第30話 ストーカー
若店長が何度か新田を見舞いに行った帰り。
その日も新田に花束を持って行き、余ったアレンジメントを何処に置くか病院内をウロウロしている時だった。
若店長はちょうど三階の待合室から出ようとしていた。
その時だ。
すぐ側にある廊下の向こうの階段を上がってくる人影に気づいて思わず壁に身を隠す。
(如月———⁈)
間違い無く如月冬哉が階段を使って上の階に向かっていた。ジーンズによく見るグレーのパーカーを目深に被っているが深緑の髪が見えていたし、何より見慣れてしまった背格好は間違いようがなかった。
若店長は咄嗟に如月の後を追ってそろそろと階段を上がって行く。
もちろん行き先は五階の新田のいる部屋だ。
「…ったく、如月の奴、困った奴だよ。行くなって言ってるのに、これだよ……」
若店長は髪をかき上げながらぼやく。
それにしても見張り役のアガサが付いていないとは、上手く撒いてきたというわけだろうか?
アガサの足では若い如月には勝てなかったのは納得がいく。見張りもこれでは役に立たないじゃないか。
ダイエットを勧めた方が良いな、そう思えた。
五階に着くと如月は新田のいる部屋の前でウロウロしていた。中へ入るか、やめておくか散々迷った後、今度は壁に背を預けて待つような気配を見せている。
若店長は二十メートル以上離れたエレベーターの踊り場からこっそりとそんな如月の様子を伺っていた。
如月はその間携帯を触りながら病室の前から動こうとはしない。もしかして新田とは携帯で今もやり取りが有るのかもしれない。
(不倫してても便利な時代だな)
と、若店長は変な所で感心する。しかし、連絡を取り合っているかどうか本当の所はわからない。
今度新田に会ったら聞いてみよう。そう思って……やめた。
(バカらしい。人の痴情に関わるなんて……。僕は新田さんに無事退院して家族の元に戻ってくれたらそれでいいんだ。
この人達が不倫を続けようが全く関係ない。断じて関係ない)
若店長はため息を漏らす。
「なんで……こんな事やってるんだか……」
そう呟いた時、如月に話し掛ける妙に派手な服装の男性がいた。
いつもいるアガサの部下の男性だ。二言三言何か喋って、如月がその場を離れるようにアゴで、あっちへ行けと促している。
その横を新田の妻ユイとカナエが何も気付かずに通り過ぎて行く。
ひどいニアミス。
若店長はあまり心臓によく無い一瞬に、開けたままの口が塞がらない。冷や汗が出てくる。
(如月の奴………、自分が爆弾だってわかってんのかよっっっ!)
覗いていたのがうっかり、結構はみ出ていたのだろう。こっちを振り返った如月とバッチリ目が合ってしまう。
如月の目が驚きでくるくると見開かれている。
しかし、開き直ったのかすぐに、若店長を見つめる目が、赤い唇が妖艶に微笑む。
若店長はバツが悪そうに髪をかき上げ、その場に立ちつくすしかなかった。
(何やってんだろう、なんか自分のがコソコソと……)
若店長は少しきつい目をしたままこちらに向かって来る如月を正面切って向かえる。
「アガサはどうした? 休みな訳ないだろ?」
若店長がそう言うと、如月は口角をニヤリと上げて得意げに言う。
「撒いてきました。アガサさんが電話して後ろ向いてる間に……。好い人なんだけど、アブラギッシュだし……。正直、ごめんなさい、なんだけど……。
それで、店長さんは俺の見張りに来たの?」
「いや、ここでの花屋としての仕事が終わったところだよ。
たまたま、おまえがいた、それだけだ」
「ふーん、それはそれは、お疲れ様です。
俺は新田には会ってませんよ。約束だから……。
店長さんもアガサさんも一体いつまでこんな事を続ける気ですか?
