像もつかない生物から、この異世界全体の生態系を類推するなんて思考はおきないはずである。しかし、あばらに小さなアザと横腹に微かな切り傷を持った愚かな男は、非常に楽観的にまた歩き始めたのである(註3)。


註3 この時の勝利体験のせいで、私はこのあと10年も傲慢に生きることになる。実際に私はこの世界で無敵といっても過言ではなかったのである。今も自らの傲慢さを恥じることは多々あるが、この時の私は本当にひどかった。突然、努力もせずに大きな力を手に入れた若い男は、支配者のごとく生命を軽視し、周りが見えなくなっていた。そのうえ少しばかりの知恵で自分なりの倫理だけを守り、罪悪感さえ遮断していたのだ。そうした所業を記すことは恥ずかしいことだが、罪を告白するつもりで記していこう。もう一度留意させてもらうが、あなたたちはこの独白を引き受ける、存在するはずのない被害者なのだ。

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