Pandora's tragedy

夏切きはる

リゲインブルー

「斑鳩君、それ捨てたら今日は上がっていいよ」

「ハイ」

ゴミ袋片手に裏口のドアはいつも通りギィ……と嫌な音を立てた。開けた隙間から入り冷えた風が頬を掠め西陽が視界を一気に明るく照らす。時が過ぎるのは早いもので上京して1年半が経とうとしていた。耳を塞ぎたくなるような油の切れたドアの音もジメッとしたこの裏路地の匂いも目を刺す西日ももう馴れた。




田舎の美容室の家に生まれた俺は漠然と家から出ないと思っていた。高校を卒業して専門学校で免許を取り家業を継ぐ、特に親に言われた訳ではないし、家業が好きだとか憧れとかもなかったがなんとなく家を継ぐのが普通、そう思っていた。2年前までは。

店長でもある親父が倒れたのをきっかけに店を畳むことになった。周りが就活に白目を剥いている中俺だけは家を継ぐと鷹を括っていた矢先のことだった。慌てて探した結果、今の店長が救いの手を差し伸べてくれたおかげで職につくことはできた。

しかし美容師がしたくてこの道を選んだのではなく、ただ親の背中を追っていれば楽だから選んだ道であり、他の道に進むことができないところまで来てることにようやく気付いたのはこの時だった。




重いドアを足で更に押し開けてゴミ袋をドアの向こうの収集場所に投げ捨てようとするとしゃがみ込む人の影が見えた。こんなビルが犇めき合う細い路地裏に人がいるなんて珍しい。

「すみません…」

ゴミ捨てたいんで邪魔なんすけど、と影の持ち主に言おうと身を乗り出して言いかけて、息を飲んだ。

無造作に束ねられ長さもバラバラで切り方は乱雑なのに、美しく艶のある金色の髪は夕陽を受けてキラキラと光る。

これほどきれいな髪を見たのは初めてだろう。目を奪って離そうとしない。幼い頃からずっと見てきた中で断トツに美しい。

『自分の手であの髪を切りたい』

そんな感情が湧き上がったのは初めてだった。

「……え?」

髪の持ち主の戸惑う声で我に返る。

「あぁいや……ごみ捨てたいから」

収集場を指すと彼は釣られて後ろを向いた。揺れる髪は光を反射してまたサラサラと光った。

「スミマセン」

彼は足元の黒い物体……黒猫を抱いて立ち上げて横にずれた。あまりに髪に気を取られて猫に気付かなかったが、どうやら彼はここで黒猫と戯れていたらしい。彼に関しても全然見れていなかった。大学生くらいだろうか、俺より身長は同じか高いくらいで細身、切れ長の茶色の瞳。そして何より目を奪う金髪。

ゴミ袋を放ってもう一度髪を見る。黒猫を抱くと対照的で更に映える。質はとてもいいのに何故そんなに乱雑に切られているのだろう。

「あの、まだ何か……?」

「えっあ……えー……」

不審そうに眉を潜める彼にどう返していいかわからなかった。モタモタと答えを探すも見つからない。

ガチャンッ

「あっ……」

背後でドアが閉まる音がした。気付けば身を乗り出してドアの外に出ていた。オートロックのドアは外からは開かないようになっているため店に戻るには表通りに出るしかない。

店に簡単に戻れなくなったことで気不味さが増した。

「あーえっと……その髪、自分で切ってるんすか?」

空気の重さから逃げ出したい俺は何も考えず口走っていた。

「えっ?!あ、まぁ……伸びるの早いから」

相手も想定外だったのだろう、辿々しく答えが返ってくる。

そしてまた沈黙。気不味さが戻ってきた空気にふと店長の言葉を思い出した。


『こっちに来て色々大変だと思うけど友達できた?ぼちぼちカットモデル探さないとねぇ』


忙しさもあり、全くと言っていいほど上京してからの友達はいない。店のスタッフとも同じ職場の仲間から距離を詰められずにいる。というよりも、そもそも人と距離を詰めるのが苦手だった。向こうから話しかけられない限り最低限しかコミュニケーションを取らないようにしてきた。いざという時どんなふうに話していいかわからくなる、沈黙や拒否された時の気まずさに耐えられない。いわゆる自分はコミュ障という自覚はあった。


店長の言葉と初めて自ら切りたいという欲。もし今自ら切り出せばあの髪に触れさせてもらえるかもしれない、しかし断られたら、普通に考えて不審者発言……拒否されることへの恐怖感が脳裏を過る。