まさか一生俺に付いて回るんじゃないですよね
こんな事してて楽しいの?」
そう言われて若店長はムカッとなって思わず言い返す。
「楽しい訳ないだろう。やってるのは新田さんの為だ。
お前こそ、そのストーカーみたいな事をやめたらどうだ? そうしたら僕も何もしなくても済む」
「ストーカー? そんな大袈裟な事してませんよ」
如月はクスッと笑うとそのまま階段を降りて行こうとする。
如月は笑っているが、ストーカーの一番厄介な事はやってる本人に全くその自覚が無い事だ。
(ったく………、しぇれぇっとしてやがる。反省しろよ)
若店長はやれやれといった感じで如月の後を追って行き、肩を並べて歩きだした。
「新田さんに会いに来るおまえの気持ちは痛いほどわかるつもりだ」
パーカーを被ったなりの如月はチラリと若店長の横顔を見上げるとまたクスッと笑う。
「今、紫ちゃんとラブラブのくせに、不倫やってて捨てられた俺の気持ちがわかるっていうんですか?
笑っちゃうな。
会う事が許されない人に、会いたい……、そんな切ないイライラする気持ちが……わかる訳……ない」
如月は若店長の言葉をバッサリ叩き切る。
「いつも……、店長さんに新田の症状聴くだけだと……足らなくて。
約束は破らないように気をつけて病室前までにしてる。絶対に会いには行ってない」
健気だな、とは思うが……、
「おまえから新田さんを忘れさせる方法があったら知りたいものだな。
手っ取り早く新しい恋を探せよ。おまえならすぐに好い人が見つかるから……。新田さんに似た人を探せよ」
「似た人は……新田だった」
ボソッと如月はそう呟いた。
「えっ?」
「いや、何でもないです。
新田を忘れるのは無理です。次の人も探さない。探せない」
如月の気持ちは痛いほど分かる。若店長も次の恋なんか探せないだろう、紫を想い浮かべながらそう思っていた。
二人は揃って病院の表玄関から出て行く。
「店に寄って行けよ。少し六時には早いが……、どうせバラを取りに来るんだから」
如月は携帯で時間を確認すると、それじゃあ、行きます。そう言って若店長と共に歩きだした。
病院を出てしばらく歩くと、前から帰宅途中の女子高生が数名ジロジロと容赦ない視線を寄越してきた。
若店長が、
(如月、目立つよなぁー)
と思っていると如月が、
「店長さんといると目立って嫌だなぁ」
などと言ってくる。
「逆だろ、おまえじゃねぇの?」
そう返す。
「店長さんですよ。店長さんは新田に比べて若いから同性のカップルに見えるんですよ。
新田はキチッとした上司みたいで、変な目で見られる事はなかったんだけど……」
「僕は自由業だからな、はは。そう、カップルに見えるんだ——」
全然嬉しくはない。つい最近紫と一緒に歩くこの道は嬉しくてポカポカするのに、今は冷や汗しか出ない。
それでも………、
「新田さんはおまえみたいな美少年を連れ歩いて、鼻が高かっただろうな。
おまえがいて新田さんは幸せだったと思うよ」
隣で如月が笑うのがわかった。
「俺も幸せだった、そう思ってます」
如月の中でも新田と一緒に歩いた、いつの日かを思いだしていた。
好きな人と一緒に歩くのはとても楽しかった。ただの通い慣れた道でさえ……。
「わあ………?」
画家の花屋に着くと店番を百合から交代したばかりの紫がエプロンをつけている所だった。若店長と如月が一緒に店内に入って来たことに、ビックリした声を上げている。
「どうしたんですか? 店長」
「病院で偶然会ったんだよ」
「ストーカーしてる所を発見されて怒られていたんだ」
「はぁ……?」
冗談では無い所が怖い。紫は若店長と顔を見合わせ不思議そうに小首を傾げてくる。
(怒ったのに、仲良く来店、ですか?)
