ペタルスノウ

佐藤 いくら

episode

 冬は苦手だった。まず寒いのが嫌いだし、重ね着をするから動きづらいったらありゃしない。オレは基本的に夏の方が好きだ。冬なんて、何にも良いことはない。

 そう思っていたのに、今年の冬にあの子はやって来た。

「みんな仲良くしてね」

 転校生がやってくると必ず言う、先生のお決まりの言葉。ざわざわと騒ぎ出す教室。ひとりぽつんと黙って佇む女の子。黒板に書かれた名前は『冬木 凛』。りん……と口の中で呟く。

「席は一番うしろに用意してあるから、そこに座ってね」


 彼女はすぐ人気者になった。顔も整っていて、声も凛としていたから男子からも女子からもよく話しかけられていた。オレとはあまり関わりない人種だと思っていたのだが、一緒に美化委員をやらされる事になった。

 昼休みに中庭に出て、花壇に水やりをする。

「ねぇえっと……夏島くんだよね?美化委員って何するのかなぁ」

 急に話しかけられて、一瞬戸惑った。同級生の女の子と話をすることなんてほとんどなかったから。

「うん…まあ大体はゴミ拾いとか中庭の水やりくらいだから…そんなにない」

 緊張して、そっけない返事になってしまった。なんだか居心地が悪くて、冬木さんに話しかけられても背中越しでこたえていた。

「そっかぁ。どこの学校も同じなんだね」

「同じって…?」

「私、前の学校でも美化委員だったんだ」

「へぇ。冬木さん…は青森から来たんだっけ?」

「凛でいいよ。うん、青森は今の時期すっごい寒いんだよ」

 りん、とまた呟く。

「だろうね…」

「でもね、雪が降るから夜とかすごくきれいで、昼間は雪かきした雪で……あ」

 小さな声を上げ突然黙り込む。どうしたのかと思い振り返ると、彼女は手を口に当てていた。少ししてからにっこりと顔を上げる。色の白い肌がほんのり赤くなっていて、リンゴみたいだと思った。

「……えいッ」

「うわ!?」

 突然手に持っていたホースで水をかけられた。飛沫は氷のように冷たく、途端に鳥肌が立つ。彼女はあははと笑いながらも水をかけるのをやめないので、オレは自分のホースを放り捨てて逃げた。

「何するんだよ!?」

「あははッおもしろーい!雪みたい」

 無邪気に笑いながら彼女はくるくると回る。空気中に撒かれた水飛沫が太陽の光を反射して、小さな星のようにキラキラと光った。

 キラキラ、キラキラ。鈴のような笑い声が響き渡る。教室で見せる顔とはまた違う、女の子らしい笑顔。その顔がなぜだか、とても大切に思えて……………もう少し、見ていたいと思ったんだ。

 オレは花壇の上に落ちたホースを拾い上げ、口の部分を強くつまんで彼女に向けた。

「────お返し!」

「え?きゃあ!冷たーい!」

 勢いよく飛び出す水が彼女を濡らす。きゃあきゃあと悲鳴をあげながらも、彼女は楽しそうに笑いながらやり返す。オレたちはそのまま花に水をやるのも忘れて、昼休みが終わる合図の鐘が鳴るまで水遊びをしてはしゃいでいた。

 さすがにやりすぎたか、服がびちゃびちゃだ。風に吹かれると濡れた部分が一気に冷え、体がぶるぶると震えた。横を見ると彼女も寒そうに震えている。やがて俺の方を見ると、赤い頬をしながらにっこりと笑った。

「えへへ、楽しかったね夏島くん!」

 彼女は本当に楽しそうだ。先生に怒られちゃうかな、なんて言いながらも顔は笑っている。

 クラスで人気者の冬木凛ではなく、一人の女の子としての冬木凛を見た気がした。誰も知らない、オレだけが知っている彼女の笑顔。

「…海斗でいいよ」

「え?」

「りんって呼ぶから…りんも、オレのこと名前でいい」

 言いながらなんだか恥ずかしくなってしまい下を向いた。濡れてとても寒いのに、体の内側から熱を発しているようで顔が暑い。チラッとりんの方を見ると、彼女は実に嬉しそうに