「あのっ!」

気不味さを紛らわせる様に猫と遊んでいた彼の目が向けられる。真っ直ぐな瞳も綺麗で透き通っていた。吸い込まれそうになって深呼吸する。

「お、俺に髪切らせてもらえませんか!!」

思ったより大きな声が出た。静まり返っていた路地裏に声が響き、猫は驚いて逃げていってしまった。

「……え?」

少しの沈黙の後に彼の瞳が大きく開かれる。

「髪……?」

驚いて束ねた髪を指さして尋ねる彼に思わずコクコクと頷いた。

「か、髪綺麗なのにそんな切り方じゃ勿体無いし……俺そこの美容院で見習いしててよかったらカットモデルしてほしいなって……」

息が上がるほど早口に捲し立てるように言葉がつらつらと出てきた。

「……べつに、いいですけど」

俺の口調に圧倒されたようにたじろぎつつも彼は了承してくれた。断られたら、という恐怖感が消えて肩が楽になった気がした。


◇◆◇


彼は何とも不思議な青年だった。俺から受け取った名刺を見て「まだら……ばと……あきほ?」と首を傾げ、名前を聞くと「朧」とだけ。名字は?と聞いてもわからないと言う。


朧と店に戻っだ俺を見て店長は何も言わず笑顔で頷いて掛け看板を『CLOSE』に裏返した。

「朧さん、どんな髪型にしましょうか?」

どうも彼曰く、もう10年以上人に髪を切ってもらっていないらしい。カタログ雑誌を差し出すとパラパラとを眺めて首を傾げた末、パタンと閉じた。

「わかんないしおまかせで」


髪を束ねていたゴムを解くとゴムの跡が残っているもののストレートで解く必要もないほど自然にまとまる。整っていないのは長さ、切り方だけだった。

「へぇ、綺麗な髪だね」

横で見ていた店長が声を上げた。誰から見ても綺麗なのに勿体無い。

「まず長さ揃えて、それからは彼の希望通り自由にしたらいいよ」

「ウス」


初めて切りたいと思えた髪に触れられる、そう思うと緊張する。小さく深呼吸してそっと鋏を入れる。サラサラと落ちていく髪はガラス戸から入る夕陽を反射した。まるで流れ星のように。

静まり返る空間で髪を切る音だけが聞こえる。しっかりした質なのに軽やかに切れる髪、無限に触れていたいと思わせられる髪。


「終わりました」

彼の髪を照らし続けていた陽は気付けば暮れていた。鏡の前の彼は日の光が無くても十分に綺麗だった。ショートウルフに揃えられた髪は短くなっても美しさを保っている。

「!!」

何となく気まずいのか鏡を見ないようにしていた彼は鏡を見て目を見張った。ペタペタと自分の髪を触る。まるで鏡に映るのが自分か信じられないかのように。

「えっと……あ、ありがとうございます……えーその、髪、こんなに綺麗にしてくれて……俺じゃないみたい、です」

「いや、こちらこそ切らせてもらってありがとうございます……」

照れるように鏡越しの俺から目を逸らされると俺までどこか気恥ずかしくなって目を逸らしてしまう。

「いいんじゃないかな、流石斑鳩君。技術はバッチリなんだけど」

店長は彼の髪を確認するように触りつつ意味深に言葉を止める。

「何が足りなかったかわかるよね?」

分かってる。切るのに夢中だったわけじゃない。わざと避けていた。

「コミュニケーション……お客様と話さないと駄目だよ」

「ハイ」

「朧君、だっけ。切られててどうだった?久しぶりなんだってね、人に切ってもらうの」

慣れた手付きでカットケープを取りながら鏡に映る彼と店長は目を合わせて話し始める。


『美容師は髪を切ることだけが仕事じゃない』いつか親父に言われたことを思い出す。

美容師は気兼ねなく話せる友達よりも更に気兼ねなく話せる第三者でいなければいけない。専門学校にも親父にも教えられたのに。人と話すのが苦手、拒絶される恐怖から逃げ続けてきた。話さなきゃいけない、それが仕事と思っていても何を話せばいいのかさえわからなかった。


「ねぇ斑鳩君、片付けはしておくから朧君と帰りなよ。お代の代わりにご飯奢ってくれるって」

「……えっ?」

物思いから引き戻される。急に何を言い出されたかさえ理解が追いつかない。

「カットモデルだからお代いらないよって言ったら申し訳ないからご馳走してくれるって。せっかくだから仲良くなってきな」


◇◆◇


店長に押し出されるようにして外に出るともう日はとっぷり暮れてすっかり夜の空気になっていた。

「と、とりあえず、駅まで歩きましょうか」


何を話していいかわからない。気まずい沈黙が続いてもう10分は経っただろうか、チラッとスマホの時刻を確認するも5分も経っていなかった。周りのごちゃごちゃした都会は気まずさを際立たせる。裏路地の出来事以上に話題も思いつかず何を話していいのかわからないが、このまま沈黙を続けるわけにもいかない。

