追跡行

「この目印だから……こっちだ!」


 森の中を小柄な馬に乗って走る集団が一つ。

 その馬は森の中の荒れた土地を難なく走ることが出来、木の枝などに当たらない身長の低さで、搭乗者も枝などに当たり怪我することが少ない。


 この大森海の近辺で繁殖させられている品種で、小柄だが成人二人分の荷を乗せて走れる膂力と安定性の高い馬として早駆けや行商には不向きであるものの、山や森などで生活する人々にとっては大切な足として使われている。

 彼女ら〈狩人の乙女〉にとっては大事な相棒たちだ。



「隊長、確かにこの辺り……変です」

「私も感じていたわ。魔物を含めて生き物が居ない。まるで怯えてるみたい」


 森に入ってから約一時間。

 ダルクという男性が逃げる時に付けてきたという目印を逆向きに辿り続けている。

 しかし、〈狩人の乙女〉らにとってはこの辺り、大森海の浅層程度ならば目印や森の地形を記した図など無くとも進むことが出来る。

 それほどまでにこの森を熟知している彼女らでさえ、このような事態はあまり経験したことが無い。


 森の生物が皆殺気立っていることなどは大森海全体で稀にあり、大暴走スタンピードの予兆とされているが、逆に怯えきって何も表へ出てこないと言うのは浅層では見たことがない。

 それこそ深い場所へ行けばそのような光景は稀にあるのだが……


「第一層の第十二区域に異常事態、危険な魔物、場合によっては魔獣級の存在の可能性も有りうる」


 隊長の報告を手元に書き写す副隊長を横目に、ダルクは近くにいたもう一人の副隊長、モルネに問う。


「ど、どういうことだ?」

「魔物が殺気立つのは少なくともが有るという事です。どんなに強力であろうと魔物であるならば数で対抗出来るからです。しかし、魔獣であった場合は……」

「場合は?」

「魔物を含めた生物は怯えるのです。どう足掻いても勝つことは不可能なのですから」


 魔獣には勝てない。その通りだ。

 例えば豚鬼王オークキングなどは敵対する魔物の数を超えた同族の魔物による数の暴力で、龍などは存在そのものが魔物より上位だ。


 そのような存在が現れた場合、真っ先に反応するのは魔物や野生動物だ。生存競争を生き延びるために彼らは自身の生死が掛かる事態、いわゆる恐怖心を感じることに対してはめっぽう鋭いのだから。


 そうでは無いのが人間だ。数は増えやすくとも魔物より弱く、果ては野生動物よりも弱い。当然ながら魔獣よりも下だ。生存競争において下すぎる人間はその恐怖心を鋭く感じる感覚はもはや無い。


