彼女の悩み。
相手はかなりの強敵だった。ドアを開けると同時に感じた異様な気配は、むせ返る様な塊を放って私に攻撃を仕掛けて来た。私はその攻撃を躱かわす事なく敢えて全身で受け止め、水属性の攻撃魔法を何度も何度も繰り返し放つ。相手は徐々にその身を削られ、最後には跡形も無くこの場から消え去った。室内には未だアノ香りが残っている。暫くは窓を開けて漂う死の香りの浄化を急がねばならない。
「明日からどうしよう……」
問題は深刻だった。特に最後の大声が不味かった。部屋のドアを開けた時、廊下に居た人達の気付かない振りが何とも痛々しく見えて、このまま逃げてしまいたい気分に駆られたが何とか思い止まった。
「借金返済まで一年、か」
この強制羞恥プレイ。耐えられるのか? 私。
「ああ、腰が痛い……」
住民の皆様にお詫び行脚を終えた私は、自室に戻ってベッドの上に突っ伏していた。そこへ追い討ちが掛けられる。玄関に吊り下げられた鐘がガラランッ。と鳴り出したのだ。
「うう、もう勘弁してぇ……」
「お姉様。いらっしゃいますか?」
ドア向こうから聞こえる柔らかな声。リリーカさんだ。居留守を決め込むかどうかの考えは一気に吹き飛び、リリーカさんを向い入れるべくドアを開ける。
「こんにちはお姉様。お久しゅう……何か臭いませんか?」
「うっ!」
十分に換気を施して完全に消えたと思っていたが何の事は無い、慣れて感じにくくなっていただけの様で、他の人にはこの危険な香りが察知出来る様だ。
「か、カビの臭いじゃないかなぁ。ほ、ホラ暫く換気してなかったし……」
「そうですか? でも、カビの臭いとは違うみたいですよ?」
す、鋭いなこのコは。
「もしお姉様が宜しければ、魔法で浄化する事も出来ますが?」
「おっ、お願いしますっ」
食い付く様にリリーカさんの手をガッと握って懇願すると、彼女は笑顔を痙攣らせた。
「わ、分かりましたわ。では、木の精霊ドライアース。契約に基づき我の元へ来れ」
構えた杖の先が淡い緑色の光を放つ。光が弾けると、中から小さな女の子が飛び出した。
木の枝に葉を茂らせた頭髪。白いラインが入った黄緑色でハイレグのレオタードは、新緑の若葉を彷彿とさせる。ヤダ、可愛いっ。
「大気に満つる力以て、不浄なるこの場を浄化せよ」
精霊の女の子がコクリと頷き、部屋の中をクルクルと飛び回る。彼女が役目を終えて消える頃には、大自然の中に居る様な清々しい気分になっていた。
「終わりましたわお姉様」
「すごーい」
パチパチと拍手を送ると、リリーカさんは照れ臭そうに笑う。思わずギュッと抱き締めたくなった。
「粗茶ですが」
「有難う御座います」
ソーサーを持ち、カップを取って口へ運ぶ。洗練された一つ一つの動作は、彼女が貴族であると告げている。
「ここ最近お姿をお見掛けしませんでしたが、何方かへお出掛けしておられたのですか?」
「え、ああ。ちょっと仕事をしていたの」
「仕事、ですか?」
「そ。港にある『アルカイック』って所で住み込みで働いててね、今日は部屋の風通しに戻って来たんだよ」
「そうだったのですね」
言って再び紅茶を口に運ぶリリーカさん。これで一連の騒動は誤魔化せたと思う。しかし、ドアを開けた時から気になってはいたが、なんかいつもと違う様な……
「り、リリーカさんはどうだった? 晩餐会」
ファンタジー世界の貴族の晩餐会。豪勢な食事が並び、可憐なドレスを纏った貴婦人が華麗なダンスを披露する。アニメとかではそんな描写があるから私もそうイメージしていた。だから、実際に参加をした人から話を聞けるのは非常に貴重だと思う。しかし、リリーカさんから聞かされた話は、短くて拍子が抜ける様な内容だった。
「ええ、まあ。楽しかったですよ。……それなりに」
それなりにて。
「どうかしたの? 元気無いみたいだけど。もしかして、晩餐会で何かあった?」
少しの間、沈黙が場を支配する。リリーカさんは思い詰めた様子で冷めた紅茶を口に運んだ。
「お茶冷めちゃったから淹れ直すね」
膝立ちになり、ティーポットを取ろうと手を伸ばした所でリリーカさんが手を伸ばし、私の手を取った。
「リリーカさん?」
「お姉様。
顔は伏せたまま、おずおずと申し出たリリーカさんに一瞬思考が停止する。
「ちょ、ちょっと待って、突然何?!」
「やっぱりダメですよね……」
いやいやいや、自己完結しないでっ。
私はリリーカさんの側に腰を下ろし、私の手から離れて膝に置かれた、リリーカさんの手を取る。
「どうしたの? リリーカさん」
そう声を掛けるとリリーカさんは私の手を握り返す。
