大人の時間

「ふ、ふふ……ふふふ……」


 おっといけない。ついつい笑いが。だ、駄目だ……まだ笑うな……堪えるんだ……しかし……でもやっぱり笑っちゃ駄目ですよね。シリアスシーンでもなんでもない、電車内ですもの。


 今回はちゃーんと用意していた偽装用の紙袋の中、神々が産み落とした作品の数々がキラキラと輝いている。ああ、なんたる幸せか。私、この次元に産まれて良かった……来世があるのなら二次元に産まれてみたい感はありますけど。


 お盆の三連休最終日。即ち、オタクの祭典も今日で幕引き。昨日一昨日とがっつり参加したもので、財布はほとんどすっからかんですけれど、内側に隠しておけないほどの充足感に包まれています。日和見主義全開。身を切り売りするようなオタクライフ。控え目に言って最高だ。


 ですが、好きな時に飲み物さえ買えないのはよろしくないって事で、今夜も張り切ってバイトに励むのです。


「さて……」


 川崎駅に着いた。現在午後二時過ぎ。今日のバイトは午後六時から。どうしよう。荷物を置きに一度帰ろうか? 前日前々日ほど買い込んだわけでもないので、直にふじのやに行くのもいいだろう。その場合、何処かに寄り道をする事になるか。さてさて。


「メイト行こ」


 然程悩まずに行動指針は決定。財布の中身は寂しいけれど、行きたいんだもん。もっともっとオタク道にのめり込みたいんだもん。だから行くのですよ、私は。


 中央改札を出て西口方面へと進む。ラーゾナ川崎入り口前を左折し連絡通路を進むのがメイトまでの早道……なのですが。


「人多い……」


 なんだが、やけに人が多い。しかもその殆どが女性。上は杖を突いたお婆ちゃん、下は幼稚園年少さんくらい。あっちを見てもこっちを見ても、ホクホク顔の女性ばかり。ああ、もしかすると、ラーゾナでイケメン登場イベントでもあったのかも。


 あまり詳しくはないですけれど、ラーゾナ川崎のイベントスペースでは、毎日のようにアーティストさんやタレントさんが登壇されているそうなので、もしかしたら今日もその日だったのかもしれませんね。


 そう決め付け、私を押し戻さんばかりの人波を避けるよう通路の隅に寄り、どうにかこうにかミューズ川崎への連絡通路に入った。


「おっ。野良猫みっけ」


 途端、胡乱な言葉に足を止められた。


「……野良ではないですけどね」

「猫なのは認めるんだ」

「もう諦めてますから……こんにちは、山吹先輩」

「はいこんにちは、ねこちゃん後輩」


 山吹奏太先輩が、私の目の前に現れた。


「……くぅ……」

「どったの?」

「い、いえ……なんでも……」


 恥ずかしい。目を合わせる事が。この偶然に意味を見出そうとする私が。この偶然に舞い上がってしまっている私が。


 ああもう……なんだって私は……こんな風に……って、いけないいけない。まずはすべき事を、ちゃんとね。


「え、えっと……こんにちは……ケイトさん」

「こんにちは。小春」


 山吹先輩のお隣で通行人の視線を集めまくっている、歩くエロスの教典、ケイトさんにもご挨拶をば。


「凄い、本当でしたね」

「何がだ?」

「ケイトさん言ってたでしょ。ねこちゃんとはまた直ぐに会う事になるって」

「ああ。言った通りだったろう、小春?」


 パチっとウインクを飛ばされた。あっ、好きになっちゃうかもエロイカワイイヤバイはーほんま。人間って、こんなにエッチになれるんですね……人間って凄い。


「ですね……」

「正直、こういう形になるとは思っていなかったのだがな」

「は、はあ……えと、お二人は何を……?」

「デートだ」

「ほえっ!?」

「ああも殺風景な所に行くデートがありますかっての。ねこちゃんは驚き過ぎ」

「す、すいません……」


 だって……そんなの……ねえ?


