幕間 先行した三人

 ここまで来れば街からもそれなりに離れたでしょう。人混みに紛れて街から出て数え数百秒。逃げる人々の波に乗りながらだから……


「ざっと数百メールは離れたかしらね。ヤマトたちは無事かな」

「大丈夫よ。きっとね」

「向こうにはベロニカが居ます。彼女なら皆を安全に脱出させてくれるはずです」


 シャリアがそこまで言うのなら信じましょう。まだ彼女たちと会って数日、ヤマトと違って信用しきれていない部分もあるけどね。

 

 木々の間から街の方を見れば黒煙が何本も上がっている。今でも黒煙を見ると頭の片隅がズキリと痛んであの日の記憶が蘇る。立ち上る黒煙、崩れる家屋、聞こえる呻き声。鼻奥にこびりつく焼け焦げた臭いは今も消えることなく。目の奥に焼き付いた父の骸。

 瞼を閉じれば最期がありありと思い出せる。


「はあ……ダメね、今は」


 自身にしか聞こえない程度の声で呟き零れかけた涙をこっそり拭うと頭上を見上げ、木の上に登っている二人を探す。





「見えませんね……」

「仕方ないよ。木も多いし、壁もあったし。なにか聞こえたりはした?」

「木材を壊す音が連続しています。多分件の魔物なんでしょうね」


 私もシャリアも感覚は鋭い方だと自負している。私は目が、シャリアは耳がよく今も街の方から色々な音が聞こえているはずだ。ただこの目にはまだその魔物は見えていない。逃げる人々の中にはその魔物を見た人もいて、彼らによると大きさは十メールに届くとか。それだけの体躯だと言うのに、周囲の環境もあるが、その姿が見えないのはなんとも不安を煽る。もしかしたらその魔物はこの付近に潜んでいて、街の方は囮なのでは、と。

 この森の魔物は凶暴だ。それは純粋な力と言う意味も、狡猾さという意味も内包する。大木すら簡単にへし折る剛力を持つ魔物がいたと思いきや張り巡らせた罠を二重三重と使い潰して本命の罠に誘い込む知能を持った魔物が襲いかかる。この森で種族として生きていけるのは蓄積された知識故。仮に真っ向から相対したとして勝てる見込みは少ない。 

 出来るとすればあの少女くらいなものか。銀髪を靡かせ、私でさえ美しいと思ったシャリアの友人。私の奥底に秘められた想いを解く前に現れた新手。

 だが今はそれに頼るしかない。例え、二人の仲が進展する可能性があったとしても───


「シャリア、エルッ!!」


 真下から唐突に名を呼ばれる。しかしそれよりもほんの一瞬早く木から足を離していた様子のシャリアを見て躊躇なく飛び降りる。


 木の葉の壁を落下しながら抜け、地上までの数秒で見たもの、それはあまりに驚異的で文字通り脅威だった。

 地面を覆い蠢く無数の影、それはこちらへ向けかなりの速度で移動している。そしてその影の主はこの森に住まうものならば誰もが知る、ある種恐怖の象徴だった。


「貴族蜘蛛の大群!?」

「この数全部幼体……まさか親が近くに!?」

「シャリア、お願い!」

「任せてください。エルは露払いを!」


 地面に降り立ち、絨毯のように遠くまで延々と蠢く貴族蜘蛛を横目に、杖を構え無数の光魔法を放つルルをシャリアが抱え上げる。ジタバタするのを抑えつつその場を離れる。私は使い捨てのナイフを地面に刺し、一気に魔力を流し込んでから離れる。

 得意の幻影魔法で風の魔法を再現しつつ自分ごと押し出して一気に跳躍、先を行くシャリアに追いついた。その背後では先のナイフに刻まれた魔法陣が爆破し一時的な煙幕を作り出した。


 追いつくと案の定というか両手で前に抱えられているルルは状況が呑み込めずジタバタしている。


「ちょっと二人ともどういうこと!?まだヤマトたちが来てない!」

「ルルちゃん、よく聞いてください。あれは貴族蜘蛛という魔物の幼体です。未成熟の貴族蜘蛛はああやって群れを作ります。しかしその数は多くて四十から五十。あそこにいたのは恐らく数百体。となると、親がいます。あれは統率された集団になります」


 風を切る音に紛れ、ヒッと息を飲み込む音がする。

 統率された集団は統率の取れていない集団に比べ数段危険度が上がる。変わらず数で押す事が主戦法だとしても特定の敵を数で囲む、連続攻撃といった戦略を扱うようになる。

 敵が特定の一人を叩くようになればこちらは集団として一瞬で瓦解する可能性が出てくる。あまりにも狡猾で有用な手段だ。


「貴族蜘蛛はね、幼体ならば数で押され、成体なら罠と毒でこちらを殺しにくるの。遭遇したら真っ先に逃げるか死を選ぶほどには危険な魔物。あれはまだ幼体だから一体一体は弱いけどあの数を私たちだけで対処するのは無理。それに既に私たちを見られてる。合流する間もなく死ぬよ」

「くっ……」


 それを聞いたルルは悔しそうに俯く。それは先程対応できなかったことへか、それとも実力が無いからの撤退へのものか。どちらも正しいだろうがどちらも間違いだ。


「まだ追ってきてる……振り切れそうにないね。どうにか街の方に戻りたいけど、この様子じゃ無理。シャリア、木の上で籠城しよう。葉に隠れれば追ってはいくらかはマシになると思うから」


 背後を見るとまだ追ってくる。振り切れていない事実に歯噛みしながら何とか使えそうな木を探す。

 さっきまで登っていた木はこの周辺ではかなり大きな方だった。あれと同等とまで行かなくても高さが十メールはある木を見つけたい。

 走っていると道が近いのか茂みは多いが木は少なくなってきた。これではダメなのに。

 だんだんと息が切れてきて、走ることもきつくなってきた。元より走ることは好きだがこんなに長く、しかも全力で走ることは無い。


「エル、こっちへ!」


 そんな時だ。

 真横から白い影が消えたと思ったら真上から声がした。直後引っ張られるような感覚があり反射的に地を蹴って上へ跳躍する。身体には細い紐のようなものが巻きついていて次第にハラリと解ける。その先はルルの杖に繋がっていた。どうやら彼女が咄嗟に引き上げてくれたようだ。枝に何とか着地し下を見れば、土煙を巻き上げて疾走していく魔物たち。気づいていないのかそのまま直進していく。一時的にとはいえ姿を隠すことに成功した。


「ルル、ありがとうね」

「良かったわ間に合って。ギリギリだったわ」


 確かに自分で跳んだと言ってもじゃっか足の裏に魔物の身体が掠った気がする。本当に危なかった。

 

 しかしようやく一息つけた。

 枝に座り込み、地上の蜘蛛達を見下ろしながら皮袋に入れてある水を口に含む。カラカラになった喉に水が染み渡り、疲労で鈍っていた思考が動き出す。


「さてと……二人はこれからどうするべきだと思う?私はこの大量の蜘蛛たちを前にどうするのが最善かわからない。この土地に住んできた貴女たちの意見を聞かせてちょうだい」


 忘れがちだが、ルルは私たちのサブリーダーだ。こういう時まとめるのは彼女の仕事なよである。

 話が脱線しかけたが、私とシャリアは幾つか案を考える。この森で生きてきて親から教えられた術や本で得た知識。その全てを動員して意見を交わして数分……


「わかったわ。それで行きましょう」


 ここから私たちがどう動くのか。その案がまとまったのだった!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る