第42話ようじょ、美味しくビールを飲んでみる
「いらっしゃいませー……って、杏奈じゃん!」
居酒屋へ入るなり、お店のシンボルと同じような “爬虫類”のように目の細い店員が寧子たちを出迎えた。胸のプレートから確認するに、どうやらこのお店の“店長さん”らしい。
「三名! 早く案内して」
「えっと、後ろのお二人は……?」
爬虫類顏の店長さんは、少し困惑した様子で寧子とスーちゃんを見ている。
「二十歳ですっ!」
「にゅー! 大人―!」
寧子は学生証を、スーちゃんはパスポートを堂々と提示した。
生年月日から間違いなく成人と分かるが、トカゲの店長さんは身分証と本人たちの間を何度も視線を往復させる。
そんな店長さんを見て、杏奈は眉間に皺を寄せた。
「店長、さすがにそれ失礼。確認できたでしょ? 早く案内する!」
「あ、ああ、うん。ごめんなさい。それじゃあどうぞ。ご新規三名さまでぇーす!」
杏奈の止めの言葉に、店長さんは納得し、案内を始めた。
この展開は想定の範囲内だったが、やはり実際こうして疑われるのはやっぱり悔しい、見た目なようじょな寧子なのだった。
そうして三人はボックス席に着く。
寧子とスーちゃん、その対面に杏奈という配置になるのは昔から変わらない。
(アンちゃんの隣に座ると、なんか負けたような気がするですからねぇ……)
杏奈の立派な胸と、自分のつるぺたを見渡して、そう思う寧子なのだった
「ごめんね、うちの店長バカで」
「仲良いんですね。良く来るですか?」
「ここでバイトしてるの」
「あー……」
昔から杏奈の厳しい態度に寧子は納得する。そうではあっても店員さんへは常識ある態度を取る子なのは、長い付き合いなので理解している。
ちなみに寧子的に店員へ横柄な態度を取る輩は最低最悪のくそやろーである。
「じゃあ最初の一杯はどうする? “生”でいい?」
「にゅー! おっけー!」
「ビールですかぁ……」
成人になったその日に買った缶ビール。あの苦い味わいが、苦い思い出となっている寧子は、苦笑いを浮かべた。
いまだにビールの美味しさというものが全く理解できていなかったのである。
「ネコ、ビール苦手?」
「うん、まぁ、はいです……あんまし良い思い出が無いと言いますですか」
「わかった。じゃあ好きにしてあげる。私に任せる!」
と、自信満々の杏奈は近くの店員さんへ“生ビール”を三杯頼む。
そして供出されたのは、温度差でモヤがかかり、僅かに冷気を帯びている、いかにもキンキンに冷えている中ジョッキだった。
ジョッキの中は黄金色の液体で満たされていて、真珠のような泡がプチプチと上がっている。その上へ夏空の雲のようなふわふわとしていてきめ細やかで、みるからにクリーミーそうな白い泡がのっかっていた。
缶ビールでは決して拝むことのできない、ビールの真の姿。見た目だけなら確かに美味そうだった。しかしこの美しい飲み物に“苦み”があると想像しただけで、魅力が半減するように気がする寧子なのだった。
「ネコはビールの苦さが苦手なんだよね?」
そんな寧子の気持ちを察した杏奈は大きな胸をむにゅんと少し潰して、身を乗り出してくる。
「そうですね。炭酸は嫌いじゃないですけど、この苦みが嫌なのです」
「ネコはビールを舌で飲んでるんだね」
「舌?」
「例えば――ネコはスポーツをしてとっても汗を掻いた。喉がからから水が欲しい。そういう時、水をどう飲む?」
「んー……そりゃ無心になってガブガブ行くですね」
「そうそれ! ビールもそうして飲む! 水のようにガブガブと! ビールは“舌”で飲むんじゃなくて“喉”でのむ!」
杏奈は勢い余って立ちあがり、ビシィっと指を指し、胸をポインと揺らしながら熱く宣言する。
周りの男性客は鼻の下を伸ばすのは否めない。
杏奈との肉体的な差に、やはり悔しい寧子とスーちゃんであるが、そこは今重要ではない。
目下の目標はビールの攻略に他ならない。
今は胸の大きさなどどうでも良いこと。
寧子は杏奈ののアドバイスを素直に受け入れて、ひんやり冷えたビールジョッキの取っ手を握りしめる。
「「「かんぱ~い!!」」」
三人はジョッキを打ち鳴らし、口へ運んで行く。
杏奈もゴクゴク、スーちゃんもゴクゴク。
二人に遅れてなるものかと寧子も勇気を出して、ひんやり冷たいジョッキへ唇を付けた。
ふんわりとしたクリーミーな泡の触感がなんとも言えず心地よい。
これはこれで物凄くアリ!
