看護記録1 アスラ村

第1話 転生


 白い花が、眼に飛び込んできた。


 甘い香りが鼻を抜ける。


 重い頭を働かせて、なんとか状況を把握しようとする大和。


 死んだ、のか?ここはじゃあ、死後の世界?


 確か、俺は事故にあって……


 思考が支離滅裂だ。


 身体に力を入れる。指先が動いたことがわかった。よかった、と安堵の吐息を漏らす。


 次に下半身に意識を向ける。恐る恐る、動かす。


 動いた!!


 またも安堵した大和は、やっと全身を動かしてみる事にした。


 右腕を下にして倒れていたようだ。上半身を起こし、とりあえず周りを見渡す。


 深い森の中だった。大和がいる場所だけが、ぽっかりと開けていて、白い花は、その開いた範囲に生い茂っていた。


 ゆっくり立ち上がる。血が足りないのか、少しだけフラついた。だが、それもすぐに治った。


 改めて辺りを見渡す。知らない場所だ。到底日本の、それも大和が住んでいた地域には無いような、深い森だった。


 事故にあってからの記憶はないから、どうして自分はピンピンしているのか、そしてここはどこなのか、全く見当もつかない。


 と、キョロキョロする大和の耳に、泣き声が聞こえてきた。


 どこからだ?と、小さく首を傾げ、さらに耳をすます。


 どうやらあっちからだ、と見当をつけると、大和はそちらへ歩みを進めた。泣いているようだけど、誰かいるなら心強い。


 泣き声は、小さな子どものもののようだった。近付くにつれ、大丈夫だから、と慰める少女の声も聞こえてきた。


 子どもたちの姿が、木々の隙間から見えてくる。


 泣いているのは、小学校低学年くらいの男の子だ。地面に座り込んで、悲痛な声をあげている。そのとなりに、男の子より幾分か年上の女の子がしゃがみこんで、しきりに男の子に声をかけている。


 大和はなんとなく状況を理解した。


 男の子が転んで怪我でもしたんだろう。だから女の子は、必死に男の子を宥め賺し、狼狽えたような顔をしているのだ。


「ほら、ヤナ、大丈夫だから、ね、泣かないでよ」

「痛いよう、お姉ちゃん」

「でも、歩いてくれなきゃ帰れないよ」


 ぐすぐす泣きじゃくる弟に、お姉ちゃんは困った顔だ。


「どうした?怪我でもしたか?」


 大和は二人に近付いて、できるだけ優しく声をかけた。


 姉弟は、突然現れた大和に驚いて目を見開いた。泣きじゃくっていたはずの弟が、一瞬で沈黙するほどだった。


「ごめん、驚かしてしまった。だけど、大変そうだったから、つい」


 大和は苦笑いを浮かべる。自分はどうも、子どもに好かれないようだ。小児実習で受け持った子も、初日に泣かせてしまったことを思い出した。大和が何かしたというわけではなけっしてない。なのに、子どもは大和を見ただけで、なぜか泣いてしまう。


