故郷

 私が産まれ育った町は、産業都市の郊外にある、一面に水田が広がる長閑のどかな田舎町です。

 市街地は開拓から発展していった歴史の浅い地区ですが、郊外にある農村はみな歴史が古く、それなりの伝説が残っていたりします。

 何より特徴的なのは、苗字が同じ集落が今でも点在することでしょうか。


 ご存じでしょうか。たわけ者、という言葉がありますね。この語源の一説に、田分けの説があります。

 大切な財産である水田を分けて相続し売ってしまい、結局は本家も衰退し自分も落ちぶれる穀潰し=たわけ者。

 水田がいかに大切だったか。集落が同じ苗字なのは、いかに一族で水田を護り、他人に財産が渡らないようにしていたかの名残なのだと思います。


 私の故郷であるK町にも、そんな集落があり、血族婚姻の名残か、所謂いわゆる霊感が強い子供が結構居ました。

 勿論K町にも開拓で入った人々はかなり居たので、霊感がある無しの割合は、もしかしたら土着の血筋か入植の血筋余所者かの割合と、同じだったかもしれません。


 閉じられた田舎町にありがちな、血の濃い一族。たいてい、そんな一族にはキツネ憑きが出ます。

 田舎で言うキツネ憑きは、現代では精神疾患という病名に置き換えられるでしょうか。


 気がふれて自殺する。長い棒を引き摺りながら、農道をふらふらと徘徊する。一定の間隔を開けて後をつけてきて、目が合うとニタリと笑いながら「憑いてるよぉ」と告げ、走り去る。

 私が子供の頃は、こういったキツネ憑きが割と自由に行動していましたが、町民はキツネ憑きだから放っておけと言うくらいでした。

 現在なら変質者騒動でしょうが、当時は何処の家の誰なのかも分かっているし、害も無いので関わらないというスタンスが強かったようです。


 珍しくなかった、というのも理由かもしれません。それくらい、キツネ憑きと呼ばれる血族が居たのです。


 昭和は、現代よりも闇に近い時代だったのかもしれません。

 奇異を奇異のままにすんなりと受けとめ、うまく流していたような気もします。それは田舎の農村が刻んできた歴史でもあったのかもしれません。

 

 残念ながら、長閑な田舎の故郷も住宅地が造成され、新しい住人が増えています。

 名前も分からない住人が増えれば、闇をも受け入れたおおらかさは消えていくのです。


 子供の頃、常に近くにあった不思議な隣人たちは、何処へ行ったのでしょう。今、隣人たちを身近に感じる子供は、どれだけ居るのでしょうか。

 

 あなたの傍にも不思議な隣人はいると、思える心はありますか?


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