(舌で飲むではなく、喉で飲むですっ!)
決意を固め、ビールジョッキを傾ける。ふんわりとした触感の良い泡が唇に触れた。そんな泡を潜って、しゃわりとした黄金の液体が口の中へ流れ込む。
口の中で転がすことなく、そのまま喉の奥へごくりごくりと音をたてながら流し込む。
そうやって飲むと、苦みよりも、ほのかな甘さを感じた。酸味も僅かにあって、ビールがただ苦いだけの飲み物ではないと思い知った。
炭酸もコーラのそれと違い弾けるようなものではなく、広がるような心地よさ。
鼻から抜けるかずかなフルーティーさが、これまでの考えを払拭してゆく。
「ぷはぁー! んめぇですっ!」
泡の白ひげを付けた寧子は、ジョッキを半分以上飲みほして、嬉々とした声を上げた。
「でしょ?」
杏奈も満足そうにビールをもう一口含んで微笑む。ちなみに寧子の隣に座るスーちゃんのジョッキは既に空っぽになっていた。
「おっ? みんなさすがは杏奈のお友達だね。良い飲みっぷり」
気づくと爬虫類顏の店長さんがいて、嬉しそうな笑みを浮かべていた。
手には妙に派手なラベルの貼られた小瓶が握られている。更に反対の手のお盆の上には脚を短くしたワイングラスのようなものが乗っかっていた。
「新作のビール仕入れたんだけど飲んでみる?」
「うん! 新しいビール……ふへ」
杏奈は嬉しそうだが不気味な笑みを浮かべる。どうやら杏奈はビールが大好きらしい。あの巨大な胸はビールを飲めば……
(いや、それはお腹のほうですねぇ)
「お友達もどーぞ。これサービスね! これからも杏奈と仲良くしてあげてね」
「ありがとうなのです!」
「さんきゅーにゅー!」
店長さんは爬虫類顏で第一印象はちょっと怖い気がしたが、案外いい人だと思う寧子なのだった。
「このビールはね、こういうワイングラスみたいなやつに注ぐと美味しいんだよ」
杏奈のアドバイスに従って、寧子とスーちゃんは小瓶から口のすぼまったグラスへビールを注いで行く。
瞬間、さっき克服したビールとは明らかに違うと鼻が感じた。
ビールからほのかに香るフルーティーな香り。ワイン風に表現すれば、暖かい地方の果物。黄色モモやマンゴーといった豊潤で、濃厚な良い匂い。
「にゅー! 良い、においー! すんすん」
スーちゃんもご満悦名様子。そんな二人を見て杏奈はまたま“してやったり!”といった風の笑みを浮かべた。
「エールタイプのビールだよ」
「「えーるたいぷ?」」
「ビールには主に二種類ある。香りが華やかな上面発酵――エールと、下面発酵のラガー。ちなみに日本の有名な企業のビールは殆どがラガーで、色合いが淡くて、すっきりしてる”ピルスナー”ってスタイルが殆ど」
「と、なるとさっきの生ビールは“下面発酵ビールで、ピルスナ―”ってことですね?」
寧子の解答に、杏奈は再び胸ぽいんと揺らしながら「その通り!」と答えた。周りの視線はもう気にしないものとする。すけべは爆ぜてしまえ。
「へぇ、ビールにもいろいろあるですねぇ」
「アンちゃん、お酒詳しい! どうした?」
スーちゃんがそう指摘すると、杏奈は顔を赤く染めて、
「て、店長が、教えてくれるから……」
杏奈はちらちらと、お店の中で元気よく、一生懸命働いている爬虫類顏の店長さんを盗み見ていた。
「あー、もしかしてアンちゃん、あれですか?」
寧子が親指を立ててみせると、杏奈は恥ずかしそうに首肯する。
どうやら杏奈と店長さんは御付き合いをしているようだった。
だったら入店当初の厳しい態度も納得がゆく。
「の、飲もう! 泡がなくなるっ!」
杏奈は泥酔したかのように顔を真っ赤に染めて、ビールをぐびぐびと飲みだした。
そんな可愛い杏奈を寧子は肴にして、エールビールを口へ運ぶ。
フルーティーで、優しい味わい。まるでこのビールはほんわかしている杏奈のようだと寧子は思う。もしかすると爬虫類顔の店長さんは、杏奈のことを考えながらこのビールを選んだのかもしれない。
「じゃあ、次は何飲むですかね?」
さすがにビールばかりではお腹いっぱいになってしまう、と思った寧子は二人へ意見を求める。
「日本酒! 日本酒!」
スーちゃんは真っ先に、テンション高く飲みたいお酒の名前を叫んでいた。
「日本酒ですか。そういえば飲んだことないですねぇ」
「じゃあ、せっかくだからスーちゃんに選んでもらおうか?」
「にゅー! えらぶー!」
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