第15話 九月 早番

夏の暑さがぶり返したかと思うような九月の火曜日。


若店長は早あがりのため店の奥の雨森家の屋敷の方にいた。

若店長は休みがほとんどないため、雨森家ではこういう体制を作っている。これひとえに紫というバイトがいてくれるおかげである。

風呂上がりに扇風機の前で缶ビールのフタを開ける。


「あー、生きかえる——」


若店長はパンツ一枚のまま、バスタオルで濡れた髪をガシガシと乾かす。

食卓の上には晩飯の餃子がある。それを摘みながらビールを飲む。

時計を見るともうすぐ五時になるところだ。新田が来る時間だった。

紫から新田と病院で偶然会ったと聞かされ、百万本のバラうんぬんの話を聞いたが、今ひとつ、彼らのこの秘密の儀式が何なのか理解出来ない。


(男同士の同性愛だし、しかも、新田さんは不倫も重なってるし……他人には二人の愛情がどんな感じで、どう表現されてるなんて分からないからなぁ。

こんな手間のかかる変な客は今までなかった。

仕事とはいえ、付き合うこっちの身にもなってほしい。

まったく……いつまで続ける気だろうな)


ビールを飲みながらぼやく。


(新田さんが来るのは別に問題ないが、あの如月冬哉という若者は……気に入らないな。

気に入らないのは全く礼儀知らずな話し方と、とりあえず若い。紫の恋愛対象に充分なり得るくらい若い)


「紫ちゃんはあいつに目がいってる。そりゃ……まぁ、十代の女の子は某アイドルグループ並みの美形が大好きなのは知ってるよ。三十を越えたオッサンが振り向いてもらえるはずもないよな——」


「何、自暴自棄な事言ってるのよ」


「母さん……、居たのかよ」


おもいっきり一人言を聞かれていて若店長は恥ずかしくなる。


「紫ちゃんとは全く進展がなさそうだね。だったら、このお見合いの話……どうするの?」


食卓の上には母の百合が何処からか持ってきた見合いの相手の写真があった。


「断りますよ」


「いいの? 紫ちゃんからいい返事がもらえなかった時の保険として、こっちは待っててもらう方向で調整しようか?」


若店長は指で机をトントンしている。イライラしている証拠。


「断わって下さい」


そう冷やかに言い放つ。

若店長は鼻から、ふーっと息を吐いて、母親に言いたい事をぶちまける。


「見合いなんかしませんよ、僕は……。

大学出て、これから親父にいろんな事を教えてもらおうって時に、親父が急に亡くなって、必死に店と『きぼう』を守ってたら、当時付き合っていた彼女とは疎遠になり自然消滅。

あまりの忙しさに僕には恋なんかしている暇もなかったっていうのに、今度は跡継ぎですか?

一体、僕をなんだと思っているのやら。生殖するだけの人生なんか御免ですよ」


苛立つ気持ちはそのまま荒い言葉になり声も大きくなる。逆に百合は小さくなって頭を下げてしまった。


「はい、はい、ごめんごめん、悪かったわね。芳樹の好きにしなよ」


そう言いつつも母の百合は見合いの写真の女性を見つめている。

若店長はビールの缶を空けると服を着て食卓を離れる。

母に今の自分の苛立ちをぶつけても仕方がない。

紫と出会うタイミングが悪かった。ただそれだけだ。十才以上も年が違うと紫の目には僕は恋愛対象としては写らないのだ。

たとえ如月がゲイでも、新田という相手がいようが、紫は感じるままに如月を好きになっている。


「……ったくよぉ」


若店長は渡り廊下であぐらをかいて座る。庭からの風が網戸を通してすり抜けていく。『きぼう』の白い花が夏でもポツリ、ポツリと咲いていた。


「この花はもしかして失恋する花なんじゃないの? じいちゃん」


『きぼう』の花の因縁みたいなものを思うと先先代の恋の結末がつい頭をよぎる。


「想いは伝わっても結局実らないとか……」


ゴロンと若店長は廊下に寝そべる。床がとても冷たくて心地よい。


まさか自分が恋をするとは思わなかった。

連日忙しい上に、クリスマスを前に花束の予約で一杯になる。誰でもいいからアルバイトが欲しかった。動けそうな人物なら誰でも雇うつもりでいた。そしたら———、紫がやって来た。

黒髪セミロングの高校生。不思議と目がキラキラと輝く可愛い子だった。


(まさかの一目惚れだよな——。

あんな風にバラに包まれる所を見せられたら運命の子だって思ったんだけどな……)


トタトタと廊下を歩く音がして若店長の上に


「はい、あーん」


と言って手が伸びる。咄嗟にそれを口でうけたが、


「すっぱっ!」


梅干しだった。


「紫ちゃん、まじ、すっぱいんだけどぉ」


紫がクスクス笑いながら食卓にいる百合の所へ駆け込んで行く。


「お母様ー。近くのミツエおばあちゃんから自家製の梅干し頂きましたぁ——」


若店長の顔が梅干しのようにしわしわになった。


口をもごもごしていると紫が窓際に立つのが見えた。


「夏は『きぼう』はあんまり咲かないんですね。葉っぱばっかり……」


「うん」


心地よい風が吹き抜けて行く。


「なあ、紫ちゃん」


「はい」


「紫ちゃんは如月さんがゲイかバイかどうかは知らないけど、そんな人でも好きなのかい?」


若店長はそこの所をしっかり紫に聞いてみたかった。

紫がチラッと寝転ぶ若店長を見下ろす。


「好き、というか気になるというか——」


紫の心の中では寝転がっているこの人の方が気になってしょうがないのだけれど……。


「店長が前に言われてたように私、如月さんに惑わされてるんだと思います。

人を恋する気持ちは突然やってきて、走り出したら止まらない——。そんな感じです。でも、その気持ちは毎日一分で終わっちゃいます」


「一分? ああ、如月さんは喋らない人だし、すぐ帰るよな。紫ちゃんと如月さんの接触時間といえばそれくらいだよね」


「だから、発展はしないと思いますよ。何より新田さんがあんなに熱烈に愛してるのに、私が入る余地なんかないじゃないですか」


「ふーん、ちゃんと自覚はしてるんだ」


なかなかの朗報ではないか、と若店長は思う。紫はまた別の人を探すと言う。ただその別の人が自分ということはない。


「さっさとこの気持ちを追い出して、一分で終わる恋じゃなくて、一生続く恋を見つけないと、って思うんですけど……」


見上げていると、紫のスカートが風で揺れる。紫の黒髪もサラサラとなびいている。


(僕じゃダメか?)


そう言おうとしても口が動かない。ここで完全に自分を否定されたら明日からもう立ち直れそうにないから。

店長とバイトというただそれだけの関係でもいいから紫との絆をつないでいたかった。

今はただ……。


「じゃあ店長、私お店に戻ります。

今日はお疲れ様でした。おやすみなさい」


紫はトタトタと足音を響かせて店へと戻って行く。


(高校卒業後はどうするんだろうな……。出来れば続けて欲しい……というか、本気で嫁に欲しい)


妄想ばかりが先走る。


( しかし、何にせよ今日の最後はいい事があった)


若店長はニヤける顔を叩いて起き上がる。

風に揺れるスカートの中、白いパンツを履いた紫のかわいいお尻が拝めたのだから。

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