「「あっあのっ……」」

「あ、いや、そっち先にどうぞ」

「えっ、あー…切ってくれてありがとうございました」

「いえこちらこそ……」

辿々しい会話も終わってまた無言に戻る。話の膨らませ方がわからない、もし許されるならこの場から逃げてしまいたい程に。雑談って何を話せばいいのか、思えば自ら話しかけたことは……ないかもしれない。何か話せること、何か……。

「そ、そういや路地裏で何してたんですか?」

「えっあっいや…猫は自由そうでいいなーと思って」

気まずく俯き気味に横を歩いていた彼がバッと顔をあげた。揺れる髪はもうない。

「え?」

「猫は猫なりに色々あるんだろうけど、俺よりは遥かに自由そうだなって」

やっぱり変な人だ。いくら猫好きだったとしてもあんな路地裏普通ならたとえ猫がいようと入ろうと思わないだろう。

「あっ敬語じゃなくていいですよ、俺のほうが年下だし」

「……朧君って何歳?」

「君つけなくて朧でいいですよ、もうすぐ18です」

「えっ高校生?!大人っぽいし俺と同じくらいだと思ってた。あっ、別にタメでいいよ、そういうの気にしないし」

「はい、まあもう高校辞めちゃったけど……仕事忙しくて」

高校中退、現代では珍しい。まして仕事とは……。あの髪でアイドルやモデル業をしていたとは思えない。

ともかく俺の名前が読めなかったのは理解がいった。

「仕事って……」

「秘密。でも落ち着いたらやり直したいかなぁ」

遠くを見つめる彼はやっぱり年齢の割には大人びて見える。

「やり直すって?」

「今時定時とかあるし、勉強して青春したいなって」

「青春って何なんだろな」

青春、一般的には学生時代を指すのだろう。俺は青春がわからず気付けばここまで来た。そもそも青春って何か、定義は?ただキラキラしたイメージだっただけで何一つわからなかった。青春したいとか言いながら青春が何かわからない。俺だけがわかっていなかったのか、周りも分かっていなかった。

「仕事仲間は『やりたいことを見つける時間』だと思うって言ってた。それが青春かはわかんないけど、そうだとしたら俺まだ何がやりたいかわかんないし」

やりたい事……。俺は何を見つけた?何をやりたいと思った?俺は青春時代に何を得た?確かに技術や知識は得たけどそうじゃなくて……。

「……学生をやり直してもやりたい事見つかるとは限らない、と思う。何も得られないかも」

少なくとも俺は何も得られなかった例の一つ。ただぼーっと時間を過ごしただけで終わってしまった。ここまで来てはもう後戻りもできない。

「それは人それぞれじゃない?俺も見つかるかわかんないけど、それが青春かはわからないし、何か得るものがあれば儲けものだし」

純粋、何だと思う。18でも中退してまた戻るなんて周りになんて言われるか、結局就職でそこを突かれるのはわかりきっている。

「……もしさ、戻りたくても戻れないとこまで来たらどうする?」

会ったばかりでほとんど何も知らない彼は何故か話しやすかった。これが第三者の話やすさとかいうやつなのかもしれない。

「世間体とか一般論とか歳とか、間違ったな戻ってやり直したいなって思っても戻れない時あったとしてさ。実際俺今の仕事合ってないと思う、なりたくてなったわけじゃないし」

「んー……俺がアキの立場なら……っ!?」

朧は少し考えて口を開いたと思うと言葉を切って足を止めた。

「どうした?」

急に立ち止まった朧の目は一気に鋭くなる。出会ってからの雰囲気からは想像もつかないほどに。

「ごめん、いいって言うまでここを動かないで、絶対に」

「え?なん……」

聞き返す間もなく俺に荷物を押し付けて何もない闇に駆け出した。いつの間にか人通りはない道まで来ていた。街灯で気持ち程度に照らされた先でも朧の髪はよく目立つ。なんて思っていた瞬間、何処からともなく金属の棒を取り構えた。こんな所に金属棒なんて落ちてる筈は無い。振りかざした金属棒が空を切ったと思った瞬間、何も無かった空間にぼんやりと影が浮かび上がる。影にはまるで瞳のような小さい赤い光の玉が2つ、ハロウィンの仮装で見かけるような大きな鎌を持っていた。お構いなしに朧は棒を再び影に振りかざす。