「ちょいとお墓参りに行ってたの。千華ママのさ」


 そう告げる先輩は、明るい調子のまま。それが、無理をして明るく振舞っているように見えてしまい、無性に申し訳なくなった。


「……ごめんなさい……」

「どうして謝るのさ」

「だって……」

「すーぐにごめんなさい言っちゃうのよくないと山吹先輩は思うよ?」

「ごめんなさ」

「ていっ」

「いたっ」


 おでこに走るヒリヒリとした痛みが、デコピンを打ち込まれたのだと教えてくれた。


「はい、俺は女の子に手を上げたいけない男ですごめんなさい。はいこれでおあいこ。この話はおしまいっ」

「言ってる事めちゃくちゃです……」

「細かい事は気にしない気にしない。それよりねこちゃんは」

「話し込むのはいいが、場所を移さないか? 妙に視線が集まっているし、何より暑い」


 視線が集まっているのは、歩くエ六法全書さんがこちらにいらっしゃるからかと。さっきからケイトさんに酷いな、私?


「そうしましょうか。ねこちゃんは大丈夫?」

「六時からバイトなので、それまでなら」

「よし決まり。じゃあ」

「お? 山吹じゃないか」

「……ねこちゃん、声変わりした?」

「なんですその方向音痴なボケは……」


 闖入者の声は、私の背後から。あまり関わりのない方ではあるのですが、バスの利いたこの声の持ち主なら存じてますよ。声優になればいいのにと真剣に思うくらい素敵な声帯の持ち主ですからね。


「あれ、やっちゃんじゃん」

「久し振りだな。あとやっちゃん言うな。佐藤弥一郎先生な」


 説明の手間が省けました。黒くシンプルなポロシャツに身を包んだ、眼鏡の似合うイケボダンディ、佐藤弥一郎先生。川ノ宮高校教諭。記憶違いでなければ、山吹先輩らのクラスの担任を務められていたかと。


「あれ、ちょっと痩せたんじゃない?」

「むしろ太ったわ。わざと言ってるだろうこのクソガキめ」

「あーいけないんだー教師が生徒に向かってクソガキなんて言ったらー」

「そういう所がクソガキだってんだよお前さんは。ったく……おや?」


 いや、めっちゃ仲良いな? 普通に友人じゃないですか。と思いながら二人の顔を交互に眺めていたら、眼鏡の向こうの鋭い眼光が、私を睨んだ。


「こ、こんにちは……」

「はいこんにちは。君は確か……ああそうだ。赤嶺の妹か。良く見れば顔立ちが似通って」

「いませんやめてくださいセクハラで訴えますよ本気で」

「そんなに嫌がるかね……いい兄貴だろうあいつは……」


 そんな事ありません。アレはなんかこう、色々アレなんです。まあ、決して悪い兄だとは言いませんけど……。


「よく覚えてたねーやっちゃん。この子、謙之介の妹の赤嶺クレイジーキャット小春ちゃんね。覚えて帰るよーに」

「パンチのあるミドルネームだな。つーか何故上からなんだ」

「山吹先輩の妄言は気になさらないでください……赤嶺小春、一年生です。兄がお世話になっております」


 ぺこりと頭を下げ、ズレた眼鏡を直しながらやっちゃん先生の表情を窺うと、眼鏡の向こうの瞳が丸くなっていた。


「あ、あの……先生?」

「おいおい……生徒からこんな丁寧に挨拶されたのいつ以来だよ……そうだよな……これが当たり前なんだよな……なあ見たか山吹? これが正しい教師と生徒の姿だと思うんだよ俺は。なあどう思う?」

「ねこちゃん硬いよー硬い。相手はやっちゃんなんだからさーもっと適当な感じで」

「良いわけがないだろう馬鹿者」

「痛い痛い痛い痛いケイトさん足踏むのやめ痛い痛い痛い痛い!」


 言葉使いが気に障ったのか、ケイトさん渾身の踏み付けが、意識的なのか無意識なのかは定かではありませんが、山吹先輩の利き足ではない右足に炸裂。ご褒美?


