ZeroProjectorProject

レー・NULL

ZeroProjector・report1

事の始まりは、一つの疑問から始まった。根源とは、一体何だろうか。全ての大元は何だろうか。それが、世界を創るに至るまでの、長い道のりの始まりになった。


 この頃は、まだゼロ・プロジェクターとは名乗っていなかったが、便宜上、私の名前はゼロとしておく。今更本名を名乗った所で、意味があるわけでなし、そんな事は正味どうでも良い。


 兎も角、この頃私は原子力に興味を持っていた。量子というか、粒というものはとても不思議だ。一体なぜ、質量を持っていられるのだろうか、そして、殆ど空っぽな原子が、物質を構成出来ること。量子の世界では、私たちの世界の常識が通じない。


 そして、私たちでさえも、この粒の配列でしかないのだ。この世界を構成している、その全てが、粒の配列と言うわけだ。何がどうということではない、ただ、そういう配列だった。それだけの話におわる。


 結局、金であろうと、鉄であろうと、それは単に三種類の粒の数の違いでしかないし、炭であろうと、ダイヤであろうと、それは粒の配列の違いでしかない。人は、そんなものに価値を見出だすが、どれもこれもただの粒。なんというか、ただ、思い込んでいるだけでは無いのか。


 つまり、主観の中にしかそれは無いという事だ。そう考えて見れば、納得行くことも多くある。主観と客観は、対照的なものとされる場合が多いように思えるが、実際の所はどうであろうか。


 仮定してみた。主観というものは、その人の視点。それ以外を客観としてみよう。本当ならば、もっと細々とした定義だとか有るのだろうが、ここではシンプルに考えてみる。この仮定も間違っては居ないだろう。


 ここで、二人の人物を用意する。人物Aの視点を主観とするなら、人物Bの視点は客観となる訳だ。だが、そのまま人物Bの視点を考えてしまうなら、それは人物Bの主観になってしまう。客観とするならば、人物Aから見た、人物Bの視点とならなければならない。


 だが、それは。本当に客観と言っても良いのだろうか。人物Aが人物Bの視点を想像したとしても、それが客観になるとは思えない。


 極論を言ってしまおう。人が感じるもの、見えるもの、聞こえるもの、その全てはその人の脳が感じたものに過ぎない訳だ。二人の人間が感じる赤が、全く同じであるという保証は無い。その二つの脳が全く同じく反応するとは、言えないだろう。


 更に言えば、脳は容易く人を騙す。あまり深いところまで書いても仕方ないのだが、例えば、そうだな。人の眼はレンズと同じだ、至極単純な原理で、小学生でも習っている。それなら、知っているだろう。その映し出される像は、逆になることに。


 だが、私たちは、世界を逆さまに見ている訳ではない。いや、逆さまの世界を通常の世界であると思い込んでいる可能性もある、なにせ、その世界しか知らないのだから判断材料がないのだ。だとしても、私たちの見ている世界が逆さまでは無いと仮定しておこう。どちらにせよ、結果は同じであるのだ。


 脳は私たちの認識出来ない所で、眼から得られた情報を編集している。そして、それが必ずしも真実では無いという事。二つの意味で盲点だとでも言っておこうか。


 結局の所。例え私の脳が、私に対して嘘をついたとしても。それを認識することは不可能だ。ならば、私たちは真実というものを認識することは出来ない。例え、世界が何処までも残酷で、狂気的で、おぞましいものだったとしても、脳がその情報を編集してしまえば、私たちはその真実に気付けない。


 つまり、私たちは頭の中に在るものを真実として認識する他なく、それぞれの真実が存在しているという、とても歪に感じられる状態であるが、まさにそれが偽りの真実なのであろう。


 本質を、見ることは、不可能だ。どうしても脳に依存してしまう。存在の本質を、脳というフィルターを経由しなければ認識出来ないが、それはフィルターである。そのものが見えていない。


 何処まで行こうとも。人の世界は脳の中で完結してしまっている。そんな結果に至るしかなかった。

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