第22話ようじょ、たくさんのスパークリングワインを試す


「寧子ちゃん、もしかして眠い? 大丈夫?」

「だ、大丈夫なのです! はい!」


 ラフィさんに”羊子さんは危険”と吹き込まれてから、どうにも居心地の悪い寧子さん。

そんな寧子に首を傾げる隣の洋子さん。

 二人を後部座席に乗せたベンツのハイヤーは、深夜でもまだ一部が眠っていない街をひた走る。


 広い国道を抜けて、閑静な住宅街へ入るとすぐに監視カメラと格子のついた立派な門扉が見えた。

ベンツがヘッドライトを向けると、格子が自動的に上がってゆく。

もう何があっても、一人で羊子さんの家から脱出できそうもない。


「あのさ寧子ちゃん」

「は、はぃ!」

「もしかしてラフィに変なこと言われた?」

「へっ?」


 羊子さんはお見通しなようで、苦笑いを浮かべる。


「まぁ、正直言うと昔、そういう時期もあったけどさ、あはは……今はもう大丈夫だから。それに今日は私だけじゃないし」


 とハイヤーを降り、立派な玄関を潜る。

すると深夜にも関わらず、吹き抜けの立派なエントランスにはスーツ姿の、凄く凛とした女の人が立っていた。


「お帰りなさいませ、社長」

「ただいま。早かったね?」

「迅速が私のモットーですので」

「さっすが芽衣めい!」

「しかしこのような時間に業務連絡とは如何なものでしょうか? たとえ私が管理職で、残業代が支払われない立場だとしてこれは酷い仕打ちだと思います」

「あはは、ごめんごめん。若い熱心なスタッフのためだから、大目に見てよ」


「全く……おっと、これは大変失礼いたしました。私、株式会社OSIROの営業本部長兼店舗統括マネージャーをしております、【梶原かじわら芽衣めい】と申します。石黒さんのお噂はかねがね社長より伺っております。どうぞ、よろしくお願いいたします!」


 梶原芽衣さんは丁寧に腰を折って、立派な名刺を差し出してくる。


「は、初めまして! 石黒寧子と申しますなのです!」


 寧子は慌てて名刺を受け取ると、梶原さんは衣擦れの音も無く、まるで機械のように綺麗な動作で背筋を伸ばす。

凄く仕事ができそうな、羊子さん以上の大人な女性に寧子は緊張しつつも、強い憧れを抱くのだった。



「芽衣はスパークリングに詳しいよ。芽衣、寧子ちゃんに教えてあげてね」

「かしこまりました。石黒さん、こちらへどうぞ」


 梶原さんに先導されて、幅がやたらと広い白塗りの廊下を進んでゆく。


「立派なお家ですねぇ……」

「ありがと。正直持て余してるんだけどね」


 羊子さんは苦笑いを浮かべた。


「そうなんですか?」

「ここ、先代の社長――私のお母さんなんだけど、が建てた家でね。昔はここにたくさん人を呼んでパーティーとかしてたから無駄に部屋はあるし、色んな所がやたらと無暗に広いんだよね。だから勿体ないから社内の新規取扱品の試飲なんかはここでやるようにしてるんだ」


 やっぱりお金持ちは話のスケールが違う。

そんなことを思いつつ寧子は突き当りの扉を潜った。


「す、凄い!」


 思わず寧子が叫び、「でしょ?」といった具合に羊子が微笑む。

 広い絨毯部屋に、口の字で並べられた立派なテーブル。

その上にはずらりと抜栓済みで、ゴム栓のようなものが付けられた重厚なワインボトルが、ずらりと並んでいた。


「本日の導入検討は主に旧世界のアイテム、フランス・イタリア・ドイツ・スペインでした。殆どがメトードトラディショナルで、造られたものです」


 つい先日までの寧子だったら【メトードトラディショナル】が【瓶内二次発酵】のことであると理解できなかったに違いない。

佐藤にきちんとスパークリングワインの造り方を教えて貰っておいて、本当に良かったと思った瞬間であった。


「いっぱいあって迷いますですね」

「でしたらまずは【シャンパーニュ】からいかがですか? スパークリングの最高峰で且つ、スタンダートをまずはお試しになるのが良いかと思います」

「わかりましたです。お願いします!」


 寧子が元気よく答えると、梶原さんは表情を緩めて、ワインボトルを手に取る。

 ティスティンググラスに注がれた黄金色をしたワインは、真珠のネックレスのような綺麗な泡を上げていた。


「ピノノワール、ピノムニエ、シャルドネをバランスよくまとめているアイテムです。小さな生産者ですが、大手のシャンパーニュメーカーにも負けない味に仕上がっております」


