永遠の愛を誓うと誓わせてくれ

 オレには好きな人がいる。

 中学二年生のときに出会ったその人は、オレを救ってくれた。痛めつけられて傷つけられて苦しめられていたオレを助けてくれた。その人は、彼は、東野カズキという人間は、オレのヒーローになった。


「いま、」


 ヒーローがぽつりと呟いた。立ち止まって後ろを振り向いている。その視線の先を追ってみるけれど、人通りが多く、彼が誰を見ているのか判別はつかない。


「どうした?」


 尋ねると、カズキはオレを見て何かを言おうとした。だけどなぜか言葉を出すことなく閉口する。


「知り合いでもいた?」


 尋ねる。カズキは首を横に振る。

 つないでいた手を、握り返してくれる。

 それだけでオレの頬が熱くなるのをカズキは知っている。どうしようもなく嬉しがっているのを知っている。

 行こう、とカズキが微笑う。うん、とオレはうなずく。


 中学二年生、オレは東野カズキを好きになった。

 高校二年生、オレは東野カズキが好きだった。

 大学二年生、今。

 オレは、まだカズキが好きだ。



* * *



 東野カズキはすごい人間だ。

 頭も良ければ運動神経も良いし顔も良い。なんでも器用にこなせる持ち主なのにそれを鼻にかけることもない。明るい性格かといえばそうではないけど、持ち前の優しさも相まって周りから頼られてばかりいる。

 中学のときも、高校のときも、大学生になった今でも何も変わらない。なんから月に一度は受けていた告白が、大学に入ってからは週に一度に頻度が増えている。

 カズキはすごい人間で、なにもかもが完璧に見える。だからみんながカズキを好きになる。


「それで酒が弱いんだからズルいよなあ」


 ゼミの飲み会に行くと、決まって同級生はそう言った。カズキは既にうたたねを始めていて、二杯目のビールを持ちながら、かくりかくりと頷いている。

 カズキが酒に弱いと判明したのは、オレの酒に付き合わせたときだ。誕生日が早いカズキの方が先に二十歳になったけど、カズキはなぜか進んで酒を飲みたがらなかった。オレが一緒に飲みたいと頼み込んでようやく了承してくれて、成人祝いにビールやら酎ハイやらを買い込んだ。そして一杯目を飲みきった直後にカズキは爆睡した。頬を赤くして無防備に眠る顔の可愛さといったらもうたまらなかったけど、ここでみんなに詳細を教えるほどオレは心が広くない。

 一方オレはいわゆるザルというやつで、どれほどアルコールを摂取しても「酔った」という感覚がわからない。なにがあろうと健康体なことだけは自信があったけど、酔っぱらえないというのは、それはそれでもったいない気がする。

 会話が聞こえているのかいないのか、とにかく会話に参加しなければという使命感でもあるのか。カズキはオレたちの声が聞こえるたびにかっくりと頷く。かわいい。同じゼミの女の子たちが「かわいい」と言う。