「親しかろうとなんだろうと、然るべき態度があるだろう。相手は年長者だぞ」

「はいすいませんでしたほんとにだから足どけてああ痛い痛い痛いっ……!」

「まったく……相変わらず、生徒たちに好かれる性分のご様子ですね」

「舐められてると言うんだこれは……」


 あれれ? 自然に会話が進行している? なんでなんでとキョロキョロする私の目に、衝撃の展開が飛び込んで来た。


「お久し振りです。弥一郎」

「元気そうで何よりだ。ケイト」


 やっちゃん先生とケイトさん、抱き合う。え、えっ? 二人はそういう……ええ……?


「ただのハグだからね。あらぬ勘違いをしないよーに」

「わ、わかってますっ」


 フリーズする私をサクッと解放してくれる山吹先輩に、驚いた様子は微塵もない。日常的な光景なのでしょうか。


「弥一郎、この後時間はありますか?」

「構わないが今夜は」

「それまでの間も構いませんかという誘いです」

「そういう事なら付き合おう。ちょうど時間を持て余していた所だ」

「よかった。では奏太、どこか静かな店を」

「待った。店なら俺が都合しよう。行きたい所があってだな。こっちだ」


 ズンズン進む話とやっちゃん先生。何が何だかと戸惑うのも、最早慣れっこだ。


 今日も今日とて降って湧いた疑問の数々を解消すべく、 流れに身を任せた。


* * *


「おかわり。生で」

「はーい。生一丁入りましたー!」

「弥一郎……」

「止めてくれるな。たまの休日くらいいいだろう、昼から酒飲んだって」

「痛風には気を付けてくださいね」

「勘弁してくれその手の話は。健康診断の度脅かしてくる医者だけで間に合ってんだ」

「生一丁でーす」

「あどうも…………あー美味え……昼から酒飲めるとかなんて贅沢なんだ……」


 ツッコミが追い付かない。暑いなー喉乾いたなー水飲もー、くらいのノリでグラスを空けてはおかわりを繰り返す大人が向かいにいるこの状況いず何。この四人でテーブル囲んでるのいずもっと何。

 

「仮にも生徒たちの前でよくやるねー」

「細かい事はいいんだよ」

「俺とねこちゃんも飲んで」

「いいわけないだろうが」

「つーかそもそもこういう店に連れ込むのってどうなの?」

「未成年を居酒屋に入れちゃいけないなんて厳格なルールはないぞ。たしか」

「確証ないんかい。まあそれ言い出したら俺らふじのや入れないしなー」

「これ以上細かい事言いっこなしだ。雰囲気だけでも楽しんでいけ」

「はーい。ねこちゃん、次何飲む?」

「オレンジジュースお願いします」


 そのうち小春は、考えるのをやめた。今を楽しもー今をー。私たちイン居酒屋。店内最奥部の個室に、高校の先生とエッチなお姉さんと山吹先輩と。それだけの事です、うん。


「ほら見ろ山吹。赤嶺の即応性と適応力を。こういう所見習えな」


 即応性。適応力。はて、何の事やら。強いて言うならば無我の境地的なサムシングかと。グレードアップしてますねそれ?


「なるようになれーってスタンスなだけだよねこちゃんは」


 それ。それですよそれ。流石、よくわかっていらっしゃる。


「っていうか、ねこちゃん的には聞きたい事たくさんあるんじゃないの? エサ以外興味示さない猫みたいな顔してないでさ、聞きたい事ぽーんと聞いちゃいなよぽーんと」


 そんな顔をしているかは山吹先輩のみぞ知る所でいいとして、確かに良い機会だ。向かいの大人二人も乗り気なご様子ですし、ここからは言動行動共にしっかり考えていくとしましょうか。


「では…………ケイトさんは先輩やみなさんと、どういったご関係なのでしょうか?」

「とても人には言えないような関係、だな」

「はうっ」


 目を細めて微笑むケイトさんマジエッ。ほんとエッッ!


「説明が面倒臭いからって適当な事言わないでください。ケイトさんはね、千華ママの世話係みたいな仕事をしてた人なの。有り体に言うと、主人とメイド、みたいな」

「メイド!?」

「お、おう、びっくりした……妙な所食い付くね……」

「あ……す、すいませんっ……!」


 こ、こんなエッチな人がメイド? なんですかそれ……そんなの風紀が乱れ放題じゃないですか……性癖ぐにゃぐにゃに歪められちゃうじゃないですか……一体どんなご奉仕をしてくれると言うのですか……ケイトさんのメイド服姿……見てぇ……!