 綺麗な黄金色の外観。泡立ちは綺麗で継続的に見えた。

 鼻を近づけると、真っ先に感じた、柑橘フルーツのような香り。仄かに青いリンゴのような豊潤な香りも感じられる。


 口の中へ注ぎこめば、炭酸が口の中で弾ける。

しかし今まで飲んできた炭酸飲料とは、泡の質感がまるで違った。

 柔らかく、口の中で広がるような。

 刺激的ではなく、優しく、それでもはっきりと泡の感触を感じる不思議さ。

 きちんと存在感を感じさせる酸と泡が絶妙にマッチしている。


「いかがですか?」

「泡が、その、優しいですね?」

「ええ。これが瓶内二次発酵由来の綺麗な泡ですよ」


 梶原さんは笑顔でそう答えながら、次のボトルを手に取る。


「イタリアの【フランチャコルタ】です。イタリアは他のヨーロッパ諸国よりも温暖です。故に、グラマラスでボリューム感のあるワインが数多く産出されます。こちらも今飲んで頂いたシャンパーニュと同じブドウ品種を使い、瓶内二次で仕込んでおります」


 色合いはシャンパーニュと比較して、色合いが濃いように見せた。

グラスから立ち昇るはっきりとした黄色過果実の香り。黄色いリンゴなどを想像させられる。

 味わいも酸はあるが、全体的なボリューム感はフランチャコルタの方が上。

 同じブドウを使っている筈なのに、フランチャコルタの方が果実味が豊かだった。

分かりやすく、はっきりしていて、インパクトがある。


「……迫力ある味ですね。こういうの好きかもです!」

「若い方はこういうお味が好きですからね。では、続いてこちらを。フランチャコルタよりはインパクトが少ないと思いますが、あっさりと飲めますよ」


 次いで注がれたスパークリングワインは、梶原さんの云う通り、レモンのようにすっきりしていた。

泡の質感もやや強く、馴染みのある刺激。

 何だが揚げたてのから揚げが食べたくなった。


「こちらはイタリアヴェネト州産出の【プロセッコ】です。辛口で価格も安く、アスティとは双璧を成す、テーブル系スパークリングワインです」

「お腹空く味です。深夜には危険です! これ”鶏のから揚げにかけたレモン”みたいな感じです!」

「良い表現ですね。素晴らしいです。私もこれを飲むたびに深夜でもコンビニエンスストアへから揚げを買いに行ってしまいます。”鶏のから揚げにかけたレモン”全く持っておっしゃる通りです」


 カッコいい梶原さんも、寧子と同じようなことを考えていたようだった。

ワインという存在が間に無ければ、立場も年齢も違う梶原さんと意気投合なんて出来なかったはず。

そのことがとても嬉しく、胸を高鳴らせる寧子だった。


「では最後にこちらをどうぞ。スペインの瓶内二次発酵スパークリングワイン、【カヴァ】です」


 外観も泡立ちも今まで試したものとそん色ない印象。

 柑橘系フルーツの香りも感じるし、やや黄色いリンゴや、華の蜜のような香りも感じ取る。

味わいも適度に濃く、きちんと酸があり、泡の舌触りも滑らかった。


「いかがですか?」

「これも良いですね。シャンパーニュとフランチャコルタを足して二で割ったような印象ですか?」


「御明察です。素晴らしい。ちなみにこちらのカヴァは上代1,500円。シャンパーニュは5,000円で、フランチャコルタも4,000円となります。よってカヴァは気軽に楽しめるスパークリングワインの代表格と云っても過言ではありません。当社でも最も売れているのがカヴァになります。最近はカヴァ程度の値段で遥かに辛口なプロセッコも人気です」

「なるほど!」

「いずれもブリュットですので、お食事のお供には最適です」

「ぶりゅっと……?」


 寧子が初めて聞いた単語に首を傾げると、梶原さんは恭しく頭を下げた。


「申し訳ございませんでした。配慮が足りませんでした」

「い、いえ!」

「ブリュット――こちらに”BRUT” こちらにそう記載があります。これがスパークリングワインでの”辛口”を意味する指標になります」


 確かにラベルの下の方に”BRUT”という記載があった。


「残糖度に応じて、表記があります。ですがまずは”BURT”が辛口の指標、”DRY(ドライ)”や”SEC(セック)”はそれよりもやや甘さがあるアイテムとお考えいただいて構いません」

「なるほど! ご説明ありがとうございますなのです!」

「寧子ちゃん、寧子ちゃん! これこれ!」


 グラスを持った、羊子が顔を少し赤くして手招きしている。

酔っている寧子は彼女のところへてくてく駆けていった。

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