秘密の地下室。

 ポッカリと口を開いた隠された階段。奥からは乾いた空気が吐き出され、先は闇に包まれ見通す事は出来ない。


「男爵夫人。この事は?」

「い、いいえ。こんなモノがあるとは……」


 夫人がちらりと執事さんの方に視線を送ると、知らない。とジェスチャーで返す執事さん。


「じゃあ、入ってみるわよ……」


 ゴキュッ。と唾を飲み込んで一歩を踏み出す。後ろから何者かに服を掴まれ、襟が首に食い込んだ。


「ぐぇっ! な、何するのリリーカさんっ」

「入るわよ。じゃありませんわ。何シレッと行こうとしているのですか」

「だってこんなの見ちゃったら確認しない訳にはいけないでしょう!?」

「ここから先はフレッド様の領分です。わたくし達の出番はありませんわ」


 相変わらず正論を吐くリリーカさん。しかし、私には秘策があった。


「いや、流石にこんな通路があるなんて知ったら、夜も眠れなくなるでしょう? ですよね、男爵夫人?」


 屋敷の住人すら知らない得体の知れない階段。その下に何があるのか、気になって気になって仕方が無いはずだ。


「え、ええ。確かにそうです。降りた先に何があるのか……もし、あの魔物が潜んでいたらと思うと怖くて眠れません」

「でしたら調査が済むまで王宮に泊まられては? 国王陛下は寛大なお方ですから、事情を話せばきっと大丈夫でしょう。このわたくしが口添え致しますわ」

「え、そうでしょうか……」


 ……ん? ちょっと待って。話がおかしな方向にっ。ちゃんと予定通りに進んでくれなきゃ困る!


「……いいえ、やはり陛下にはご迷惑をおかけする訳にいきません。お願いですリブラ様、中を確認して頂けますか?」


 お。おお。良かった軌道修正出来そうだ。


わたくしなら迷惑をかけても良い、と?」

「う。い、いやその。そう言う訳では決して御座いません……」


 歳に見合わぬ迫力を出すリリーカさんに夫人は萎縮する。全く、堅物なこと。


「いいじゃない。ちょこっと降りて見てくるだけなんだからさ。危なくなったら逃げればいいだけでしょ?」

「またお姉様までそんな事を……」

「実は私も気になってるんだよ」

「気になる……?」

「うん……理由はハッキリとしないんだけど、何故か心が惹かれているの」


 惹かれるといっても小指の先を軽くつままれた程度のモノだ。


「……いいですわ。降りてみましょう」

「ホント!? 有難うリリーカさんっ」

「ただし、これだけは約束して下さいまし、ほんの僅かでも危険を察知したら逃げて扉を閉じます。よろしいですか?」

「うん、うん。分かった」

「軽いですわね……」


 呆れ顔で杖を構え、目を閉じたリリーカさん。


「光の精霊リュミエール。契約に基づき我の元へ来たれ」


 呪文を唱え終えると、構えた杖の先端から全身が綿毛で覆われた様な真っ白な球体が姿を見せた。


「流石はリブラ様。実にご立派な精霊様ですね」


 立派ねぇ。もふもふとした球体に縦長の目をパチクリさせている所なんか、今すぐにお持ち帰りして毎日撫で回したいくらいの可愛さなんだけどな。


「それでは行きますわよ」

「オッケー」


 リリーカさんを先頭に隠し階段に踏み入れた。



 階段を一歩、また一歩と降り進める度に、空気の濃度が増していく気がする。内部の空気は完全に淀んでいる事から、換気口の様なモノは無いらしい。


「ひゃっ!」


 石材で出来た狭い通路に、ひゃっ、ひゃっ。と私の声が木霊する。先頭を行くリリーカさんもビクッとして振り返る。


「何ですかお姉様。変な声出さないで下さいまし」

「だ、だって、足が沢山生えた虫がっ」


 転ばぬ様にと壁についた手の平の中で何かが蠢めけば誰だってそんな声を上げるだろう。


「ただのムカデではありませんか」


 だからそのムカデがイヤなんだってば。


「早い所確認して戻りますわよ。フレッド様に報告をして綿密な調査をして頂かなくてはなりませんから」


 這い回る虫に臆する事なく階段を降りて行くリリーカさん。手に残る虫の感覚を引きずりながらその後について行く。


「結構降りてきたね」


 振り返れば執務室からの光は見上げる程の場所にあり、夫人のものであろう影がこちらを覗いている。二階……いや、三階分は下がっただろうか? ズンズンと進んでいたリリーカさんの足が不意に止まり、危うく突き飛ばしそうになった。