「では…………ケイトさんと佐藤先生はお知り合い……でいいのですか?」

「ああ。私と弥一郎は、君らが生まれる以前からの付き合いになる」

「もう二十年以上になるか。そりゃああいつらのガキもこんなデカくなるはずだなあ」


 やっちゃん先生の大きな手が、山吹先輩の頭を撫で……というか、掴んだ。頭蓋砕いたりしませんよね?


「ちょ、何すんだこら!」

「うんうん。嫌がり方もお前の父親そっくりだ」

「似るも何も誰だって嫌がるわこんなん!」

「デカイ声出すな。マナーがなっとらんマナーが」

「居酒屋に生徒連れ込んどいてよく言うわ」

「あ、あのっ」

「ん?」

「その、今のお話ですと……山吹先輩のお父様は、佐藤先生の……」

「教え子だよ」


 やっぱり。


「もっと言うなら、うちの親連中のほとんどがやっちゃんの教え子だよ。ね?」

「そうなるな」

「ならケイトさんは?」

「私は弥一郎の教え子ではない。単なる友人の一人だ。そも、この国の教育機関に属した事がないよ」

「生粋のアメリカンだもんな」

「とはいえ、ある意味では私も弥一郎の教え子と言えるのでしょうね。現に私は弥一郎を友人であり、恩師だと思っていますから」

「よせやい」

「それはつまり?」

「私に日本語のいろはを教えてくれたのが、他でもない弥一郎、という事だ」

「そうなんですか……」


 冗談抜きで日本人より日本語上手いから、実はこの国で生まれ育った方なのではとか思っていたんですけれど、どうやら的外れだったらしい。


「お嬢様の後に続きこの国に初めて降り立った頃は、付け焼き刃程度の日本語しか理解していなくてな。お嬢様はときたら、どこで使えるのかもわからない言葉ばかり覚えている始末だ。しばらくこちらに滞在するとお嬢様が言い出した時は困り果てたものだよ……弥一郎たちに手を伸ばしてもらえなければどうなっていた事やら……」

「まあ、そういう縁だったってこった」

「合縁奇縁とはよく言ったものですね」

「だな」


 だから! その微笑み! エッッ! なんですよ! あまり山吹先輩の前でそういうのは……はいっ、なんでもありませんっ!


「あんまその話知らないんだけどさ、要するにそれって、仕事外の話だったんでしょ。よく引き受けたねー」

「どうしても勉強教えてやって欲しいヤツがいる。どうか頼むって縋り付いてきた連中の熱量に折れた格好だな。まさか英語を教えてくれという話になるとは思わなかったがな。なんだって現国教師の俺に頼んだんだ、あいつは……」

「日本語教えるなら英語教師より国語教師の方が上手そうじゃない?」

「そもそも英語理解してなきゃどうしようもないだろうが」

「そりゃそっか」

「弥一郎の人望故でしょう」

「体良く利用しただけだろう。まあ……楽しかったがな。いい思い出だよ、今では」


 ビールを呷りながらやっちゃん先生は微笑んで、ケイトさんも笑っている。こうして数十年前の思い出を共有し合える関係って、素敵だなあ。


「やっちゃんに先生やってくれってお願いしたの、千華パパ?」

「それとお前の父親だな、熱心だったのは」

「ふーん。じゃあさ、ケイトさんだけじゃなかったんでしょ、やっちゃんの授業受けたのって」

「ああ。東雲の母親も一緒だったよ」


 やっぱり。そんな気はしていました。


「驚くほど吸収が早かったケイトとは対照的で、まあ覚えが悪くて」

「地頭はいいのに勉学となるとからきしでしたから、お嬢様は」

「けど、熱意は凄まじかった。新しい知識に触れる事を純粋に楽しんでいるかのようでな。ああも目を輝かせて連日来られたんじゃ手を貸さずにはいられなくてなあ……今風に言うと、ポジティブの擬人化みたいな所あるな」


 なんともユニークな例えだし、それにしっくりくる。東雲先輩が、正にそういう人ですから。


「似るものなんですね、親子って」


 たらればなんてなんの意味もないのは理解していますが、直に聞いてみたかった。会ってお話ししてみたかったし、何より見てみたかった。東雲先輩とお母様が、二人で笑っている姿を。


「あそこはそっくりだよね、本当」

「突飛なやらかしや唐突なアホアホ行動までそっくりだ」

「千華の記憶力然り、お嬢様も頭の回転は素晴らしく早かったのだかな……」

「けどまあ、そんな所もあの親子が人を惹きつける要因なんだろうよ」

「かもしれませんね……そういえば今日って、東雲先輩たちはご一緒じゃないんですか?」


 グッジョブ小春。さっきは聞きそびれていた事、さらっと聞く事が出来ましたね。というか、東雲先輩のお母様のお墓、この国にあるんですね。まずそれが驚きです。


「みんなそれぞれのタイミングで行ってるから、俺たちは一々口裏合わせはしないかな。俺はケイトさん一人じゃ寂しいかなーと思って付いてっただけだし」

「ほう?」

「冗談ですよ。ま、千華だけは別だけど」

「と言いますと?」

「あいつ、今日まで一度も墓参りに行ってないんだよ」

「え?」

「うわ、超素直なリアクション」

「だ、だって……」


 そんなの、驚くに決まってるじゃないですか。どうして? 会いに行ってあげたらいいのに。


「多分、行きたくないから行ってないとかそういう事じゃないと思うんだけどね」

「じゃあどうして?」

「さあ」

「さあって……」

「色々と思う所があるのだろう。他者が強制する事でもなし、千華の判断を尊重する他あるまい」

「でも……」

「それに、無理矢理千華を連れて来ても、あの人は喜ばないからね。だからこれでいいんだよ」


 そう……ですね。それはそうかもしれません。わかる気がします。


「いつか自分の意思で、あいつに会いに行く日が来るだろう。それがいつになるかはわからんが、必ず来ると確信している。ただ、今はその時じゃないと言うだけだ。我々が騒いだって仕方があるまい。すいませーん」


 ボタンを押せばピンポーンとなるのに、わざわざ大きく声を張って店員さんを呼び出すやっちゃん先生。この話はもういいだろうと暗にそう言っているんだ。ならば話題を変えましょう。まだまだ知りたい事は山ほどあるんですから。次のテーマはズバリ、東雲先輩の、お父様。


「あそうだ。おい山吹」

「んー?」


 と思ったのですが、やっちゃん先生のターンみたいです。まだ私のターン終わってないのに、割り込みよくないと思いますよ?


「いい機会だから答えろ。お前、進路はどうするつもりなんだ?」


 あ、やっぱ私のターン終了でいいですその話詳しくオナシャス是非是非。


「またその話? 終業式の日にもしたじゃん」

「お前が進路希望調査票を白紙で提出したのが悪い」

「白紙じゃない。ちゃんと書いたよ」

「隅の方に超ちっちゃく進学って書いたもんなんてノーカンに決まってるだろうが。おちょくってんのか」

「そうじゃないって。進学かも? 進学かな? 進学だよな? くらいでしかないからさ、大きな事言い辛くて」

「だからと言って小さく書くな戯け」

「なんだ、まだ悩んでいたのか」

「実はそうなんですよー」


 箸置きでも作っているのか、割り箸の袋で遊びながら答える姿は、その話マジウザい他の話しようぜーとでも言っているかのよう。まあ、わかりますけど。


 進路どうするんだこの先どうするんだあーだこーだと言われ続けるの、あまり気分の良いものではありませんし。だからと言って、今の山吹先輩の態度を肯定するつもりはありませんけど。


「やりたい事とかないのか?」

「ないなー。なりたいものもないし。先の事考えてみるじゃん? 見事に何も浮かばないんだよなーこれが」

「ならどうして進学と書いた?」

「進学はしときたい感あるから」

「どうして?」

「なんとなく?」

「お前なあ……」

「どんなに頑張って頭回したってこんな程度しか浮かばないんだよ、本当に。これでも絶賛お悩み中なんだからあんま突っつかないでよやいちろーせんせー」

「ケンカ売ってんのか……そうだ。親連中と少し話してみるといい。何かしら得られるものもあるだろうよ」

「毎日話してるけど」

「将来の事を話せってんだよ。その露骨な態度一つでこの手の話題は避けてんだって丸わかりだしな。いい機会だろう」

「しゃーなし。社会勉強させてもらうかー。そのうちね」


 うーん、これは聞く気がありませんね。それにしても、どうしてここまで頑ななのでしょうね。本当に悩んでいるんだったら誰かに相談するなりすればいいのに。


「そうだなあ……社会勉強だと思って、俺もふじのやでバイトさせてもらうとかいいかもなー。どうかな、二代目看板娘さん的に」


 ほう。ほうほう。山吹先輩がふじのやでバイト? それはつまり……え? 何それ……え、嬉し……って! はしたない! 何を浮かれているか! 赤嶺小春! 毅然としなさい毅然と!


「わ、わわっ、私に聞かれても……こまっ、困りますよぉ……!」

「何くねくねしてんの……え、ちょっとキモいんだけど……」

「キモいは酷くないですか!? っていうかくねくねなんてしてませんし!」

「ムービー撮っときゃよかった……失敗したなあ……」

「私の話聞いてますか!?」

「おし、箸置き出来た。久し振りにしてはなかなかだ」

「清々しいですねほんと!」

「なんだ、赤嶺はふじのやでバイトしているのか」


 吠える私に反応したのはお隣さんではなく、お向かいに座る男性だった。


「はい。先輩方に勧められまして」

「そうかそうか……そうなのか……」

「それは……聞き及んでいなかったな……」


 神妙? 珍妙? どっちとも取れるようでどっちとも全然違うような、なんとも表現するのが難しい表情をなさる、二人の大人。な、なんですか……そんなに引っ掛かるような部分ありました?


「今のうちに言っておこう。赤嶺」

「は、はい……」

「今夜のバイトは、なかなかハードな事になるぞ」


* * *


 本当は、今日はお休みさせて頂こうと思っていました。夏コミ最終日ですし、最後まで見届けかったし、戦利品の数々を帰ってからじっくり堪能したい。だから今日はと、そう思っていたのですが、ふじのやのビッグボスこと白藤先輩のお爺様と、ふじのやの看板娘こと白藤先輩から、今日はどうしても頼むとご連絡を受けまして。


 何かしら理由があるのでしょう。本来なら今日はシフトに入る日でしたし、了解しましたと、二つ返事で引き受けました。


 その理由とやらはなんだろう。やっちゃん先生の言もあり、殊更気になっていたのですが。


「お? この子が二代目看板娘か」

「わ! 本当に小春ちゃんだ! みんな覚えてない!?」

「ガキ共が行ってたサッカーチームで一緒だった子の妹じゃなかったか?」

「そうね。謙之介くんだったかしら」

「ああ、あの面白い子か! 懐かしいなあ」

「しょっちゅう元気と張り合ってたよねーあの子」

「だな。っていうか……大きくなったなあ……」

「ほんとほんと! って、どこ見ながら言ってんのよ!?」

「そりゃあ胸に決まってるじゃんか。ロリ巨乳、いいね」

「あたしがちょっと揉んで確かめてみるわ」

「やめろバカ共。ドン引きしてるぞ赤嶺」


 なるほど、理解しました。


「ねーねー小春ちゃん、何か言ってよー」

「何も言わないんだったらそのたわわに実ったおっぱぉぅふ」

「セクハラ自重しなって」

「小春ちゃん、何か一言欲しいなー?」


 さっきまで一緒にいた一人の大人と、さっきまで一緒にいなかった十人の大人の視線が注がれる。これは、何かを言わなくてはダメなヤツですね。であるなら、本心をば。


「赤嶺小春です…………どうか優しくしてください……」


 心からの言葉を贈った所でもう一言、いいですか。


 助けて。

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