「それでも私たちは欲望のためにこの森へと足を踏み込むのです。たとえ、生物本能に何も感じない、感じれないほどの強敵が居たとしても、です」


 ダルクはその言葉をそのまま受け取るしかない。


「………っ!」


 すると、先頭を進んでいた〈狩人の乙女〉隊長のサーサが足を止める。


「隊長、どうしました?」


 隣を進んでいた副隊長のシンスも馬を止め反応を待つ。


 周囲を見回し、彼女は少し思案する。

 そうしてまた耳を澄ましながら周囲を見回していく。


「あのー、隊長?」

「シンス、モルネ、いつでも戦闘が出来るように全員に通達。あと、ダルク殿」

『りょ、了解』

「お、おう。なんだ?」

「ダルク殿が来たのはこの辺りで間違い無いのですか?」


 彼女は木の表面に傷をつけるように付けられた目印を指さしながら問う。


「馬に乗っていっから正確にゃわからねえが……多分そのはずだ。でもよ、どうしてだ?」


 すると彼女はまた少し思案して答える。


「単なる勘としか言いようが無いのですが……」


 少しだけ間を置いて、彼女は背中から弓を外しながら答える。


「おそらく、我々の目標である雷虎は死んでいるかと」


 それを聞いていたダルクを含めた〈狩人の乙女〉は一瞬不思議そうになるものの、何故彼女が弓を取り出したのかをすぐに理解する。


「雷虎が死んだのにまだ森の中が静かなまま……」


 〈狩人の乙女〉構成員の一人が呟く。

 この状況を作り出した雷虎が死んでいるであろう今でもこの状態ということは今なおそのが存在しているということだ。


「こうなってはそのハンターも生きているのかどうか危ういですね……!」


 隊長もその顔に焦りを見せる。

 〈狩人の乙女〉の戦い方は罠を張り、待ち伏せし、毒などを用いて確実に仕留める戦法だ。つまり相手がこちら側に仕掛けてくるのを待つ後手の戦法だ。

 普通の雷虎程度であれば少数の罠を張り動きを止める程度で後は弓などで仕留められるが、万一他に強敵がいた場合はこちらはどうも出来ない。

 何故なら相手がどんな大きさでどんな形状なのかがわからないからだ。


 獲物の大きさによって罠の形状も変わってくる。

 罠を用いた戦闘を行う以上、敵の正体がわからないと言うのはとても致命的なのだ。


「隊長、どうしますか?」

「…………シンス、この木を中心として百メール程度の範囲に罠を。網状罠を張りなさい。私とダルク殿、あとは斥候第二部隊は一緒に来なさい。何が相手かを確認します。モルネ麾下の戦闘員たちは罠を張り終えるまで周囲の警戒を厳とする。行動開始!」

『了解』


 指示を受け、〈狩人の乙女〉たちは動き出す。

 荷を多く乗せていた馬から荷を下ろし、解くと中からは金槌や杭のようなもの、そして何やらとても細く、半透明な糸であった。


「あれは……」

「我々が用いる仕事道具の一つ、網状罠を形成するための糸です。この罠は森林大毒蜘蛛フォレスト・クイーンスパイダーの糸から出来ていて、大型の魔物から小型の魔物まで対応出来る優れものですが、展開に時間が掛かる事と、耐久性に難があることが難点です。しかし、一瞬動きを止める程度ならば十分な効果を持っています」

「ほう……」

「急ぎましょう。情報を早く持ち帰れば、我々がこの場で取れる行動もわかります」


 細い糸を指定した範囲内に張り巡らせるために動き回る〈狩人の乙女〉たちを見ながらも、隊長やダルクたちは馬を先へと走らせる。


 走り続けても相変わらず生物などは見当たらない。

 不気味なまでに何も起きない。

 風すらも吹いていないようだ。

 普段と何も変わらないのは天からの太陽の光だけ。

 それも心無しか、少し暗く感じる。


「見つけた、最初の目印だ」


 少しだけ先行していたダルクが木に付けられた傷を触る。

 ほんの数時間前に付けたばかりなのにものすごく昔のことに感じられる傷だ。

 

