愉快な家系図

 本日貸切。軒先に貼られたその四文字が暖簾代わり。ふじのや店内は、普段の喧騒さえ霞むほどの、文字通りのどんちゃん騒ぎになっている。


「親父ー! こっちお代わり!」

「あんた飲み過ぎだよ」

「こっちもこっちも!」

「次もらう前にそれ飲み切りなさいよ。グラス交換は基本よ基本」

「あれ、あたしボトルキープしてなかったっけ? 忘れちったー」

「この前飲み切ってなかったけ? もう覚えてねーや」

「あったけど私が飲んじゃったよー」

「いやいやボトルキープの意味よ」

「酔ってるなあ……」

「酔ってて何が悪いってのよ。やっちゃん! 飲んでる!?」


 十人の大人が叫ぶ。


「飲んでるぞー。赤嶺、焼酎くれ」


 その十人よりも年長者となるイケボな一人が続く。


「小春ちゃんこっちもこっちも! あたしウーロンハイね!」

「俺マッコリで。他は?」

「あと全員ビールでいいなー?」


 成歩堂さんばりの異議なし! が其処彼処から。いや、なんてテンポの速さですか。どれだけ飲んでいるんですか、あなた方。ヤベェっすよ。店の酒空にするつもりじゃないでしょうね。


「は、はい……」

「む? 小春ちゃん、緊張してる?」

「いえっ、全然そんな事……」

「おい誰だよこの子ビビらせてる悪い大人はよー!」

「お前もその一人だっつの」

「えへへーよろしくねー小春ちゃーん」


 にへらにへらと振られた手に会釈で返し、逃げるように厨房に駆け込んだ。や、マジ無理。なんなんですかあの、若々しい陽キャの波動は。


「これは……」

「時々ね、先生やケイトちゃんと予定合わせて集まるんだよ、こいつら」


 ノンストップで繰り広げられるパンチ力あり過ぎな光景に口を開けていると、ビッグマムが情報をくださった。


「そうだったんですか……」

「こいつらが集まって飲み始めると本当にタチ悪いって知ってるからね、夏菜は絶対来たがらないし、あの子たちも顔出さないしで大変でさあ」


 なるほど、貸切にするはずだ。こうなる事を知っていたからこそ山吹先輩は、さっきのお店を出るなり逃げるように帰ってしまったんですね……私だけ残して……白藤先輩も教えてくれれば良かったのに……!


「まあ、あの子たちが来ない方がケイトにとっちゃありがたいんだろうね」

「ケイトさん?」

「ほら」


 女将さんの視線の先を目で追うと、見て見ぬ振りの難しい光景に行き当たった。


「ケ、ケイトさん!?」


 あの先輩とは少し色味の違う、まだ目に馴染まない金髪の持ち主が、机に突っ伏していたんです。そらもう慌てて駆け寄る以外ないわけで。


「大丈夫ですか!? 体調でも」

「……こ……」

「はい!? こ、なんですか!?」

「こ…………こはりゅぅ……」

「……うん?」

「こはりゅ……こはりゅだ……」


 あ、可愛い。好き。嫁にしたい。じゃなくて。えーっと……もしかしなくても……ケイトさん……下戸?


 今更に気が付いたのですが、さっきのお店で一口もアルコールを摂取していませんでしたね、ケイトさん。やっちゃん先生も勧めていませんでしたし。なるほどなあ。


「なんだよもう潰れちまったのかよー」

「生一杯も飲みきってないじゃないのよー」

「相変わらずクソザコちゃんだなー」

「うにゅう……」


 先日と今日見せてくれた、見るもの全てを引き付けるような凛とした姿は何処へやら。散々な言われように反応する様には一欠片の凛々しさもなく、ただひたすらに可愛いで溢れていた。


「み、みじゅ……こはりゅ……おみずちょうらい……」

「水ですね!? えと……はいどうぞ!」

「う……ありがと……」


 あ、可愛い無理。お持ち帰りしたい。


「もーやら……おうちかえりゅ……こはりゅにつれてってもらうぅ……」


 はーんっ! なんですか今のっ!? 特殊な何かに目覚めてしまいそうな物凄くとてつもなくスーパーエゲツない破壊力はっ!? そうか! これが百合! 百合の波動ですね!? うん! なんか違う気がする!