「ほれ、そろそろお開きだぞ」

「早く介抱してやれダンナ」


 ダンナ、と自分を結びつけるのに時間はかからない。もうすっかり聞き慣れたから。

 半分寝ているカズキの腕を肩に回す。立ち上がらせる。それからタクシーを呼ぶ。飲み会があるときは、俺がこうする係。

 うらやましい、と。女子や、ときどき男子はオレにぼやく。東野カズキは格好良くてイケメンで優しいから。誰もがカズキに好きになってもらいたいなと思うから。


「いいなあ、こんなステキなカレシがいて」


 からかうように、誰かに腕をこつかれる。

 中学二年生のオレなら恐れ多かった。高校二年生のオレは、複雑な気持ちはあれど内心嬉しかった。

 大学二年生のオレは。


「だろー」


 笑って嘘をつけるようになった。



* * *



 東野カズキという人間は、人を傷つけたことがある。

 小学生のとき、カズキはとある同級生に暴力を振るっていた。殴って蹴って首をしめて蔑んでなじって嗤っていた。

 東野カズキは、自分がそう人間だったことを後悔している。


「ほら、ついたぞー」


 酔っ払いのカズキを一人暮らしの部屋まで運ぶのも随分慣れた。八割寝ている男をベッドに座らせる。台所へ向かいコップに水を入れ、ベッドに戻ってカズキに渡す。


「ひとまず水飲んで」

「うん」

「寝巻き着替える?」

「ううん」

「もう寝る?」

「うん」

「カズキ」


 オレが好きな人の名前を呼ぶ。


「今日オレ泊まっていっていい?」


 オレの好きな人が、オレを見る。

 オレの好きな瞳に、オレが映っている。


「……ダイチが、そうしたいなら」


 好きだ、とオレはカズキに言った。

 大事にする、とカズキはオレに言った。

 心の底から嬉しかった。安心した。そばにいてくれた。オレを選んでくれたんだと思った。オレを大事にしてくれた。

 左右田ダイチは、オレは、人の心を読み取るのが苦手な人間だった。


「……ダイチ、」


 好きな人が、オレの名前を呼ぶ。

 嬉しいと、オレは思ってる。


「ごめん」


 カズキの小さな声。

 今でも人の心を考えるのは苦手だ。だけどオレは大学生になった。友だちが増えた。カズキ以外の人と遊ぶことも増えた。オレはいろんな人を知った。いろんな心を知った。なにかしらをうまく誤魔化す方法を知った。なんとなくだけど、自信はないけど。ひょっとしたらそうかも、きっとそうだと、少しだけ人の心を察せられるようになった。

 だから、大学二年生のオレにはわかったことがある。


「ごめんな」


 カズキが酒を飲みたがらなかったのは、酔って誰かに暴力を振るってしまうんじゃないかと怖かったから。


「ごめん、ダイチ」


 カズキは今でも、オレのことを大事にしてくれている。


「ねえカズキ」


 名前を呼べば、必ず返事をしてくれる。


「手をつないでいい?」


 手をつないでくれる。


「抱きしめていい?」


 抱きしめさせてくれる。


「抱きしめてくれる?」


 抱きしめてくれる。


「カズキ」


 返事をしてくれる。


「好きだよ」


 返事はない。


「オレは、カズキが好きだよ」


 泣きそうな顔をする。


「カズキ」


 返事をしてくれる。

 顔をよせる。

 鼻先がくっつきそうなくらい、近く。


「キスしてくれる?」


 返事はない。

 抱きしめられる。

 まるで、壊れ物でも扱うように。

 オレは、全然そんなものじゃないのに。


「……カズキ」


 カズキはオレを大事にしてくれる。オレの気持ちを尊重してくれる。

 でも、バカなオレにだってわかる。

 あ、こいつ、オレのこと好きになる努力してねーんだなって。


「バカだなあ」


 そうしてカズキは期待している。オレがお前に失望することを。

 バカだなあ。

 オレはバカだけど、バカなりに成長してるよ。カズキの考えていることが、ちゃんと正しくわかってるようになってきたよ。

 だからオレは傷ついているし、バカだなあって思うし、失望だってしてるよ。

 でも好きなんだよ。失望したって大好きなんだよ、嫌いになりたくないんだよ、お前を好きでいる努力をしたいんだよ。

 オレはどうしようもなくカズキが好きで、大好きで、なにがなんでも引っぱって引きずって、汗かいてもしんどくても血を吐いてもつらくてもみじめでも。

 それでも、いつかオレを好きになりたいと思ってくれるように。

 死ぬほど頑張りたいって思っちゃうんだよ。

 そう思わせるほどのことを、お前をしたんだよ。


 黙り込んでしまったカズキをベッドに横たわらせる。力無い身体に毛布をかける。目を逸らすように瞼が閉じられる。

 何年でも何十年でも何百年先でもいい。お前が幸せになろうとしてくれるその日まで、オレはお前の隣でみっともなくあがきつづけると確信している。

 ……でも。


「もし、できるなら」


 それは明日がいいなあ、なんて。

 そんなバカな思いさえ、賢いお前は知っているんだろう。

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