「この近辺なんですね?」

「ああ。雷虎やヤマトたちが移動したのかは分からないが」


 同行していた斥候部隊はいつの間にか散らばり少し荒れた地面を調べている。


「隊長、魔物のモノと思われる体毛を発見しました。……しかし」

「しかし?」

「この体毛、本当に雷虎のものなんでしょうか」


 斥候の彼女が持ってきたものは白く長い毛だった。


「これは……本当に雷虎の物なのか?雷虎ならばここまで白い毛は持たないはずだが……」

「いや、合ってる。それだ、そいつだ。白い雷虎だ」


 ダルクはもはや憎悪と言っても良い程にその体毛を睨む。

 その様子に皆少しだけ気圧される。

 しかし、幾度となく修羅場を潜ってきた彼女らだ。この程度ではまともに怯んだりはしない。


「俺の……仲間のほとんどを殺したやつだ」

『………』


 〈狩人の乙女〉たちは彼が青タグを持つ実力者だと言うことを知っている。

 調査拠点で見た事もある。


 それを全員殺し得る程の能力を持った雷虎という存在に先程とは違い、彼女らは総じて恐怖を感じた。

 感じてしまった。


「ダルク殿……」


 また、その姿はあまりにも悔しそうで、彼女もかける言葉がわからなかった。

 しかしそんなときだ。


「隊長!こっちへ来てください!」


 少し遠くへ行っていた斥候が帰ってきたのだが、何かとても焦っているようであった。


「む?どうした!」

「早く、こちらへ!けが人が居ます!おそらく、生きてます!」


 斥候が伝えたその一言で彼らは沸き上がった。少なくとも生きていることはわかったのだ。

 そう、彼らはこの森で生きていたのだから。


「よし、まずはそのけが人の確保を行う!急ぐが、警戒を怠るなよ!」

『了解!』


 全員馬に飛び乗り、先程帰ってきた斥候を先頭にして森の中を駆けていく。

 今や一分一秒が惜しい状況だ。この大森海という危険な環境で怪我をした状態で放置すると言うのは魔物たちにとってはエサが置かれているような状況だ。

 今のところ、周囲に魔物の気配は感じていないが、いつその状況から普段の大森海へと戻るのかわからない以上急ぐべきだからだ。


 さすがは特級タグ持ちのハンターたちと言うべきか、そのような焦る状況でも周囲への警戒は全く問題無かった。彼女らは小さな鼠が居たとしてもそれを見逃すことは無かっただろう。


 そうして走り続けること数分。

 彼らの目に入ってきたのは───


「あれが……」


 全身より血を流し倒れ込むように居る白い物体と、


「ヤマトォッ!!」


 木の根元に倒れている赤黒い色のコートの青年だった。



 〈狩人の乙女〉らはその白い物体──雷虎の傍で馬を降りると、まずその血で染まった巨体に驚き、次に地面に転がるその頭部に二度驚いた。


「これが……白い雷虎。特異個体なのでしょうか」

「わかりませんが……確実に強敵であったことは間違いありませんね」


 まだ微かに熱を持つその巨体を調べながら隊長であるサーサは先程見つけた青年の元へと向かう。

 そこには既にダルクが青年の元で何か話していた。



「おいヤマト、起きてるのか?どうなんだ!?」


「………」


「おい、援軍を連れてきた!助けだ!」


「………」


「なんとか言えよ!」


「………」


 クソ……とダルクが呟き、未だ動かないその身体を抱えようとした時だった。


「………うぅ、おー、ダルクじゃねーか」

「!?ヤマト、生きてんだな!?」

「あー、ちょっと意識トんでたか……あたりめーだろ。言っただろ、逃げるのは得意だって。ま、その過程で倒しちまったがな」

「マジで倒したのか……あれを?」

「相当ヤバかったな。あいつが盲目で助かったぜ。そうじゃなきゃ絶対勝てない相手だった」

「盲目?どういうことだ?」


 彼らは大丈夫そうだ。……しかし、他にも何人か居るはずなのだ。それはどこに……


「まあまあ、ダルク。少し落ち着け。後で話してやる。さて、あんた……救援とかだろう?向こうの木の影に妹分やら仲間やらがみんな纏まっている。俺よりは怪我の度合いは軽いはずだ……」


 青年は震える手で少し離れた木を指さす。

 見れば、反対の手に何やら添え木の様なものが見えた。骨折をしているのだろう。


「青年、私たちは特級ハンターの〈狩人の乙女〉隊長のサーサと言う。ダルク殿の依頼でここまで参ったのだが……いや、まずはこう言わせてもらおう。よくぞ、生き残った」


「はは……そりゃどうも。でも俺だけじゃない。他の三人にも言ってやって欲しい」


「了解した。今より君達を拠点へと移送するが……あれは本当に雷虎なのか?」


「正真正銘、雷虎だ。真っ白だがな。そうそう、あいつの所有権は止めを刺したうちの妹分にある。わかっちゃいるだろうが、一応な。肉類は嵩張るからここに残していくが、牙や爪、皮と体毛、甲殻に骨、魔石と内臓の一部は持ち帰るそうだ。何かに使いたいらしい。金は出すから解体、頼んでもいいか?さすがに動けない」