「無理に喋ろうとしなくていいんだよ。寝てさない、ケイト」

「お、おかみしゃ……うぅ……」

「よしよしいい子いい子」

「おかみしゃあん……」


 女将さんによしよしされるケイトさんが可愛すぎてヤバい。ほんとヤバい。これほどまでにギャップ萌えって言葉が似合う人他におる? いやおらん!


「この事はあの子らに内緒にしてあげてね。あの子たちは知らないから」

「は、はあ……」

「子供にも子供にも事情があるように、大人にも大人の事情がある。大人の威厳を保つのも大変なんだよ」


 ケイトさんを撫でながら微笑む女将さん、もしや聖母なのでは?


「まーまー小春ちゃん、ケイトは放っといてこっちおいでこっち」

「おじさんたちと愉快な話をしよう」

「そーそー。ねーね、幾らでおっぱい触らせてくれるー?」

「おいこらお前ら。その子はうちの生徒で俺は川ノ宮高校の教師。何かやらかしたら、わかるよな?」

「やっちゃんの首が飛ぶんでしょ」

「なんだ、じゃあいいや」

「気にする要素ナシだな」

「とりあえずちょっと胸触らせてもらおうぜー」

「そうしようそうしよう!」

「お前らなあ……」

「っていうかさーちゃんと自己紹介した方がよくない? 多分どれが誰の親かわかってないよーこの子」

「それなー。って事でほれ、自己紹介するべ自己紹介」

「誰から行くよー」


 ふにゃふにゃケイトちゃん眺めていたい、なんならペロペロしたい私を現実に引き戻す十一人の酔っ払い。私置き去りで話が進んでいくのには慣れっこですが、こんなにもストレートなセクハラは初めてですね。何処に相談すればいいんでしょうね。


「じゃあ私からねー。お久しぶりねー小春ちゃん! 修のママですよー!」

「ああそういう感じな。僕は修のパパさん。綺麗になったねー小春ちゃん」


 陽気に手を振るキレカワお姉様と、ズレたメガネを直しながら微笑むイケカワお兄様。なんなんですかこのイケイケ夫婦は。はよ結婚しろ。してた。なるほど、桃瀬先輩がイケメンに産まれないはずがないですね。


「どうもー小春ちゃん。あなたモデルやってみない!? 可愛いしスタイルいいし! 一度だけでいいから! ね!? 一人で寂しいって言うなら美優も連れてくからー!」

「自己紹介になってないよ……僕が美優パパで、こっちが美優ママ。よろしくね、小春ちゃん」


 浅葱先輩のお姉様ではないのですかね、前のめりで勧誘してくる超絶美人なこの女性は。スタイルもヤバヤバ。ケイトさんと同等の戦闘力なのでは。一方でパパさんの方は……なんか地味。いえ! 決して悪い意味ではないのですよ! ただなんとなくそんな感じだなーって! なんかなーって! そんな感じなんですはい!


「はいはい次俺な! えーと、俺が元気パパだ! よろしくなーおっぱいちゃん!」

「ちょっと自重しなよセクハラ親父。あたしが元気ママね。この親父たちに何かされそうになったらあたしにいいなよ? 二度とシャバを歩けないようにしてやるから!」


 火の玉ストレートを繰り出す豪腕夫婦。なるほど、松葉先輩のご両親らしい。というか、お二人共背高くないですか? 少なくとも小さくはないですよね。遺伝ってのはやはりよくわからないものですね。っていうかシャバって。


「そんで俺が奏太千華パパね。いやー大きくなったなあ本当に。さっきの話の続きだけど、一晩幾らで付き合ってぐむっ!?」

「あたしで満足しときなさいな。奏太千華のママです。親連中も子供たちもクセの強いのばっかだけど、改めてよろしくね」


 あ、両先輩パパ素敵。メガネの似合うダンディパパさん素敵。奥様も若々しくて……というか可愛らしいお人だ。とてもハイティーンキッズの親とは思えないくらい。パチっとウインクする姿もキュート。お茶目な方なんでしょうね。