「なに……これ……」

何が起きているかわからない。まるでファンタジー世界の戦闘シーンを見ているようだ。十メートル先で何が起きているのか見当もつかなかった。

影に朧の棒が刺さる。影が鎌を振りかざすのをもろともせず朧は新たな棒を取り応戦する。踊るように軽やかに鎌を避けながら的確に相手を突いていく。わけがわからず呆然と立ち尽くす事しかできなかった。


「……っ!」

「動くなっ」

ずっと先で朧と戦っていたはずの影が音もなく俺の目の前に現れたと同時に朧の声がした。目の前に掲げられた大鎌にたじろぎ足がすくんで膝をついてしまう。体に力が入らない。

朧が腕を広げた瞬間、黒い砂が集まる様に何本もの金属棒が現れる。そのうちの一本を手に取ると残った棒が音もなく地面に刺さる。影は金属棒の檻に閉じ込められる。

「さよなら」

檻の外から身動きの取れない影を刺す。どこか悲しげな別れの挨拶に答えるように影は煙になって消え、檻も砂のようにサラサラと消えて黒い小さな塊だけが残る。


「ごめん、ケガさせちゃった。守れなくてごめん」

塊を拾って俺の目線までしゃがんだ朧に触れられた頬はビリビリと痛かった。

「なぁお前その髪……」

謝る朧の髪は胸元ほどまで伸びていた。さっき切ったばかりなのに切る前のように長く。

「あー……ごめんねせっかく切ってもらったのに」

手首に通していたゴムを咥えて慣れた手つきで髪を束ねた。

「……もし魔法があって、俺が魔法使えるって言ったら信じる?」

「はぇ?」

急に何を言い出すのだろう。不思議な奴だとは思っていたがさっきの闘いのことも相まって頭が混乱して変な声が出る。

「まぁいいや、それより怪我の手当しないと。俺の家あと少しだから手当てしながら話そ」

ヘタレ込んでた俺に手を差し伸べて立ち上がらせられる。

「歩ける?あと五分くらい」

年下の彼はやっぱり大人びいていた。


◇◆◇


「よし、手当はこれでおしまい。ご飯の支度するね」

「……あんがと。いや俺ごちそうにならなくても……」

言い切る前に薬箱を閉じて滅菌ガーゼが入っていた袋を捨てる。ゴミ箱には大量の髪が入っていた。

「さて、どこから話そうかな」

キッチンに向かう朧を追いかける。どうやら俺の声はあまり耳に入っていないらしい。

「……さっきも聞いたけどさ、魔法ってあると思う?」

手際よく食材を冷蔵庫から出しながら再び謎の質問を受ける。

「いやーあったらいいなとは思うけど……」

魔法があったら、誰もが一度は考えることだろう。例えば時間を戻してやり直せたら、とか。

「結論を言うとあるんだけど、俺は簡単に言うと金属の個体を出現させられる魔法」

髪ゴムを外し、おもむろに空に手をかざすと幾何学的な形の金属が現れた。と同時に髪が伸びる。さっきと同じ現象が目の前で起こっているのは理解できても何が起きてるかはさっぱり理解出来ない。

「でも魔法っていい事ばっかりじゃなくて『代償』があって、俺はこれ」

長く伸びた髪を指してまた髪を束ね直して煙をまくように金属の上で手を振ると砂のようになって消えた。

「俺は魔法を使う度髪が伸びるし、火を操れるけど一時的に声を失うとか、植物の成長を操れる代わりに自分が子供になっちゃうとか色々人それぞれなんだけど」

手際よく料理する朧の言う事は本当に現実なのだろうか。もしかしたら夢を見て見てるんじゃないか、信じられない話が淡々とした話口調から嘘ではないのがわかる。

「俺らは魔法を実用化するための実験台」

カンッと冷凍された固いジッパーを調理台に置く。音とともに空気が冷える気がした。

「魔法も代償も大体その宿主の嫌な記憶を抉り返す様なのが多いんだよね。使う度トラウマを見せられる呪い」

「えっじゃあ使わなきゃいいんじゃないのか」

「さっきのやつね、元々俺らみたいな魔法の被験体なんだよ」

コツッ。調理台にポケットから出されたのはさっきの小さな黒い塊だった。

「あの化物、になるってこと?じゃあますます使わない方がいいんじゃ……」

手際よく準備をしながら尚も朧は続ける。

「魔法石っていうのを体に取り込むと魔法が使えるようになるんだけど、元々透明なのに体の中でどんどん黒くなって体を蝕んで、いずれ呑まれて意識も記憶もなくなって人を襲う」