「急に止まらないで危ないでしょ?」

「……どうやら底に着いた様ですわ」


 肩越しに前を見ると、急勾配の階段は平坦な石畳の通路に変わっていた。


「左にあるのは牢屋?」


 精霊の光によって浮かび上がる鉄格子。灯台の地下にで監禁された事を思い出させる。


 リリーカさんが精霊を操作して中を余す事なく照らし出す。椅子も無ければ机も無い。埃だけがうっすらと床に積もっていた。


「中には何も無い様ですわね」

「使った形跡も無いみたいね」


 ただ放り込んでおいた。という可能性もあるが、床や壁がまっさらで傷も無い事から恐らくは未使用なのだろう。


「さて、それでは戻りましょうか」


 振り返って私を見つめ、何を言い出すのかと思いきや戻ると告げたリリーカさん。


「えっ?! まだ降りて来たばかりじゃない」

「これ以上進んでも何も出て来ませんわよ」

「何でそんな事が分かるの!?」

「床ですわ」

「床……?」


 言われて床に視線を落とす。滑らぬ様にと表面を粗めに削った石畳に灰の様な埃が積もっている。その他には何も無い。


わたくし逹以外の足跡がありません」

「あ……」


 少なくとも光が届く範囲には誰かが通った跡は一切見当たらない。


「この積もり具合から、豊穣祭の間……いいえ、それよりも前から使われていない事が分かります。ここは事件とは無関係ですわ」


 リリーカさんはもう既にお帰りモードに入っている。このままでは手の中で蠢いた虫にゾワッとしただけで終わってしまう。


「だ、だとしても、折角ここまで降りて来たんだからせめて突き当たりまで行こうよ」


 精霊の光も届かない闇を指差して言うも、リリーカさんは首を横に振った。


「もう良いではありませんかお姉様。夫人が危惧すべき魔物の影はカケラすらも見当たりません。『にぃ』ちゃんの処遇についてもフレッド様にご相談しなくてはなりませんし、今日はもう戻りましょう」


 横を通り過ぎ、急勾配の階段を登り始めるリリーカさん。徐々に私の周囲が暗くなっていく。光源がリリーカさんの精霊だけである以上、これ以上の探索は出来ない。私は渋々後に続いた。


 だけど私は完全に諦めてはいなかった。リリーカさんの後をついて行きながら、入り口よ閉まれ。と、呪いじみた邪念を送っている。ミステリー定番の時間が経つと扉が閉まる的な機能を期待しての事だ。が、扉は期待通りの作動をする事もなく、ただ単に疲れただけに終わった。


「リブラ様、如何でしたか?」

「階段を降りた所まで行きましたが、使われていない牢屋があったくらいで他には何もありませんでした。まだ先がある様ですが、それはアクラブ様にお任せしようと思います」

「魔物は居なかったのですか?」

「内部には埃が積もり、足跡すらも無かったので魔物の類いは居ないと思われますわ」

「そうですか……」


 それを聞いて安堵した表情を見せた夫人だが、リリーカさんが取り出した『にぃ』ちゃんの似顔絵を見て顔を顰める。


「こちらの魔獣については如何しますか? 一応、男爵に所有権があるのですが」

「い、いいえ。その様な悪魔と共に暮らすなどあり得ません」

「そうですか。では、事件の関係性を調査する為に警備隊本部に引き渡すという事で宜しいですね?」

「はい。是非ともその様に」

「分かりました。それではわたくし逹はこれで失礼致しますわ」

「リブラ様。私如きの無理をお聞き下さり誠に有難う御座います」


 私自身、釈然としない気持ちのままでカートフォル男爵の邸宅を後にする。深々とお辞儀をした男爵夫人のその表情は、訪れた当初よりは和らいで見えた。



 陽はとうの昔に沈み、空に星が瞬いていた。魔法の灯りによって所々が照らされてはいるが、豊穣祭開催中ほどの光量は無く足元がぼんやりと見えるくらい。その所為もあってか、通りには人がほとんど居ない。


「あーあ、もうちょっと奥へ行きたかったな……」


 両手で後ろ頭を押さえ、瞬く星を仰ぎ見ながら呟く。


「お姉様は何でも首を突っ込み過ぎますわ。大人なんですからもう少し自重して頂きませんと」

「分かってるわよ」

「全然分かっていませんわ。『にぃ』ちゃんの飼い主探しなのに、事件に要らぬ介入をなさったではありませんか」

「でもあれは──」


 薄暗い魔法の灯りをナニカが鈍く反射する。ソレに気付いたのは視界の端。リリーカさんを突き飛ばすのと同時に、鋭い何かが私の腕を貫いた──

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