「僕が夏菜のパパです。ちょうどいい機会だ、お礼を言わせて欲しい。話には聞いていたけど、娘はもちろんの事、この店まで面倒見てもらっているみたいで、本当にありがとう。とても助かっています」

「私は今更感あるけど……まいいか。夏菜の母です。いつもありがとうね、小春ちゃん。小春ちゃんが入ってからの夏菜、以前より受験勉強に時間を割く事も出来ているし、ここに来るのも楽しそうだし。あなたには本当に感謝しているのよ。娘もこの店も、これからもどうぞよろしくお願いします」


 この十人の中でただ一人、ここ数ヶ月で何度か顔を合わせたし、なんなら一緒にホールに立った人、白藤先輩のお母様と、その旦那様が丁寧にお辞儀をするのを見てや、慌ててお辞儀返し。他四家の方々との温度差があり過ぎて、寧ろ白藤先輩ママパパの方がおかしいのではとか思ってしまってごめんなさい。


「総勢十名! 子供たち共々仲良くしてねー!」


 声を張り上げる桃瀬先輩ママに続き、九人の大人がよろしくと声を上げる。どうしよう。えと、えっと……。


「よ、よろしく……お願いします……」

「なんだなんだ堅いなー!」

「もっと気楽に行こうよー」

「俺らがそういう圧掛けると余計にいいぃっ!?」

「つまんない事言わないのーあんたは。とりあえず小春ちゃん、お酒! 追加!」


 私を気遣おうとした浅葱先輩パパの言葉は、浅葱先輩ママに口を塞がれるという、まさかの物理で遮られてしまった。浅葱先輩パパから圧倒的苦労人の波動を感じる。ファイトっ。


「おいお前ら。この子は仕事中でお前らは客なんだ。これ以上ちょっかい出すようなら全員出禁にするから覚悟しとけよ」

「わーってるって親父ー」

「相変わらず顔怖いんだからー」

「眉間のシワ昔より酷くなってない?」

「もちっと愛想良くしないと固定客逃しちゃうわよー」

「ほっとけクソガキ共」


 凄い……息子である白藤先輩パパはわかりますけど、他のみなさんまで大将にがっぷり四つだ。しかもクソガキって。大将から見れば、幾つになっても、って事なんでしょうかね。


「じゃあこれくらいならいいだろ。ねーねー小春ちゃん」

「は、はい……」

「彼氏いる?」


 き、きた……この手の質問は絶対どこかで来ると思ってましたよ。落ち着け。心を乱すな。ペースに巻き込まれるな。事実だけを述べればそれでいいんだそれで。


「いません」

「あらもったいない。こんなに可愛いのに」


 この後。この後だ、肝心なのは。矢継ぎ早に次の質問が来るぞ。内容は恐らく……。


「じゃあさ、好きな人っているのー!?」


 はいドンピシャ。読み通り。完璧な読みでしたよ私っ。後はもう平常心で、ありのまま、嘘偽りなく……。


「いま、いましぇんっ!」


 あ、あれ? 平常心で、ありのまま、嘘偽りなく答えた……つもりなのに?


「いやわかりやすっ!」

「おっとおっとー!? 甘酸っぱい香りがしますよー!?」

「あたしたちで良ければ聞かせて聞かせてー!」


 前のめりになるパパママチーム。いやいや、今のわっかりやすい動揺っぷりはどういう事なんですかね、私? ちゃんと平常心で、ありのまま、嘘偽りなく答えたのに。


 いや、今のはちょっとした失敗だ。今すぐに軌道修正を図りましょう!


「ち、ちがっ! あの! 今のはそういうわけじゃなくて! ですね! 私は別にそういうのは……でして! だからですね……え、えと……違うんですっ!」

「はぁ!?」

「ひいっ!」


 松葉先輩パパの大きな声に、思わず顔を隠してしまった。大きな声やめて……びっくりします……。


「何よこのウブな反応!」

「なんっっっってわかりやすい!」

「自分を誤魔化せてもいない!」

「可愛過ぎないこの子!?」

「これがアオハルってヤツ!?」

「かーっ! 輝いてるぜー!」

「おいおい眩し過ぎんぞ失明しちまいそうだ!」

「認めん! お父さん、そんなの絶対認めないからな!」

「何ポジよあんた」

「若いっていいねぇ……」


 ああもう……違うのに……そんなんじゃない……そんなんじゃないのにぃ……。


「くぅ……」


 く、くそぅ……誰ですか……パッと脳裏に現れた人は……ああもう……わかってます……わかってるんですよ……!