「うん。ありがとう、かいと!」

と言った。


 りんが転校してきてから二週間。それからオレたちは仲良くなった。彼女と話すことで自然と他のクラスメイトとも話すようになったし、自分自身でも表情が豊かになったような気がする。帰り道も同じ方向なのでよく一緒に帰ってひやかされた。そんな時は怒ってひやかす奴らを追いかけたりしたけど、内心は少し嬉しかった。彼女も笑って見ているだけで、嫌がる様子はなかった。

 今年は例年よりも寒くなるとお母さんが言った。テレビには天気予報が流れていて、日本地図のあちこちに雲や雪のマークが散らばっている。この町の上にも同じようなマークが浮かび、雲の影からニコニコと笑っている雪だるまがこちらを覗いていた。

「明日は急激に冷え込むってさ。今のうちに雪用の靴でも買っておこうか」

 キッチンで米をとぎながらお母さんが言う。オレは手元のゲーム機からキッチンに目を向ける。

「えー?いらねえよそんなん!だせぇ!」

「何言ってるの、ただの長靴じゃ滑るでしょうが。いいから買いに行くよ」

 オレの言葉は一蹴される。お母さんはキッチンから出てくると、お財布とオレの手を掴んだ。そのままずるずると引きずられながら車に押し込まれる。

 今まで雪が降ることなんて滅多に無かった。明日も雪が降るって言ったって、きっとみぞれみたいなものだ。

(お母さんは大げさなんだよ……)

 むっすりとしながら車の窓に目を向け、もったりと重たい灰色の雲を眺めていた。


 次の日。オレは目の前の景色に目を疑った。広がるのは一面の白。道路の脇に生えていた雑草は頭まで隠れ、車のタイヤが四分の一まで埋まっている。お母さんもパジャマのまま外に出て、この光景に固まっていた。………急激に冷え込むとニュースは言っていたが、まさかこんなに積もるだなんて地元の人間の誰も思いはしなかっただろう。

 あんぐりと口を開けたまま突っ立っていると、奥から人影が近づいてきた。サクサクと雪を踏み、その人物はオレを見て立ち止まる。

「かいと、おはよう!」

 朝から元気に手を振るのは、もこもこの服を着込んだりんだった。


 まだ足跡のない雪を踏むと、もきゅ、もきゅという音がした。前を歩くりんは慣れた風に雪の上を歩く。オレは雪に足を取られながら、遅れを取らないようについて行く。横に並ぶと、りんが下を向いているのに気がついた。リズミカルに歩きながら、もきゅ、もきゅと音を立てる雪を眺めている。

 彼女の癖が出ている。特別寒かったり雲が重たくなると、りんは物思いにふけることがあるのだ。何をそんなに見ているのだろうと思いながらじっと見ていると、彼女はくすっと笑った。

「雪靴、おそろいだね」

 そう言って自分の靴を見せる。赤いブーツは内側にふわふわが付いていて暖かそうだ。オレはわざと「ふーん」とそっけない返事をする。

 彼女とおそろいなのが嫌なわけじゃない。ただ滅多に雪が降らないこの町に住んでいるのに、ちゃっかり雪靴を履いているのがなんだか恥ずかしいのだ。りんは雪国から来たから雪靴を持っているのは当たり前だが、学校のみんなはきっとまだ誰もこんな靴履いていない。いつもと違う、というのが嫌だった。

 空気がいつもより冷たい。肌がぴりぴりと痛むような感覚がし、顔をなるべくマフラーに隠れるように入れる。

「…………あれ?」

 ふと、後ろを振り返る。ついてきていると思っていたりんがいない。周りを見渡してみるが、白ばかりで彼女の姿が見えない。

「りん………?」

 不安になり名前を呼んでみるが、寒さに喉が震えてしまい、小さな声は雪の上に落ちた。

 そっけなく返事をしたことが嫌だったのかな?それくらいで人を嫌いになるような彼女じゃないと冷静に考えればわかっていることなのに、その時は焦りと寒さで若干パニックになっていた。オレのことが嫌いになったのかもしれない。どうしよう、どうしよう………!