「普段は見えないと思うけど今日は俺が攻撃来たからアキにも見えたけどさ、例えば何も無いのに転けたり事故にあったりするでしょ、大体の正体があれ。化物のエネルギー源の人の負の感情を食う為に人を傷つける。痛い怖い辛い死にタイとかね。特に魔法使いのは特別エネルギーが強いらしくて狙われやすいんだって。その代わり同じ魔法石の宿主の俺らは見えるんだけど」

ふぅ、と息をついて盛り付けにかかる。話についていくのに必死で横で見ているだけの俺は何となく申し訳なくなったが話に追いつくのさえ出来ていなくて手伝う余裕などなかった。

「だからアレを放置するわけにいかなくて、放置すれば誰かじゃなくて俺が死ぬし、戦わなきゃ殺されるし魔法がなきゃ戦えない、これが俺の仕事。皮肉だよね」

キッチンから出てテーブルに料理を並べながら苦笑いを零した。

「だから俺は高校辞めなきゃいけなくなったし、青春も魔法に奪われた。ごめんね、信じられないような話しして」

「いやいいけど…流石にあの戦い見せられてからじゃ信じざるを得ないし」

魔法が使えたら。誰もが一度も考えることだが多くがきっと希望論ばかり考えているだろう。現実はそんな甘くないらしい。自分に取って非常識で異世界でもその世界の人にとっては常識なのだ。


「とりあえずご飯食べよ、残り物ばっかで申し訳ないけど」

「いやいや……いただきます」

豚の角煮と白米、豆腐の味噌汁、小鉢。一般的な夕食メニューだけどこんなのを食べたのも、人と食事することも久々だった。前に実家に帰った以来だろうか。

「俺は青春をやり直すために戦う。アキは戻れないって言ったけど周りさえ気にしなきゃやり直せるかもしれないけど今を受け入れるのも一つじゃない?」

受け入れる。簡単そうで難しい事。今は受け入れてる訳じゃなくただ妥協して流されている自覚はある。朧にそれを見透かされてる気がした。

「俺はこの呪いを受け入れるしかないけどアキは選べる。でもさ、この仕事あってないって言ってたけど少なくとも俺はアキに切ってもらって嬉しかった。選ぶのはアキたけど俺はアキに切ってもらうの好きだよ」

戻ろうと思えば戻れる、受け入れようと思えば受け入れられる。結局自分次第なのだ。ただ、自分が切った髪を喜んでくれる人がいる限りは続けてみようか、そう思えた。

「あのさ、頼みがあるんだけど」

箸を止めて朧を真っ直ぐ見る。人の目を見て話す事も避けてきたけど今回ばかりはそうもいかない。人に頼み事をするのだから。

「髪、伸びる度切らせてくれないかな、嫌だったら全然いいんだけど」

「えっいいの?」

朧は米粒を口元につけたまま目を見張って間抜けな顔で俺を見る。

「そ、その美容師ちゃんと受け入れようかなって。まだまだ下手くそだけど」

「いいじゃん、俺がその助けになれるなら嬉しいし。応援するよ」

再び米を口いっぱいに頬張る朧は嬉しそうだった。

「あっ、連絡先交換しようよ。俺毎日伸びるわけじゃないし暇な時連絡してよ」

箸を止めてゴソゴソとポケットを漁る。連絡先を交換するのも仕事以外では久々なんじゃないか。いかに塞ぎ込んだ生活をしてきたかを痛感させられる。

軽快な通知音と共に連絡先に朧が追加された。

「俺仕事仲間と以外で交換したの初めてかも。学校行ってた頃スマホ持ってなかったし」

友達、という言葉がふと浮かんだ。定義はわからないけど多分こっちに来てはじめての友達。会ったばかりなのに朧には実家の友達よりも気兼ねなく話せた気がした。やっぱり朧は第三者ではない、そんな気がした。

「改めて宜しく、朧」

「よろしく、アキ」



「本当に送らなくていい?」

「いいよ男だよ俺。じゃあまた。今度はカットケープ持ってくるから」

「うん、たのしみにしてる。ばいばい」

帰り玄関先で何度も見送ろうかと聞いてくるのを断って外に出る。

冷えた乾いた空気に首をすぼめる。空には朧の髪のように綺麗な満月が出ていた。



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