第23話いまのわたしにぴったりなスパークリングワイン
少し酔い気味の羊子が差し出した一杯のスパークリングワイン。
色も濃く、泡立ちも勢いがあって凄く綺麗だった。
「あっ……!」
グラスへ鼻を近づけた途端、はっきりと感じる強い香り。
黄色味の強い果物、それこそパイナップルなどと表現できる。
ほのかに感じるココナッツミルクのような濃密な香り。
味わいも口の中で甘み・酸味・苦みが調和し、滑らかな泡に乗って口中に広がってゆく。
「これ、美味しいよね!? 絶対に売れるよね!?」
羊子は興奮気味にそう聞いて
「ですです! 最高ですね、コレ!」
「一本、20000円でなければ、ですけどね」
寧子の答えに梶原さんが、恐ろしい金額を提示した。
「に、20000円!?」
「シャンパーニュのプレステージクラス。こうしたシャンパーニュは良いブドウが採れた年にのみ産出されます。ですからブドウの質感が良く、樽熟成などができ、そのような濃厚な味わいに仕上がります」
「へ、へぇ~……」
「さらにこのシャンパーニュには年号が書いてありますよね?」
そういえばそうだと寧子は思い、手近なボトルを手に取ってラベルを眺めている。
たしかにどこにも
「シャンパーニュは様々な原酒を配合して、常に均一な味に仕上げる傾向にあります。これを略してNV――ノンヴィンテージと言い、スティルワイン――つまり普通の発砲していないワインとの大きな相違点です」
「じゃあ、
「ヴィンテージの記載されているシャンパーニュは、良質なブドウが取れた偉大な年のみに造られます」
だいたいグラス一杯が70mlだから、簡単に計算しても一杯2000円以上の代物。
美味しいに代わりはないが、寧子の食費二日分と考えると、なんだか急に敷居が高くなったような思えた。
しかも梶原さんの補足説明で、今目の前にあるワインが芸術作品のように繊細で高価なものなのだと思い知る。
「社長、お戯れも大概になさってください。プレステージシャンパーニュが美味しいのは当たり前です。いつも申し上げておりますが、もっと当社の顧客目線に立って商品選定を行っていただけませんか?」
「ご、ごめん……でもほら、寧子ちゃんにはいい経験だと思って……」
「そ、そうです! いい経験させていただいたのです! ありがたいのです!」
寧子は怒られる羊子を気の毒に思って、必死にそう主張する。
すると梶原さんはフッとため息を吐いた。
「シャンパーニュは瓶内二次発酵といった非常に手間のかかりますが、素晴らしい方法で作成されています。故に他のワインよりも少々値が張ることが多いのです。大手のシャンパーニュメーカーは高級ブランドグループの傘下で、そこの広告料が乗っているという側面もあります。しかしそうしたブランドが傘下に加えたがるほど、シャンパーニュは繊細で、素晴らしいワインなのです! 全てのスパークリングワインが手間暇をかけた偉大な飲料なのです!!」
梶原さんの熱弁に寧子は思わず拍手を贈る。
すると我に返った梶原さんは鉄面皮を少し赤らめ「失礼しました……」と照れ臭そうに頭を下げるのだった。
高級ワインもだが、シャンパーニュもおそるべし。
やはりワインの世界は奥深いと寧子は強く感じる。
しかしこれだけスパークリングワインを試しても、どれが良いのかさっぱり分らなかった。どれも個性があって、美味しいように感じる。
2万円もするプレステージクラスは除外するとしても、迷ってしまう。
(どうしましょう? わたしはどんなスパークリングを選んだら良いんでしょ?)
どうするべきか、何を選んだらよいのか。
そんな中ふと一つの銘柄が目に留まった。
まさかこんなところで出会うとは思っていなかった。
寧子の胸の奥にある小さな心臓が興奮と喜びでトクトクを鼓動をあげる。
「ねぇー、芽衣ー! ゼクトって瓶内二次だっけぇ?」
「ドイチャーゼクトでしたら、恐らくは」
「ちょっと聞いて見よっと
と、酔っぱらっている羊子はリモコンを壁に向かって操作する。
すると天井から大きなスクリーンが降りてきた。
羊子はタブレットを操作して、その画面をスクリーンに映し出す。
タブレット端末にインストールされているビデオチャットアプリを起動させると、すぐさま深夜の窓の外とは正反な、青空が映し出された。
「やっほー、リオンちゃん元気―?」
「あう!? ムー、何!?」
スクリーンに映し出されたのはまだあどけなさの残る、八重歯が印象的な髪の短い綺麗な女の人だった。
犬みたいな印象はラフィさんに近いように思えた。
「拳さんが送ってくれたサンプルのゼクトって、伝統方式だっけ?」
「あう! トラディショナルで作ったゼクト!」
「そっかーありがと! と、ところで、拳さんは元気にしてる? 今、出られるかな……?」
「拳、今商談中! 僕も畑みせてもらってるとこ! 忙しい! 切る!」
スクリーンの中にいるリオンさんそう叫んでぶちんと映像を切る。
羊子さんはがっくり肩を落として、お高いシャンパーニュをぐびっと飲み干す。
社長さんって大変なんだとしみじみ思う寧子なのだった。
「あの梶原さん、これ試せますか?」
「こちらですか? 構いませんが、甘いですよ?」
それでも、と寧子は梶原さんにお願いして、この場で奇跡的に再会できた銘柄をグラスに注いでもらう。
花のような香りと、優しい舌触り。やはりスパークリングになっても、この味わいは変わらない。
(決めたです。今のわたしにぴったりなスパークリングワイン!)
心は決まった。即決だった。
シャンパーニュも、フランチャコルタも、プロセッコも素晴らしい。
カヴァは本当に親しみやすくて、プレステージシャンパーニュは間違いなく美味しい。
だけど、いまのじぶんにぴったりか、と言われれば何となく違うような気がする。
背伸びせず、素直に、ありのままの自分で。
寧子はようやく、みんなに飲ませたいスパークリングワインを見つけるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます