鍵穴のない扉の合鍵

『こっはるーん! 来ったよー!』


 モニターに映し出される満開笑顔。ドアップでも可愛さが崩れないとかそれなんてチートですか? 普通可愛らしさにデバフ掛かるものなんですけど。得? 徳? そのどちらも持っているのでしょうね。羨ましいなあ。


「今開けまーす」

『ほーい!』


 溌剌とした声の主を迎えるべく玄関へ急ぐと、インターホンの音に起こされたのか、我が家のアイドル、ココアが追従してきたので優しく抱っこ。そういえばココちゃん、この人と直に会うのは初めてだったかな。可愛い人だからね、期待してていいよ。


「やっほー!」

「やっほーてす。東雲先輩」


 右手で作ったピースサインで敬礼という可愛らしさと若干のアホっぽさの入り混じったスタイルで、世界一可愛いお姉さんは笑っていた。


「おー! 生ココくんきたー!」

「にゃ」

「返事してくれたー! かわわー!」

「あの、ココちゃん撫でるついでに私の胸撫でるのやめません?」

「可愛さのかけらもない凶悪なサイズだけどやわっこくて好きなのだぁ」

「とにかく入ってください。両親もうるさい犬もいませんので」

「とうとう野良犬になっちゃったかー」

「図書館で勉強、からのジムだそうです」

「ジム?」

「球技大会に向けて鍛えるんだそうです」


 十二月に入ると、学年別の球技大会が行われる。どうせあの兄の事だから、白藤先輩にカッコいいとこ見せるんだーとかそんな動機でしょうね。空回りして終わりそうな予感がプンプンです。


「あのイベントに照準合わせて筋トレするのは謙之介くらいだろうなあ……」

「ですね。どうぞ」

「お邪魔しまーす!」


 鼻歌交じりで私の頭を撫でたりお尻を触ったりするセクハラモンスターさんを後ろに自室に入る。この数秒だけで立件するには充分過ぎるくらいのセクハラされちゃってますねーこれ。


「わ! こはるんの部屋ひっさしぶりだなー! 随分変わったねー!」

「東雲先輩が最後に来てから七、八年くらい経ってますから」

「そんなになるんだねえ……うん、普通の女の子の部屋だ! もっとオタクオタクさせちゃってるのかなと思ってたんだけどなー」

「これでも一応オタクである事は隠していますからね。そういうグッズは押し入れの中に所狭しと並べてあります」

「やっぱ普通じゃなかった! 開けてみていいー?」

「ダメです」

「なんで?」

「その中には人間の正気を奪い底無し沼に引き摺り込まんとする暗黒物質が無数に納められています。まだ人間をやめたくないのであればその中には」

「わーかった! わかんないけどわかった!」

「賢明な判断です」


 ん? オタクは人間じゃないの? うーん? などと首を傾げながら座椅子に飛び込む東雲先輩。早くも自分の部屋かーくらい寛いでいますね。流石の大物っぷり。


「それで、今からそっち行っていいーだなんて、急にどうされたんです?」

「いやさいやさーみんな勉強勉強でさーあたし暇でさー」

「だから私にかまってもらいに来た?」

「そ! かまってー!」

「東雲先輩らしいなあ」

「そ! れ! に! ココくんに会いたかったのだー!」

「にゃ?」

「にゃーん! にゃんかわー! おいでおいで! 世界一可愛い女の子が抱っこしてあげるから! ほらほらー」


 アホっぽい文言にアホ可愛い動きでココちゃんを呼び込んでいらっしゃる。しかし、残念でしたね東雲先輩。ココちゃんってば、私以外にはほとんど懐かないんですよ。あの兄に懐かないのは自明の理としても、うちの両親にすら靡かないですし。ココちゃんが私にだけ心を許してくれている事は、私の中にある小さなプライドの一つなんです。そう易々と籠絡されてたまるかなのですよふふふ。


「にゃあーん」

「お? わ!」

「へ?」

「びっくりしたあ! こーらココくん! いきなり肩に飛び乗らないのー!」

「んにゃあ」

「やはー! 頬擦りされたー! 甘えん坊さんだねーココくんはー! んー? どしたのこはるん。一つも宿題やらずに夏休み最終日の朝を迎えてしまった小学生みたいな絶望フェイスしちゃってー」

「いえ。なんでも、ない、です」

「何それ? あわかった! 戦場カメラマンごっこだ! コアな遊びするねーココくんのご主人さまはー!」

「にゃ」


 いや違うし。っていうかあなた方、それなりに意思疎通成立してない? え、なんで? どうしてなのですのですの? なんでそういう事しちゃうんですか東雲先輩。ズル。ズルですよそんなの。東雲先輩、ズルっ子ですよ。ココちゃんもだよ。ココちゃんが私だけを見てくれているという事実が私を支えていたのに……どうして……。


「ちょっと元気出したいんでアニメ見ていいですか。っていうか見ます」

「こはるん自由人過ぎない!? 押し掛けて来たあたしが言うのもアレだけど!」

「東雲先輩にだけは自由人呼ばわりされたくないです」

「どして?」

「もういいです……」


 こんなにも自由。それが当たり前。そんな人ですからね、逆にわからないかもしれないですよね。


「昨日の続きでいいや……」

「何見るのー?」

「はい静粛に。私の邪魔したら縄で縛って外に放り出します」

「くろちゃんの怖い部分移ってないかなこはるん!?」

「うるさいです」


 ギャーギャー喧しい泥棒猫と我が家の愛猫と愛玩猫らしい私の三人で、至高のオタ成分摂取タイム、入ります。


* * *


「コ、ココちゃんおいで……帰っておいでよお……ほら、その人にくっ付いてるとアホが移っちゃうからぁ……」

「こはるんにアホ呼ばわりされた!? っていうかなんで半べそ?」

「う、うるさいですばーか……」

「容赦ないしキレもないね!? 一体どったのー?」

「や、あの……なんでもないです……」


 アニメ見てテンション上げて元気になった。けれど、ココちゃんは東雲先輩にくっ付いたまま。お昼過ぎから夕方にかけてずっとベッタリなんです。それが辛過ぎてテンションが。テンションがー。誰か助けて。


「変なこはるん」

「東雲先輩には言われたくないですっ。今更ですけど、東雲先輩は受験勉強しなくていいんですか? ちゃらんぽらんしてますけど、東雲先輩も一応受験生でしょう。一応」

「ちゃらんぽらんとか一応とか気になるワード満載なのいず何!? えと、あたしはもう結果待ちだし、どうせ受かってるしーだからね! 気楽なもんよー!」

「え、もう受験してたんですか!?」

「とっくに!」

「初耳です……」

「あーそういえば言ってなかったね。この話したのお父さんお母さん、あとはケイトくらいかも」

 

 出た。この人たちの悪い癖。伝えて当たり前の事を伝えない。後回しにする。まあ気付いてくれるでしょくらいの考えで、待ちに回る。


 よくないと思いますよ、本当に。


「それで、結果発表はいつ頃です?」

「知らない!」

「はい!?」

「だってだってーホームページに掲載だけじゃなくてメールでお知らせするって言うんだもん。まあお父さんたちが把握してるだろうし別にいいかなー」

「ダメです。これは東雲先輩自身の事で、とても大切な事なんですから。念の為確認してください。いつ発表なのかを」

「今?」

「はい」

「えー」

「でなきゃもうココちゃんと遊ばせてあげません」

「にゃ」


 東雲先輩の膝の上でのびのびタイムなココちゃんも頷いた、ように見えた。飼い主の気持ちを汲んでくれるココちゃんマジ天使。あとは私だけに甘えてくれたら百点満点なんですけどー?


「じゃあ調べる! ほーんと真面目ちゃんだなーこはるんはー」

「真面目とかじゃないです。こんなの普通です」

「えーっと…………んー?」

「どうしました?」

「や、なんかメール来てるわ!」

「へ?」

「これ多分そうだ。うーんと…………あ、合格発表だこれ」

「ほえ!?」

「しかも合格だってさ! やたー! ま、当然の結果なんですけど! なんてったってあたし、天才だからっ! えへへーっ!」


 状況に理解が追い付いかない。東雲先輩はピース混じりのキメキメポーズをドヤ顔で披露しているし。可愛い。じゃなくて。


「それはつまり」

「うん! 春から海外暮らし決定ー! こうなるのは間違いないと思ってたけど、いざ決まってみるとホッとするなー」

「にゃぁん」

「お、ココくんお祝いしてくれるのー!? ありがとー! うりうりうりうりー!」


 全力でじゃれ合う一人と一匹が、なんだか遠く感じる。私との温度差が凄過ぎて。


「えっと……まずはおめでとうございます……でいいんですよね……」

「あたしに聞かないでよー! でもありがとねーこはるん! っていうかテンション低くない? どったの?」

「なんか……複雑で……」

「複雑ー?」

「東雲先輩が合格したのは本当に嬉しいんですけど、東雲先輩が海外に行ってしまうんだなあと思うと……」

「寂しいんだ?」

「……端的に言うとそうなりまっ!?」

「はー! こはるんは素直可愛いなー!」


 座椅子から飛び出して、私を抱き締める金髪のお姉さん。急にやめてください。私もココちゃんもびっくりしちゃうから。


「こはるんのそういうとこも好きー!」

「か、揶揄わないでください……」

「揶揄ってなんかないない! そういうこはるんだからみんなに愛されるんだなー! 安心して! 時たま帰ってくるから! あたしの行く大学は四学期制になってるからさ、期間は短めだけどちょくちょくまとまった休み貰えるんだよねー! どう? それならこはるんも寂しくないでしょ!?」


 四学期制。言われたこの瞬間はまるで知らなかった言葉。後に調べた所、読んで字の如く、一年を四学期に割るという、向こうの大学でもあまり見られない、珍しい制度らしいです。その制度では、四月期の入学も認めているだとか。海外大学への入学って八月か九月のイメージが強かったんですけどね。


 閑話休題。


「えと……東雲先輩はどうなんです?」

「何がー?」

「寂しく……なりませんか?」

「ならないと思う! っていうかならない! ちょっとみんなと会えなくなるだけで、連絡取るのはいつでも出来るし!」


 そんな風に割り切れませんよ、私は。みなさんも、絶対。


「あたしはこはるんが寂しくならないようラインしまくるからさ、こはるんもあたしが寂しくならないようラインしまくってね? なんちゃって!」

「しまくりますよそれは……」

「ほーんと可愛いなーこはるんはー! アメリカに連れてっちゃいたいくらいだー!」


 頭撫でくり回したり頬擦りしたり胸触ったりして満足されたのか、ようやく私を解放してくれた。大変だったねと言わんばかりに私の膝に頭擦り付けてくれるココちゃん流石の天使っぷり過ぎる。さすココ。ようやく帰ってきてくれたんだね……しゅき。


「ペット感覚で連れ出そうとしないでくださいよ……」

「でもさでもさ、本気でどうかな? あ、別にあたしに付いてくるーとかじゃなくてさ、真剣に考えてみてもいいんじゃないかな、海外留学!」

「うーん…………ないですね」

「なんで?」

「秋葉原が遠くなってしまうので」

「斜め下の理由だね!? でもそういう自分の欲望に素直なとこも好きー!」

「それはどうも……他にもありますよ、ここに留まりたい理由ならいくらでも」

「そうなの?」

「そうですよ。っていうか、東雲先輩こそどうなんですか?」

「って言うと?」

「どうしても海外に行きたい理由。あるのかなって」


 夏のある日、どうして海外へ行くのかと尋ねた事がある。学べる事が多いからと言っていた。続けて、自身の目標に近付けるからだと、確かに言っていた。その目標は何かと聞くも、内緒の一言と笑顔のコンボに封殺されてしまった。


 今ならば引き出せないだろうか? 数ヶ月が経ち、アメリカ行きのチケットを手にした直後の今ならば。


「あるよ! あるけど内緒!」


 あーやっぱそうなりますか。頑固ですもんね、東雲先輩。というか、団地のみなさん全員か。


 しかし、ここで引き下がるのはなんか嫌だな。それにですよ。こっちはこうして心を揺さぶられているのに、東雲先輩はいつも通りののほほーんフェイス。なんか嫌じゃないですか。悔しいじゃないですか。このまま何も知らずに見送るだなんて、出来るわけじゃないですか。


「……質問を変えます」

「うんうん!」

「聞き難い事なんですけど……」

「遠慮しないのー! なんでもバッチコーイ! 答えるかはわかんないけど!」


 むっ。しっかり予防線を張ってきた。やっぱりガードは硬そうだ。


 だからこそ、攻め方を変える。いえ、少し違いますね。


「東雲先輩がお医者さんになりたいのは……東雲先輩のお母さん……エミーさんの事が関係しているのかな……なんて」


 今までより強く踏み込む。それしかない。


「……ズバッとくるねー」


 笑顔は崩せていない。しかし、確実に東雲先輩の心を乱した……と思う。


「ごめんなさい……」

「謝るくらいなら聞いちゃダメだよー」

「……ごめんなさい」

「言った本人が後悔して泣きそうになっちゃうなんて……そういうとこも可愛いんよなああこはるんは」

「こういうの……苦手で……」

「得意な人なんていないでしょ」

「かもです……」

「苦手な事してまで知りたかったんだ」

「そうなります……」

「ふーん……ま、それくらいならいっかー。こはるんの質問の答えは、イエス。あたしがこういう進路を選んだのは、ママの事が関係してるよ」

「え?」

「はいもう言わなーい! ちゃんと答えたからねー! って事でこの話おしまーい! っていうかあたしさあたしさ、くろちゃんの話したかったのー! くろちゃんさ、謙之助ガチ勢になっちゃったらしいじゃん! そういう事なので。とかライン来た時マジビビったんだから! くろちゃん大物だわぁ……ちょっと重めだけに……あ、体重の話じゃないからね!?」


 矢継ぎ早に繰り出される言葉の数々。その弾幕の向こうで、東雲先輩が言っている。


 ほんとやめよう、その話。と。


 ですよね。 無遠慮の極みでしたよね、私。本当にごめんなさい。


「……この前ここへ来た時に色々ありまして……それからみたいです……」

「らしいねー。くろちゃんの切り替えの早さというかメンタルの強さは見習わなきゃだよねー。ただなあ……両手を上げてくろちゃんの応援っていうのはなかなかなあ……謙之助の応援も出来ないし……いや待てよ……くろちゃんの応援して謙之介とどうにかなれば……夏菜が元気に集中出来る……? いやでもそれは謙之介に悪い気持ちになるし……うぐぐぐ……難しいーっ! あたしはどうすればいい!? 今出来る事は何かな!?」

「えと……何もしなくていいんじゃないでしょうか……」

「あーやっぱそれかあ……あとは若い者同士でってヤツだよなあ……」

「年齢変わらないじゃないですか……」

「細かい事はいいの! とにかくっ! くろちゃんも謙之介も頑張るなら今頑張らなきゃなの! 絶対今なの!」

「と言いますと?」

「元気が来月誕生日だから! 多分それまでに何かやらかすよー夏菜が。どう転ぶかわかんないけどねー」

「なるほど……」


 そういえば、まだ私たちが小学生だった頃に聞いた覚えがあります。松葉先輩のお誕生日。とても覚えやすい日でしたね、確か。


「うーん! なんか面白い事になってきたね、こはるん!」

「私としては冷や汗ものの日々が続きそうで今から怖いです……」

「あーそっか、こはるんは微妙な立場だもんなあ……夏菜過激派の一人だしくろちゃんの親友だし大好きなお兄ちゃんの恋路の応援もしなきゃだし」

「最後のだけ即時訂正を求めます」

「そんな照れなくてもいいのにー!」

「ココちゃん」

「ふしゃーっ!」

「のわぁ!? ココくん怖っ! 今の狙ってやったの!? こはるんビーストテイマーだったの!?」

「ビーストテイマーて」


 いや、こんなのノリですよノリ。ココちゃんもノリがいいからやってくれたんです。多分。そういう事にしておいてください。


「まあそれはどうでもよくて。あの、今の話を優ちゃんにするのって」

「全然アリでしょ! くろちゃんの事を思うなら寧ろした方がいいくらい!」

「けど」

「けどもでももストもへったくれもなーい! こはるんが気にし過ぎちゃうのはダメダメ! こはるんにとっても大切な事でも、こはるん自身の事じゃないんだから! 一緒になって苦しむのはダメー!」

「は、はあ……」

「あとの事は本人たち次第! あたしたちはワクワク七割ハラハラ三割くらいで見守ってようね!」


 ニコニコしていらっしゃる。そんなにポジティブでいられそうにないですよ私は……胃に穴が開くような事にならなければよいのですけど……。


「あとねあとね最近ね! 美優と修の感じがなーんか違うの!」

「えと……そういう感じになりつつある、みたいな?」

「ううん! 全然そういう感じはないの!」

「ないんですか」

「ないんだけどなんか違うの! 前から不思議な感じの二人だったけど、最近は輪をかけて不思議なの! なんかこう……とにかく不思議なの! 元気もなんか変だし……松葉元気から松葉空元気になったっていうか……夏菜も夏菜で決戦の日が近いからなのか落ち着きないし……あと奏太も!」

「……山吹先輩が?」

「にゃっ」


 いけない。ココちゃんを撫でる手に力が入っしまった。ビックリさせちゃってごめん。


「なんかふらふらーっとしてるんだよねー。くろちゃんとデートしてからの奏太。たまによくわかんない事言うし」

「よくわかんない事って言うのは?」

「へ? それは……アレ! ほんとによくわかんなかったの! とにかくね、最近みんなちょっと変なの! そんな感じなの!」

「……その、不思議な感じとか、よくわからない感じっていうのは東雲先輩的に、良い事だと思います? それとも良くない事だと思います?」

「む、難しい質問だなあ……どうだろ……悪い事ではない気がするんだけど…………ちょっと……」

「ちょっと?」

「怖い事なのかなあって、なんとなくそう思うの」

「そうですか……」

「うん……」


 不思議だったり、よくわからない。だから怖い。なるほど、当然の事だ。未知の物なんて怖くて当たり前なんです。至って普通の感覚だと思いますよ。


 けど、だからこそ。怖い事なのかもと東雲先輩が答えた事が、予想外だった。


 そういう未知なる物に心惹かれてはそれを追い掛ける。連れ添う人がいなかろうとたった一人、笑顔で。


 私の知っている東雲先輩は、そういう女の子だと思っているのですけど。


 もしかしたら、東雲先輩にも起きているんじゃないでしょうか。怖い事、ってヤツが。


「……じゃあこはるんは!?」

「はい?」

「いやさ、こはるんってばイメチェンしたしミスコンでも上位に……あたしより上に……あうぅ……」

「自分から地雷原に飛び込むのやめましょう?」

「じ、地雷とか違うし! あたしが言いたいのは、最近何かないの!? って事!」

「何かと言うと?」

「男の子に告白されたりとか!」

「な、ないですよそんなの! どうして私みたいなヘンテコ生物にそんなリア充感半端ないイベントがあると思うんですか!? 頭大丈夫ですか!?」

「頭大丈夫は流石に言い過ぎでは!?」

「東雲先輩が変な事言うのが悪いです!」

「ええー!? 反省の色なしー!?」

「そ、そもそもですよ! そもそも……!」

「そもそも?」

「そもそも…………そもそも……」


 そもそも、何? 何だっていうの、私。言っていいの? この人に? それは色々よろしくないんじゃないかな?


 いや。いいんだ。もういいんですよ。


「……いますし……好きな人……」


 貫き通すんだって、誓ったんですから。


「マジ!? 誰!? 聞きたい聞きたい知りたい知りたいーっ!」

「めっちゃ食い付きいいですね……」

「だって気になるしガールズトークっぽくなってきたし! こはるんが一つ上の女になる瞬間が近付いたんだから!」

「一つ上の女て」

「みんなも自分の事みたいに喜んでくれるよ絶対!」

「どうでしょうね」


 多分、それはないと思います。少なくとも幾人か、諸手を挙げて喜んでくれる事はないなって方に心当たりがありますから。


「絶対喜ぶってー! それで誰なの!? どうしても言いたくなければイニシャルとかヒントだけでもいいから!」

「言いたくないというか……」


 言ってしまったら後戻りが出来なくなってしまうというか。


「焦らすね焦らすねー! さあほら! バッチコーイだよ!」

「……じゃあ……」


 ここが分岐点。きっと、この先の人生全てに影響の出るポイントだ。


 ならばこそ、曖昧な事をしてはいけない。


「情報カマン! カマーン!」


 キラキラな笑顔とキラキラな髪とキラキラな瞳が縦に揺れる。本当に可愛らしい、素敵な人です、東雲先輩。


 そんな東雲先輩に、聞いてみたい事がありました。ずっとずっと昔から。


「私……」


 あの、東雲先輩?


「うんうん!」


 もしも私の好きな人が、東雲先輩と同じ人だとしたのなら。


「山吹先輩の事が好きなんです」


 東雲先輩は、どうするのでしょうか?


「……マジ?」

「はい」

「…………え、えーっ!? そうなのー!?」

「はい」

「二人仲良いなって思ってたけど……へーっ! そうなんだー!」

「はい」

「あ! じゃあさじゃあさ! いつから好きだったのかとか色々聞かせてもらってもいい!?」

「大丈夫ですよ」

「うんうん! じゃあ何から聞こうかなーっと……!」


 これから数時間の間に東雲先輩が見せた姿を見て、私は理解しました。空元気という言葉の、正しい意味を。


 その裏で。オタクな私は、気付いた事がありまして。


 負けフラグ立てちゃったかなあ。なんて。


* * *


「やー楽しかった! 結局長居しちゃった。なんかごめんね。わ、外寒っ!」


 鋭く深く刺してくる冷たい北風が痛くて染みる。すっかり夜になってしまいました。


「いえいえ全然。また遊びに来てください。あ、なるべくでしたら兄がいない日で。絶対かまってアピールしにくるんで」

「りょーかいりょーかい! いやあ……たくさん話したねー!」

「ですね」


 中にある物全て出し尽くせと言わんばかりに質問ラッシュを繰り出す東雲先輩も。その全てを正面から迎え撃った私も。


「やー来て良かった! こはるんの事、前よりずっと知れたし、前よりずっと好きになれた! よきよき!」

「それはどうもです」


 何処までが本当なのかと斜に構えてしまう。それくらい、前よりずっと好きになれたという言葉の違和感が強いのだ。良くも悪くも、この人の事を疑った事など今日まで一度もなかったんだけどなあ。


「よし! 帰る!」

「迷子になりませんか? 必要なら団地まで送って」

「ならないから! こはるんにまでアホガキ扱いされるの結構辛い!」

「東雲先輩だけの特権ですね」

「嬉しくないねえ嬉しくない! そもそもアホじゃないもんあたし!」

「夜道、気を付けてくださいね。飴をあげようとか知らない人に言われても付いて行っちゃダメですよ?」

「聞いて!?」

「じゃまあた、学校で」

「悪びれもしないし! こはるんが逞しくなって嬉しいやら複雑やら……」

「みなさんの影響ですかね」

「なのかなあ…………まあいいや! お邪魔しました! じゃあまたねーこはるーん!」


 ぴょんぴょん跳ねぶんぶん手を振って、東雲先輩が遠退いて行く。なんでしょう、あの人から迸るロリみは。ロリみがパないのだけれど。来年から大学生になる方なんですけどねえ。


「……片付けなきゃ」


 食べ散らかしたお菓子。自室とはいえ出しっ放しのオタグッズも。家族が帰ってくる前にやらなきゃ。


 それから、落ち着く時間を作ろう。ちょっと……ではないですね。だいぶ口が軽かったですから、今日の私は。浮気性説急浮上のココちゃんにたっぷり癒してもらうのです。


「すぅ……はぁ…………さて」

「こはるーん!」


 深呼吸を一つ置いて家内へ戻ろうとする私の後ろ髪を、溌剌とした声が引っ張った。


「Uターンしてきた!」

「みたいですけど、忘れ物でもしました?」

「忘れ物っていうかなんというか……えっと…………えっとね?」


 なんだかモジモジしていらっしゃる。目立ちたがりで照れ屋なこの人が実はよく見せる表情……に近いんだけれど。なんだか、様子が違う。


「こはるんさ……そんなに気になるの?」

「と言いますと?」

「あたしが、こういう進路を選んだ理由」

「え?」

「いやさ、こはるんがあんなにたくさん自分の事を話してくれたのに、あたしがこはるんの知りたがってる事を全部隠しちゃうのはフェアじゃないかなーって思って。こはるんが聞きたいって言うなら」

「聞きたいです」

「食い付きいいね!?」

「聞かせてください」

「こんなにがっつり来られるとは……これはもう後に引けない感じだあ……」


 そりゃあガツっと行くしかないでしょう。生真面目とか律儀とかではなく、ただの気まぐれなのだと理解していますから。なればこそ、この機会は逃せない。


「是非お願いします」

「……もう一度確認するね」

「はい」

「本当に……話していいの?」


 聞きたい? 話していい?


 温度差の激しい言葉選び。意図しての事だろう。


 出来れば、話したくないなあ。


 こんなメッセージが裏側に込められている事は理解出来た。しかし。


「……お願いしたいです……出来れば……」


 それでも行かねばと思う私の意思に反発するように、予防線のような文句の口から飛び出てきてしまった。


 単なる興味本位だけならばここで回れ右が正しい。しかし、それだけじゃないんですよ、私は。絶対に。


「……じゃあこはるんは特別ね! あ、誰にも言わないって約束してくれるかなー? いいともー! よろしいっ!」


 エアマイクを私に向けて突き出して、引っ込めて。にっこり笑って。


 あたしはいつも通りだから。


 そう言っているかのような、可愛らしい動きだった。


「じゃあ……あたしのつまんない話、聞いてもらおっかな」


 そうして、東雲先輩は語り始めた。留学の目的。その後の展望。そういう未来図を描いた動機。


「ね? つまんない話でしょ」


 そう言って話を締めるまでそれなりの時間を有したけれど、外気の寒さに身を震わせるような事はなかった。


 しかし。震えていたのかもしれない、私は。


「はいっ! この話はここまでっ! 約束通りオフレコでよろしくー! あたしもこはるんの話してくれた事全部ずっとずっと秘密にするから! って事で今度こそ帰る! また学校でねー!」


 決して速いとは言えない駆け足で、大切な人が私から離れていく。その小さな背中にかけるべき言葉は無数にある。


 しかし、今の私に、あの背中は追えない。


 東雲千華先輩が抱いた目標を。東雲千華先輩を作り上げた夢を。一片の曇りもない笑顔で語り尽くす姿が。


「なんで……」


 ちょっぴり怖くて。とっても寂しかったから。

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