「実はとある貴族から婚約の申し込みがありまして……」
「こ、こんにゃくっ?!」
「いえ、こんにゃくではなくて婚約ですわ。お姉様」
いやまあ。つい、ね。
──豊穣祭二日目。キュアノス上層の王城にて催された、王国の
白を基調として淡い緑色の生地も使い、どこから見ても可愛いらしく見える様にと、匠の技術が凝縮した様なドレスは、どんな婦女子よりも目立っていた事だろう。オジサマの親バカぶりが盛り沢山の服だな。
そのオジサマの親バカぶりの所為か、はたまた悪い虫が近付かない様にと呪いでも掛かっているのかは知らないが、誰からもダンスの誘いが来ずにリリーカさんは壁に華を添えていた。
「可憐な一輪の華を見出す事も出来ぬとは、凡人貴族にも困ったものですな」
そう声を掛けてきたのは、メアン=サヒタリオ=フォワール。お相撲さん程ではないけれど、それなりに肥えた五十七歳のオッサン。顎から伸びた髭を刺さりそうな位に鋭利に整えながら、和かな笑顔でやって来た。彼は
「いいえ、心に決めた華があるにもかかわらず、他の華に目移りする様な無粋な方々では無いだけですわ」
どうせ他の貴族に圧力でも掛けたのだろう。とリリーカさんは思っていた。何しろこの男には悪評が絶えず付き纏う。リリーカさんは元より、他の
「そんなモノですかな……ところで『リブラ』様。もし宜しければ踊って下さいますかな?」
「貴方とですか?」
えーっ、マジ勘弁して欲しいんですけど。と顔には出さなかったものの心ではそう思っていた。
「いえいえ、私はご覧の通りの姿ですからな。代わりに、私の息子をご紹介させて頂きます」
そう言って紹介されたのは、ヨルヴ=サヒタリオ=フォワール。年齢は十九だが父親とは対照的に、風が吹いたら飛んでいきそうな位にガリガリに痩せたもやしっ子。それがフッ。とか言いながら、前髪を手の甲で払う。
「ご紹介におずあ……お預かりました。むしゅ……息子のヨルヴと申します。『リブラ』様、ボク……私と踊って頂きましぇんか?」
噛みまくりに内心ツッコミまくりのリリーカさん。誘われた以上無碍に断るのはマナー違反になるので仕方なしに応じる。
「喜んで」
しかしその顔は決して喜んではいなかった。
差し伸べたリリーカさんの手を、ヨルヴはそのまま取って場内へとエスコート。そこで眉を潜めたリリーカさん。通常、ダンスの誘いでの手の取り方は、女性が差し伸べた手を男性が下から持つ形で行われる。しかしヨルヴはリリーカさんの手の甲を掴んでそのままエスコートをした。これは、強制的に連れていくのと同義なのだという。緊張してたから。なんて言い訳は通用しない。貴族としてあるまじき行為である。
前の曲が終わり、新たな曲が始まった。ヨルヴとのダンスは酷いものだった。リリーカさんを力任せに振り回し、ステップも無茶苦茶で足を縺れさせる事もしばしば。終いにはリリーカさんの足を踏ん付けて、怒ったリリーカさんは曲が半ばにも達せぬうちにダンスを終了させた。結局の所、ヨルヴは醜態を晒しただけだった。
「申し訳御座いません『リブラ』様。披露宴迄には何処へ出しても恥じぬ様、教育を施しますので」
「披露宴……? ご結婚なさるのですか?」
ヒョロリとして頼りなく、親のスネをしゃぶりまくっている男によくもまあ貰い手があったもんだ。と、リリーカさんは思っていた。
「そうですか、それはおめでとう御座います。と言わせて頂きますわ」
何処の娘を娶るのかは知らないが、ご愁傷様と言わざるを得ない。
「それは他人行儀過ぎませぬか『リブラ』様。何しろ、夫婦となるのは我が息子と『リブラ』様なのですから」
「……は? はぁぁぁっ!?」
リリーカさんの驚きの声に、会場内の人々から視線を注がれる。
「な、何故貴方の息子と
「そうは仰いましても、『リブラ』様も十六になられました事ですし、そろそろ身を固めても良い頃合いでは御座いませんか?」
この国。というかこの世界は、かな。貴族同士の結婚には年齢制限が無いそうで、十かそこらの姫君が、三十くらいの相手に嫁に行った例もあるらしい。要は政略結婚させられたんだね。
「出自の分からぬ市井の者を婿へ迎えるよりは、
『ヘミニス』とは、
「近々、『ヘミニス』様より何らかのお話があると存じますので、よしなに」
そう言い残し、フォワールは恥を掻かせた息子の頭をど突きながら去って行った。そしてその場には、受け入れ難い。夢の様な話を否定し続けるリリーカさんが呆然と佇んでいた──
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