「りん………りん!どこ!?」

「はぁーい!」

 どこからか凛とした声がする。キョロキョロと見回すが、どこにも彼女はいない。もう一度名前を呼ぶ。

「こっちこっち!ここだよ、かいとー!」

 声がする方を向いて目を凝らしてみる。と、何もない所からりんがぴょこりと現れた。

「ねえねえ見て。私雪だるま作るの得意なんだよ。前の学校では一番作るのが早かったの!」

 そう言って笑う彼女に近づくと、何も無いように見えた場所には大きな雪だるまが立っていた。目も鼻もない雪だるまで少し形が歪だがとても大きい。この大きさのものを今の一瞬で作ったのだろうか。

「コツは下の段の雪を転がすんじゃなくて集めるんだよ。後から雪の山を丸くするの!」

 得意げに説明するりんは雪まみれだ。暖かそうなコートも、しましまの手袋も雪だらけ。顔にも雪が付いている。

 オレはほっとしたのと呆れたのでため息をつく。オレの心配をよそに、りんは無邪気に雪だるまで遊んでいる。

(りんは雪が好きなんだろうな。やっぱり青森の学校にいた時の方が楽しかったんだろうか)

 モヤ、と心の内を何かが覆った。それは雪雲のように重たくて息が苦しくなる。

「……学校、遅れちゃうよ」

 変なモヤモヤを振り払うこともできず、オレはりんの手を引いた。りんは少し名残惜しそうに雪だるまを見ていたが、すぐに前を向いて歩き出した。


 その日は一日中モヤモヤが消えず、オレは次第にイライラしてきていた。授業中も、休み時間も、美化委員の仕事をしている時も心がざわついていた。

 クラスのみんなは初雪に喜んでいた。昼休みになるとグラウンドで雪投げをしたり、雪玉を作ったりしていた。オレはなんだか遊ぶ気になれなくて、一人教室に残って窓からその様子を眺めていた。グラウンドにはりんもいて、数人の女子と一緒に雪だるまを作っていた。ほっぺを真っ赤にしながらはしゃぐ彼女の顔はあの日中庭で見た笑顔と同じくらい…いや、あの日よりも眩しく輝いている。

 モヤモヤが強くなる。少し苦しくなり、オレは手で胸元を押さえた。


 帰りはいつも通り一緒に帰っていた。行きとは違い足跡だらけの雪道を歩く。薄暗い雲で覆われた空を見上げ、りんは嬉しそうに微笑んだ。

「青森ではもっと雪が降ったなぁ。それこそあちこちに大きな雪だるまが作れるくらいの……」

 前の学校を懐かしがるのは当たり前だと思う。友達との思い出もあっただろう。それはしょうがないことだ。

 なのにどうしてだろう。彼女の口から地元の話を聞くと、胸のモヤモヤがさらに強くなったのだ。モヤモヤ、雲はどんどん重たくなる。大きく育った雲から雪が降ってくるように、思わず口からぽろりと言葉が落ちた。