 そんな困り顔の大和に最初に口を開いたのは、泣いていた弟の方だった。


「あ、あのね、転んだんだ。そしたら、そこの石で切っちゃって」


 言われて見ると、男の子のそばには、鋭い石が地面からのぞいていた。同時に、少なくない量の血が付いている事にも気付いた。


「そっか、痛かったね。お兄さんに怪我見せてくれるか?」


 男の子は、少しだけ固まった。それから恐る恐る腕で庇っていた左脚をこちらに向ける。


「うわ、」


 思わず声が出た。女の子が不安そうな表情を浮かべ、男の子はまた泣き出しそうな顔をする。


 慌てて無理矢理笑顔を取り繕う。


「だ、大丈夫だ。ほら、ここに寝転んで。血を止めないと」


 男の子の左脚、外側の大腿部がパックリ裂けていた。血がダラダラと垂れ、地面を濡らす。目を瞑りたくなる光景だ。


 大和に言われた通り横になった男の子は、青い唇をワナワナと震わせる。


 大和は男の子の左脚の付け根に、手のひらを押し当てた。もちろん、自分の手に血がつかないように、だ。感染防御は必須だ。


 しばらく抑えていると、徐々に血が止まった。だけど、油断はできない。これは多分、縫わないとダメなやつだなあと大和は考える。


「ねえ、なんか紐とかない?」


 お姉ちゃんの方に訊ねる。ハッとして、少女は、自分の髪を結んでいた紐を解いて渡してくれた。


「これでいい?」

「うん、いいよ、ありがとう」


 受け取って、その紐を少年の左脚に強く巻きつけた。それから、着ていた上着を脱いで、少年の怪我をした脚に巻きつけ、これもキュッと結ぶ。


「家はどっちかな?はやく手当てした方がいい」


 男の子の身体を背負いながらか聞くと、女の子はまたもハッとして、


「こっち!ついてきて!」


 と、小走りで行ってしまう。大和は、できるだけ男の子の身体を揺らさないように、意外と速い女の子の後を追った。





 ☆

「ママ!!ヤナが怪我した!!」


 女の子の後を追って辿り着いたのは、森を抜けた先にある小さな集落だった。


 例えるならば、異世界ファンタジーのような、田舎の村。いや、辛うじて街、か?


 その中の一軒の家に駆け込んで行く女の子。大和もはあはあと肩で息をしながら追いかける。


 勝手に入るも躊躇われるが、仕方がないと女の子が入っていった扉を開ける。重い木の扉だった。


 一応、すみませんと小声で言って足を踏み入れると、シチューだろうか、嗅ぎ慣れたいい匂いがした。


「ヤナ?どこにいるの?」

「こっち!知らないお兄ちゃんが運んでくれた!」

「え?」


 家の奥、シチューの香りがする方から、ふくよかな女性が現れた。母親の背中を押しているのか、後ろに女の子の髪が揺れるのが見える。


「勝手にすみません、ええと、怪我してたので一応止血はしました。はやく医者に見せた方がいいかと……」


 大和がおずおずと口を開くと、疑わしげな表情だった母親は、途端に笑顔を浮かべた。


「まあ、どうもありがとうございました。ここまで運んでくださったんですね」


 母親は大和後ろに回り、背中にしがみつく小さな身体を抱きかかえる。


「ママ!痛いよぅ」


 まだ青ざめた唇の男の子が、母親の顔を見て、弱々しいが笑顔を浮かべる。


「良かったな。もう泣くなよ」

「うん!お兄ちゃん、ありがとう」


 大和はとりあえずホッと胸をなでおろした。


「ルナ、セラ先生を呼んできて」


 母親が男の子をソファに寝かせて、女の子に言った。


「わかった!」


 元気よく頷いた女の子が、バタバタと家を出て行く。


「よかったら、ゆっくりしていってちょうだい。息子を運んでもらったお礼をしなくちゃ」

「いや、そんな。大したことじゃないです。それより、ここはどこですか?」


 と、そう言えば、西洋ファンタジーのような見た目の、具体的には栗色の髪の彫りの深い顔立ちで、到底日本人には見えない女性と、言葉が通じていることに違和感を覚える。


「ここはアスラ村よ。あなた、見ない顔ね。どこの出身?」


 勧められた椅子に腰掛けると、女性は不思議そうな顔をして聞いてくる。


 だけど、大和はそれにどう答えたものか悩んだ。アスラ村など、日本には存在しない。


「俺は、その、どうしてここにいるのかわからなくて……」


 まるで不審者だな、と自分で自分に顔をしかめる。


「そう。記憶喪失、とか?」

「そうかもしれません」


 無難に答えるしかなかった。もしかしたら、別の世界から来たかも、などとは言えない。


「かわいそうに。あ、私はカーシャよ。あなた、名前は憶えてる?」

「大和です」


 答えると、カーシャは母親らしい優しい笑みを浮かべた。


「私にできることがあれば力になるわ、ヤマトくん。息子を助けていただいたんだもの」

「お兄ちゃん、すごかったんだよ!お兄ちゃんが足を抑えてくれたら、すぐに血が止まったんだ」


 男の子、ヤナがソファから声を上げる。それを聞いたカーシャが、驚いた顔をした。


「まあ、お医者さんなのかしら?」


 大和は苦虫を潰したような顔で、弱々しく答える。


「いや、医者じゃなくて、看護師、の、卵です」

「カンゴシ?」


 カーシャが、不思議そうに小首を傾げた。


「え、看護師って、知らないんですか?医者の治療を補助したり、患者の療養生活を支えたりするんですけど」


 さらに険しい顔をするカーシャ。大和は確信した。


 ここは、本当に異世界なんだ。


 それも、看護師という職業が存在しないかもしれない世界。


「すみません、おかしな事言いましたね」


 大和は正直、泣きたい気分だった。


 事故に遭ったのは仕方がない。納得はしないけど、どうしようもない不運だと思うことは出来る。


 だけど、この世界で生きることになったとしたら、自分が四年間死ぬ思いでやってきた勉強は、どうなる?