「それは構わないが……青年、君結構元気なのではないか?」


「喋るだけなら何の問題も無い。でも足は片足捻挫で右腕骨折、あとは身体中に細かな傷が大量で血塗れに。これで元気に見えるならあんたの感性を疑うが」

「いや、失礼した」


 そう言って、彼女は少し恥ずかしそうに周囲に居た者たちに指示を出していく。解体が始まるようだ。

 それに、背負われたり、肩を貸されたりしてこちらに歩いてくる三人の姿が。


 どうやら、疲れきって気絶とかはしていないようだ。


「……すまんダルク、ちょっと起こしてくれ」

「おう、任せろ」


 強面だが実はかなり優しいダルクはそっと肩に手を回し、体を起こす。


「ヤマト、助かったわね」

「だいたい戦ってたのは二時間くらいか……」


 フラフラしながらも三人もこちらへとやってきて生き延びたことを喜ぶ。

 その様子は修羅場をくぐり抜けたことがある者ならば一度は経験し、見たことがあるものであった。


「みんなボロボロだな。……しばらく休みにでもするか?」

「そうね……でも今は先のことより今ね。早く寝たいわ」


 みんな色々ありすぎてすっかり忘れていたが、今はもう陽はそれなりに傾いている。早く帰らないと夜になってしまいそうだ。

 

「同感だ。早く寝たいな」

「私もです。久しぶりですよ、ここまで疲れたの」

「もう、お兄ちゃんたちの気持ちもわかるけどまだここは森の中だよ?」


 徐々に人が集まってきて雷虎の解体もかなり早く進んでいく。


 ヤマトたちは知らないが、〈狩人の乙女〉の総員である三十人が集結する頃には雷虎の解体は完全に終わっていた。

 そうして、数十分もしない内に帰投の準備も整ったのだった。





「ヤマト、俺はお前さんが生きていてくれて本当に嬉しい」

「ダルクが助けを呼んできてくれたおかげだ。森の中を駆け抜けるのはキツかっただろうに」

「まあな。でも一度も魔物に遭遇しなかったんだ。まるで神様に守られてるみてえにな」

「そりゃまた御大層なものだな。でもそれで俺たちは助かったわけだし素直に感謝するしかねーな」


 男二人馬に揺られながらそう話している彼らの顔は疲れ気味だ。無理もない。片方は大森海をずっと走り続けて助けを呼びに戻り、片方は謎の白い雷虎とずっと戦い続けていたのだから。


「そうだ、ダルク。お前が背中に背負っていた奴、どうなった?」

「……安心しろ。拠点に着いた時にはまだ生きてた。どうなるかはわからないんだがな」

「そうか……」


 森は行きと違い、少しだけ騒がしい。脅威のものが取り除かれたからだ。

 その時点でこの森が静かだった原因はあの白い雷虎だということは誰にも明らかであった。


 そうして、進み続けること二時間と少し。

 日も落ちかけた頃に特級ハンター〈狩人の乙女〉たちと、青タグハンターのダルク、赤タグハンターのヤマト一行はバードダル大森海の調査を担う中心地、調査拠点へと帰還したのだった。


 その手に勝利を掴んで。





◆◇◆◇◆◇◆◇


あとがき



 ハンター達の界隈では、余程の場合でない限り上下関係はありません。

 師弟関係であったり、同門の兄弟姉妹弟子であったりする場合でのみ上下関係が発生します。

 タグの階級による上下というものはありますが、それはあくまでも実力という意味です。

 街の中など安全地帯であればその実力でも上下関係が発生することもありますが、外での危険な環境では上下関係はむしろ邪魔なものとなりますので赤タグのヤマトが青タグのダルクや特級ハンターの〈狩人の乙女〉たちに普段通りの口調で接するのはむしろハンターとしてのマナーとなります。


 そもそも、荒れくれも混じるハンターたちに上下関係という礼儀を求める時点で無駄、という意識があるので街中でもタメで話すハンターは多いです。

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