「オレ雪嫌い」

 りんは驚いたように目を見開きオレを見る。しまった、これでは彼女を否定しているみたいだ。だけど一度降り始めた雪は止まらず、口が勝手に動く。

「なんで?」

「冷たいし寒いじゃん」

「冬が来たって感じして良くない?」

「冬嫌いだし。夏の方が好き」

「うーん……」

 彼女はどうも冬が一年で一番好きらしい。どこがいいのかオレにはさっぱりわからない。イライラが積もり、オレは彼女にキツく当たってしまう。

「雪なんて冷たいだけだし。なんの役にもたたないよ」

「役にたつかじゃないんだよ。雪はキレイだから降るんだよ」

「じゃあ無くったっていいじゃんか。冬なんてなくなればいいんだ。そうしたらオレの人生もっと楽しめるし」

「人生って…大げさすぎ」

「別に?夏の方がいいだろ。美味しいものもいっぱいあるし、いろんな所に行くし。」

「冬だって、いっぱいあるよ。あっちにいた時はそれこそ」

「前の学校の事ばっかり話すなよ!!」

 彼女がビクッと震える。思わず立ち止まる。背後で「ごめん…」と小さい声が聞こえた気がした。

「…でも、でもね、冬は特別な季節なんだよ。だって…私と……」

 オレはりんの話を聞き終わる前に、彼女をそこに置いたまま走って帰った。


 その日不思議なことが起きた。おそらく夢だと思う。今年の夏だった。友達と海に行き、スイカ割りをした。祭りにも行って、花火を川でやった。

(ほら、夏の方が楽しい。やることもたくさんある…)

 秋になった。家族で紅葉狩りに行ってお弁当を食べた。親戚の家に帰った時には、サンマや柿、芋をお腹いっぱい食べさせてもらった。

(夏、秋……次は冬か。今年は何があったっけ……)

 でも、冬は来なかった。紅葉が散ると辺りは桜並木になった。道端にはたんぽぽが咲き、モンシロチョウが目の前を飛ぶ。学校にはいつものみんながいる。机と椅子は夏、秋と同じ数だけ。

(りん、は……?)

 辺りを見渡しても彼女はどこにもいない。そこにあるのは見慣れたクラスメイトの顔だけだった。

 桜が散り始め、緑の葉っぱが顔を出した。日が照りつけたかと思うとひまわりや朝顔は枯れ始め、葉っぱに赤や黄色の色がつき始める。葉っぱが全部風に舞うと桜や桃が咲き…ひまわりが咲き…葉が紅潮し……桜が咲き………ひまわりが……………。


 目が覚めた。

 夢の中で何年経ったのかはわからない。

 でも、ひとつだけ確かなことがわかった。


 次の日、また雪が降った。家を出ると、オレの家の前でりんが待っていた。少し下を見つめながら彼女は黙り込んでいる。行こう、と言って学校への道を歩き出す。彼女は何も言わないで地面を見ながらついてくる。

「昨日さぁ」

 立ち止まって話しかける。りんはぴくりと反応し、ゆっくり顔を上げた。

「夢を見たんだ」

「夢…?」

「冬がない夢。夏が来て、秋が来て、その次は……春が来るんだ。いつまでも」

「………」

 色の白いりんは背景の雪に溶けてしまいそうだったので、オレは手をつなごうとして手を伸ばした。りんはよくわからないらしく、手をつながない。

「冬がないから……りんが」

「え?」

「りんが、いなかった……」

 声が少し震えた。

「夏は楽しかったよ。秋も……冬は寒いから嫌いだ。でも、冬がなかったらオレとりんは出会わなかったね」

「………そうだよ」

 りんがそっと手を伸ばした。しましまの手袋がオレの手を包み込む。

「私は冬が好きだよ。そりゃ寒いのは嫌だけど、私と……私とかいとが出会った季節なんだよ。冬を無かったことにしないで……」

「うん……」

「私、青森でも楽しかったよ。こっちは友達もいないし、最初は毎日戻りたいって思ってた。でもかいとと話せるようになってから、毎日楽しくなった。青森にいたときよりも」

 え?と思い、顔を上げる。霜焼けなのかはわからない。りんの顔は赤かった。

 パッと笑い、彼女は学校への道を走り出す。

「雪だるま、作ろうよ!」

 オレは振り払われた手を握り、彼女に向かって叫ぶ。

「滑るよ…!」

「平気、雪靴だもん!」

 心底ほっとした。雪靴のことではなくて、彼女が雪に溶けてしまわなくて。

「春になったら花見に行こう!夏ならお祭りに行きたいし、秋には……えーとねぇ」

 どんどんりんが遠くなっていく。声が聞き取れなくなってきたので、オレも後を追って走り出した。

「…で!また冬になったら……」

 彼女が言う前に、オレが声を振り絞って叫ぶ。ありったけの本音を込めて。


「また、雪だるまを作ろう!」

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ペタルスノウ 佐藤 いくら @satoko1925

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