(行きがかり上だよ)
若店長はいつもするようにバラを一本ショーケースから取り出し、紫の手に渡す。紫が透明なセロファン紙でバラを包んでいく。
「なあ、如月。
このバラの受け渡し、ずーっと続けるのか? 七十年なんて事を新田さんには言われたんだけど……。
おまえ的にはどう思ってるんだ?」
良い機会なので思わずそう聞いてみる。
如月はイタズラが見つかった子供のように笑った。
「ははは、七十年かあー、新田も思いきった事言いましたね。七十年は例えですよ。
俺が……、新田を忘れるまでとか言ったと思いますけど……」
「ああ、確かに」
「俺が新田を忘れる訳ないのに……、それこそ永遠に……。
でもとりあえずは俺がバラ園を完成させるまで位を思っていて下さい。
それまでは……、こうやって新田から毎日バラの花束を貰わないと……、挫けそうで……」
「応援しています。ですね。バラに込めた想いは?」
紫が明るい声を上げて、閃いたとばかりに両手をパチンと鳴らした。
「ほら、この間の。新田さんがバラに込めた想いは……」
紫は若店長の袖を引っ張りながら声を上げる。
「ああ、あれね」
若店長は隣で頷く。でも、天井をあおぎながら、
(そうかな?、違うんじゃないかな。新田さんが考えるには、なんかしっくりこないなあ——)
そう思えた。
「なんですか?」
如月が自分達の事を言われていると気付いて、おずおずと聞いてくる。
「ああ、この毎日のバラの意味だよ。
僕たちは最初これは、バラの意味そのままに〜愛してる〜の意味を込めて贈られてると思ってたんだ。
でも、新田さんからは、君への手切れ金の代わりで〜さよなら〜の意味があるって言われてね。
花屋としては以外な使われ方をされて驚いたんだけど……」
「如月さんは毎日〜さよなら〜を受け取りに来てるわけじゃないんでしょう?。
……と、私達は思ってます。
如月さんが喜びそうな意味が込もってなきゃ毎日取りになんか、普通来ないでしょう?」
紫と若店長にじっと見つめられて如月は少し後退る。人付き合いは苦手な性格だ。
「いっ、意味なんか……」
照れた顔をした如月は今にも回れ右して走り出しそうだ。
紫と若店長は余りにもプライベートな事を聞いてしまったと後悔する。
「あー、言いたくなかったらいいんだよ。別に……」
「内緒です、二人の……」
如月は小さな声でボソリと言うと、次の瞬間にはその口角をニヤリと上げて言ってきた。
「なんだか……、俺たちのベットの中まで想像してそうですね?。そんなに俺たちに興味がありますか?」
「?!」
ムカッとくるような言い方に若店長は顔をしかめる。紫も黙りこんでしまう。
男同士の夜なんか想像も出来ない二人だった。
「怒りました?」
黙りこむ二人に如月が笑って言う。
静かに冷ややかな目で如月を見返す若店長の指がカウンターを、トトトトトと叩いていた。
(こいつの持っている二面性が時々顔を出すな……。
新田さんが妙に見張ってくれと言って来るはずだよ。
トゲが剥き出しの野生のバラのようだ。油断すると痛い目に遭いそうな奴だ)
若店長はそう思えた。
「はは……あいにくウチは花屋なんでね。花に関する事以外は興味なしだ。
おまえに聞いたのが間違いだった。もう、聞かないよ。
僕たちには全く関係のない事だから」
あいかわらず若店長の突き放すような言い方に如月も胸が痛んだのか、
「すいません、変な事言って……」
ポツリと一言謝ってくる。
(心底……この人とは交われないな……。自分にはキツイ人だ。新田のように甘々には自分を受け入れてはくれない……)
そう思うと寂しさが募る。如月にとって若店長は淡い恋心を抱いた人なのだから。
「ありがとうございます。帰ります」
如月はそう言ってバラを一本掲げて背を向けた。
その頃になってようやくアガサが駆けつけて来る。アガサが若店長に向かって、すまんと手を合わしていた。
「……ったく、気にいらねぇ」
若店長がボソリと呟く。
「……内緒」
と隣で紫が可愛いらしくしなを作って若店長を見上げる。
「えっ、何?」
「内緒ですよ、内緒。二人だけの秘密があるっていうのは、それだけ二人が信頼しあっているって事なんですよ。
いいですね……そういうの。
バラに込めた想いは気になるけど、聞いた私達がバカでしたね」
紫はニコニコと笑っている。思わず若店長も笑って頷いた。
「僕にも早く内緒の花束を贈って欲しいな」
そう言って二人は軽くキスしあった。
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