銭湯へようこそ!

@yoll

三助とペンキ絵師の不思議な日常

プロローグ

 探し物は何ですか?見つけにくいものですか?

 そう歌う歌手がいた。探すことをやめたときに見つかることもよくある話で。その先にはそう歌詞が続く。

 ここ、ふじの湯はそうした「探し物」や「迷子」が度々紛れ込むことがあった。


 三助として働く大久保かなめは自分の名前が女っぽいことに一寸コンプレックスを抱える三十三歳のおっさん。周りの友人が家庭を持ち始めたことを少しだけ気にするようになり、三十路と呼ばれることにまだ若干の抵抗と大部分の諦めを持ち始めたいい大人である。


 頭に手ぬぐいを巻いているが、額からは大粒の汗が流れ落ちている。そうだろう。銭湯の中で短パンにランニングシャツといういでたちだ。本来銭湯は裸で入るところなのだから。


「かなめちゃーん。こっちよろしくー」

「はーい!宮崎さん!蓑浦さん終わったらそっち行きます!」


 三助とは銭湯で「流し」と呼ばれる背中を流す等のサービスを行う者のことを言う。古くは江戸時代からある職業ということなのだが、かなめはその歴史を良くは知らない。ただ自分の仕事を黙々とこなす。それだけで良いのだ。


 掛け湯をして柚子湯に入り雄大な富士山の絵を見ながら温まったお客さんの体をかなめが洗い流す。ふじの湯の常連ならいつも見ている光景だった。


『かなめちゃーん!旦那終わったら次はこっちねー!』


 女湯から声が掛かる。そう。三助は女湯にも行くのだ。役得、と思われるかもしれないがここ、ふじの湯に入りに来る女性はほぼ十割が『ご婦人』だ。それでもこの仕事に慣れるまでは若干の恥ずかしさを感じることもあったが、その度に先代にはよくからかわれ、怒鳴られ成長していったものだと思いたい。


「分かりましたタミ子さーん!旦那さん終わったら行くからちょっと待っててくださいねー!」


 旦那である宮崎さんは妻であるタミ子の声が女湯から聞こえているはずだが何も気にしてはいないようだった。三助とはそういう存在であった。


 ***


 番頭の菊さんが暖簾を降ろす。つまり今日は店じまいだ。

 だがかなめの仕事はまだまだ終わってはいない。脱衣場の籠の場所を直したり洗面台に零れた水滴を拭ったり待合室のものを整理したり。これは本来菊さんの仕事なのだが、湯を沸かす燃料の価格が上がり始めた頃から従業員を減らして一人で切り盛りしてきた、八十歳を過ぎた菊さんには些か荷が重い仕事となっているようで、何時の頃からかかなめが代わりに行うようになっていた。


「いつもすまないねぇかなめちゃん。風呂から上がるときにフルーツ牛乳飲んでいってよ」

「ありがと菊さん」


 番台から菊さんの声がかかる。もう何年も同じやり取りをしているが菊さんが別に認知症になっているわけではない。挨拶のようなものだった。


 一通り仕事を終えたかなめは脱衣場で服を脱ぐとタオルをもって浴場へと入っていく。その後姿を眺めるのが菊さんの長生きの秘訣だとか一部の常連から囁かれているのをかなめはまだ知らない。


 「流し」で汗にまみれた体を掛け湯で洗い流し足先から柚子湯へと入る。思わず「あー」と声が漏れるのは全世界共通なのだろうと毎度のことながら思ってしまう。人間の魂がそうさせているのだろう。例外は無い。断言できる。

 柚子湯で体を温めた後体を洗い、また浴槽へと体を沈める。やはり「あー」が口を吐く。流石は身体と魂を清める日本の文化、銭湯だ。


 ゆっくりと身体を温めているとすりガラス越しの脱衣場に人影が見えた。その影はこの銭湯に只一人残っているはずの腰が曲がった菊さんのシルエットではない。どうやらこれから風呂に入ろうとしているようで、服を脱いでいるようだった。営業時間はもう既に終わっており暖簾が下げられているのに、である。

 だがかなめはそんなことは気にせずに暢気に鼻歌を歌っていた。蓑浦さんお得意の旅姿三人男だ。


 鼻歌が二番に差し掛かったときにすりガラスの戸が横に開くと一人の疲れ果てた感じの中年がタオルで前を隠しながら入ってきた。


「かなめちゃん今日もお疲れ様」

「あ、福さんお疲れ様です。今日も疲れきってますね」

「ホントホント。世知辛い世の中になったこと」


 そう言うと福さんと呼ばれた中年は掛け湯を何度か行うと柚子湯に足先から入る。


「あー」


 至福の顔で福さんの口から声が漏れる。無論タオルは湯船に入れてはいない。その禁忌を犯すと常連から背中に紅葉の花を咲かされても文句は言えないのだ。


 暫く二人は無言で目を閉じその柚子湯を楽しんでいたが、福さんが額から流れた汗を手のひらで拭った。そうした後ふぅと気持ちよさそうに息を吐くと湯船のふちに腰掛ける。いわゆる足浴の構えだ。上半身からは真っ白い湯気が上がっていた。


「かなめちゃんまた頼めるかな」

「あ、はい」


 福さんはにっこりと笑うといつの間にか手にしていた薄汚れた小さな兎の人形をかなめの前に突き出した。

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