 まだ正式に看護師になったわけてはない。だけど、なれないなら無駄だったんじゃないか?


 そう思うと、死んだかもしれないということよりもやりきれない。悔しい。転生なんかしたくなかった……


 と、思い悩んでいると、家の扉がバアンと開いた。


 ズカズカとひとりの女性が無遠慮に入ってくる。


「カーシャ、ガキはどこだ?」


 綺麗な赤い髪の女性だった。ポニーテールにしてもなお、腰まで垂れる髪はまるで血のようだ。


 ほっそりしていて、でも力強く自信に満ち溢れた態度がまた、その女性の魅力を最大限に掻き立てているように思う。


「セラ先生、わざわざありがとう」


 不躾な態度の女性は、どうやらセラと言う。白衣から医者だとわかった。


「礼はいいからさっさと見せな」


 カーシャがフフと笑い、


「そこのソファですよ。よろしくお願いします」


 と言うと、セラはソファへズカズカと歩み寄った。


 大和は何気なしにセラを見つめる。


 セラはヤナの左脚、大和が巻いた上着を取った。さらに、足の付け根に巻いた紐を見て、首を傾げた。


「おい、お前だな?手当てしたって言う、不審者」


 急に声を掛けられ、さらには不審者扱いされた大和は、ムッとしてセラを見返した。


「そうですけど」

「お前、こっちに来い。今から縫うから、手伝え」

「え、俺?」

「お前以外にだれがいるんだ?これを見れば、お前がそう言う知識があることくらいわかる」


 そんな無茶苦茶な、と思う。だが、セラは有無を言わさない顔で睨みつけ、早くしろとせかす。


「わかりましたよ」


 立ち上がり、ヤナの元へ近付く。


「これを嵌めろ。他人の血に触れちゃダメだ」

「わかってますよ」


 渡されたのは、半透明のブヨブヨの手袋だ。


 それをサッと手にはめる。日本のものより、すこし分厚い気がした。


「消毒」


 次にセラは、小瓶に入った透明の液体とボール状の綿を取り出し、金属でできた鑷子を突きつけてくる。


「はい」


 用意されたガラスの小皿のようなものに、綿花を置き、消毒液と思われるものに浸す。鑷子で摘んでセラを見た。


「遅い」

「すみません」


 あんたは指導者かよ、といいたくなるが、我慢する。


 セラは右手をヤナのパックリ裂けた傷口にかざした。柔い光が傷口を覆う。


「うわ、なんですか、それ」

「局部麻酔だ。わかりきったことを聞くな」


 マジかよ、と大和は思った。この世界では、手をかざせば麻酔がかけられるらしい。


 セラの手際は、実に素晴らしいものだった。


 実習で手術見学もしたことはあるが、こんなに速くはなかった。しかも、日本で見た医療用品と比べると明らかに見劣りする針と糸なのに、それらはセラの思い通りにヤナの傷を塞いだ。


「あと頼む」


 ぶっきらぼうに言って、セラは針と糸を仕舞う。


 大和はヤナの傷を丁寧に消毒し、セラが投げるように寄越したガーゼと包帯を使って処置を終わらせる。


「終わりました」


 そう言うと、セラは包帯を確認するように一瞥し、頷いた。


「お前、ぎこちないが知識はしっかりあるようだな」


 大和は顔をしかめた。奇しくも、実習最終日に、指導者である看護師に言われたことと同じだった。


「行くあてがないならうちに来い。どうやらお前は使えそうだ」

「はぇ?」


 いきなりな展開に、何を言われているのか、判断に苦しむ。


 そもそもまだ、自分の状況やらなにやらを、ひとことも話していないのだ。


 なのに、この人はなにを言ってんだ?


「フン、決まったら診療所に来い。お前に仕事をやろう」


 そう言うと、セラは不敵な笑みを浮かべ、家を出て行った。


 呆けた表情で固まる大和。


 見兼ねたカーシャが、困り顔で言った。


「とりあえず、シチューでも食べましょうか」

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