水晶のチョコレート

区院

八つ時とあの日


 プリンに溺れて死にたいと言ったのに、彼はチョコレートケーキを作ってきた。


 カフェ・ローズの木のカウンター席に腰掛け、メルは眉間に皺を寄せる。桃色の髪にロングワンピース、おまけに人形のような顔立ちなのに、口はへの字に曲がっていた。


「私の知ってるプリンはこんな色してないんだけど」

「僕はあくまで、何食べたい?って聞いただけ。発言と約束は違うんだよ」


 屁理屈を当然のごとく言う。ローズ・オーツという男はこういう奴だ。なんだか言い返す気も失せてしまって、ケーキを口に運ぶ。甘さがふわりと広がって、メル好みのビターなクリームがすうっと溶けていく。飲み込んですぐに、皿を布巾で拭きはじめたローズの手にチクリとフォークを刺した。

 

「痛っ、なんだよぉ」


 彼は軽く笑いながら声を上げる。菓子作りの腕だけは一級品だから腹が立つ。静かな怒りは口に出してはやらない。言ってしまったら多分、手を止めて自慢げに笑うだろう。


 メルとローズ以外誰もいない店内に、パチパチと暖炉の火が燃える音が響く。窓の向こうには曇り空があった。今は午後3時。日が沈めば恐らく、雪が降る。


「美味しいでしょ?」


 ケーキの二口目を口に入れた瞬間だった。皿を戸棚にしまい終えたローズは、自信ありげな眼差しでこちらを見てくる。脳裏に出会ったばかりのあの日の記憶が蘇った。


『もし僕のお菓子が君を満足させられるものだったら、メルの旅に僕を連れてって』


 ローズと勝負に似た約束をしてから、もう1ヶ月が経つ。メイプルツリーの下、燃えるような赤い葉が降る中で彼は真っ直ぐに言ってきた。


 世界を飛び回る歌姫として噂されている、メル・アイヴィー。メルの祈りの歌は魔法と称され、いつの日か聴けば何でも願いが叶う歌だなんて誇張されて広まっていた。本当のところは「何でも」というわけではない。メルが心から祈った時にだけ、その祈りに答えるような力が生み出されるだけなのだ。おまけにメル自身、何が起こるかも分からない。


 何でも叶えてくれる歌姫。歌姫はいつの間にか人と会話することも面倒になってしまった。たくさんの人に会ってくると、よこしまな人間が口を動かす度に「この人は私の歌が狙いだな」とかそういうものが手に取るように分かる。分かってしまう。分かりたくないのに。


「メル、聞いてる? 今日こそ合格でしょ?」

「……うん。まだ普通かな、不合格」


 淡々と告げると、「なんだよぉ」と言いながら彼はカウンターに倒れ込んだ。その言い方が面白くて、メルは口元を隠して笑う。そこまで合格したいのならプリンを作ればいいのに、いつも適当な理由をつけてローズは頑なに作らない。


 ローズは流し台から皿を取り、また拭き始める。皿に水滴はついていないように見えた。


 メルとローズが初めて出会ったのは、メイプルツリーが色づいた葉を落とす森の中だった。


『あの町に入りづらいんでしょ。分かるよ、僕もそうだ』


 1ヶ月前、町に入ると嫌でも人と接することになるので、メルは森の獣道で空腹に耐えながら歩いていた。そこに声をかけてきたのがローズだった。ローズは「お腹減ってるんでしょ、歌姫さん」と焼きたてのクッキーが入った袋を持って近くの切り株に腰かけるよう勧めてきた。


『慌てて食べなくてもいいのに。まだまだ売れ残りがあるから』

『こんなに美味しいのに?』

『……美味しいだけじゃダメなんだよ』


 ポツリと零すように話し始める。彼の、ローズ・オーツの母親は、以前の町長の愛人だった。母が病で亡くなった後、ローズは町長の家へ押しかけた。何故母を見捨てたのか、薬代のひとつもよこさなかったのか。警官も呼ぶほどの大きな騒ぎになったその事件は、町長の株を大いに下げ、次の投票で町長の肩書は別の人物に移ったそうだ。


『僕はどこまでも【愛人の息子】でしかないからね。物語に出てくる愛人ってさ、みんな悪女だろ? 僕はその子供だから』


 人生は物語じゃないよ。そう言いかけた唇は途中で動くのをやめた。


 ローズは己の責任ではないしがらみの所為で、町の人から避けられているらしい。力なく笑う彼に、メルは何か細く透明な繋がりを感じた。


『そのチョーカー綺麗だね。何の宝石?』


 何も言わないメルの首元を覗き込んで、ローズは指でチョーカーを撫でた。彼の柔らかな笑みのおかげか、触られたことにも顔の距離が近くなったことに対しても、不快感を抱かなかった。


『わかんない』

『そっか。この辺は宝石が取れる所とかないから、そういう石が珍しいんだ。盗られないように気をつけなよ』

『……うん』


 チョーカーの宝石に触れながら返事をする。そして、心臓の奥に宿った疑心暗鬼の塊を恥じた。てっきりこのまま顔を思いきり殴られて、チョーカーを引きちぎられるのかと思った。今までの旅の中で、そうなりかけたことがあったのだ。ローズの顔を見ると思いきり目が合った。「なに?」と言いながら首を傾げる彼の、大きな瞳。


『町を出たいとは思わないの』


 気が付けばそんなことを口走っていた。


『え?』


 ローズは僅かに眉をひそめる。


『あなたは優しい人で、お菓子作りも上手。私が今まで見てきた国でならきっと、もっと楽しい生活できると思う。歌姫なんて呼ばれて、人生もてあましてる私よりもずっと、あなたは幸せになるべきだよ』


 しばらく人と話をしてなかったからか、つらつらと閉じ込めていた言葉が出てきた。自分でもびっくりしてしまう。メルは言い終えてから「ごめんなさい」と呟いて俯いた。


『それいいかも。出ていくとか考えたこと無かったよ』

『……うん』


 笑いながら言う彼に、少しばかしの安堵を覚える。変なことを言ってしまったから、嫌われてしまったのかもと心の奥で不安だった。


 その後他愛も無い話をしていくうちに分かった。ローズは町から逃げ出したいわけじゃなかった。淡々と、ただ日々を過ごしていくことに満足している節がある。しかしメルが今までの旅の話、星の列車や雨の歌の話をしていくうちにローズの顔は期待に溢れていた。


 子供みたいな人だと思った。ちょっと口も悪いけど、痛いほどに透き通った人。もし彼と一緒に旅をしたら。そんなことを思ってしまうほどに真っ直ぐな人だった。


『もし僕のお菓子が君を満足させられるものだったら、メルの旅に僕を連れてって』


 だから、他の人なら絶対に頷いたりしない約束に、いいよと言ってしまったのだろう。

 

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