 で、でもねでもねっ! なんていうかねっ! 今だにちゃんと処理出来てないというか認めきれていないというかなんというかなんというか! って感じなんです! はあ!? なんですこれ!? もうどうしろって言うんですか!? 助けて!?


「よーし! おばさんもうちょっと突っ込んだ事聞いちゃうぞー!」

「いけいけー!」

「いいぞもっとやれー!」


 や、やめて……これ以上あれこれ聞かないで……。


 でも、今度こそ落ち着け。次に飛んでくる球種はわかっている。今度も間違いなくストライクゾーンど真ん中の豪速球が来る。ならば、確実に弾き返すのみ!


「小春ちゃんの好きな人って……あたしたちの子供たちの中にいたりする!?」

「しょ、しょんなわけないじゃないれしゅか!? なにをおっしゃっていりゅのでしょーくわ!?」

「おいおいマジかよー!」

「ガキ共許せねー!」

「小春ちゃんのおっぱいは俺のだぞ!」

「ねえ百合? そういう可能性は? ねえちょっと誰か聞いて?」


 浅葱先輩ママが百合の香りを立ち上らせるのを尻目に盛り上がるパパママーズ。なんてこった。読みは当たっていたのに、球がメチャ速だった。クソ雑魚私にあんなの打ち返せますかっての。


「はいはい待て待て流石に待て。ここから先を聞くのは無しにしよう」

「えー?」

「聞きたいでござるー」

「我慢せい。これ以上はただの老害だぞ」

「やだ! 老害扱いやだ!」

「けどもっといじめた違う違う弄りたいんだけどなー」

「ダメつったらダメ。俺ら前時代の者共はただ見守るのみ。それでいいんだよ」


 まだブーブー言う大人たちを嗜めるのは、山吹東雲先輩パパ。さっきまで先頭切ってセクハラしていた人とは思えない気の回しようにビックリ。


「ま、どうせこの子が惚れてるのはうちの奏太なんだからよ。なんつっても奏太が一番カッケーからな」

「あんた何言ってんの!? 一番可愛いのは元気ですー!」

「違いますー! どう見ても修ですー!」

「いやいや奏太だろ」

「自分で産んどいてなんだけど、元気はないわ。どう見ても修だわ」

「いーや! 元気だね! うちの修もいいけど元気はもっといい!」

「いやいや奏太でしょ! あの小生意気な感じとか最高じゃん!」

「いーや修だろ! 元気はない! 俺に似なかったしチビだし!」

「基準お前かよ……まあ、修かなあ」

「あたしは奏太推しだから!」


 うちの子だ。いやうちの子だ。いやいやお前ん家の子だ。いやいやいやお前ん家の子だろふざけんな。


 遠慮なくそう言い合う様が、不思議で不思議で仕方がなかった。けれど。


「……ふふ……」

「なーにニコニコしてるの小春ちゃん?」

「え?」


 探り入れるのなしと言っておきながら私の反応見る気満々だった山吹東雲先輩パパさんの言葉に、みなさんの視線が私に集中する。


「……私、笑ってましたか?」

「うん」

「どったのー?」

「え、えっと……」


 だって……こんなの、笑わずにはいられないじゃないですか。


「その……なんか……誰が誰のご両親なのかわからなくなっちゃいそうな光景だなあって……わ、悪い意味ではないです!」

「ああ、そういう話かー」

「わからなくても問題ないわよー」

「そんなの大した事じゃねえしなー」

「大した事じゃないなんて……」


 そんなわけがない。重要な事に決まってる。みなさんは何を言っているんですか。言いたくとも言えない言葉を飲み込むと、山吹東雲先輩パパさんと目が合った。


「実際大した事じゃないんだよ。俺らに言わせればさ」

「と言いますと?」

「簡単だよ。ちょっと誕生日がズレていて、ちょっと顔立ちが似てなくて、たまたま名字が違っていて、たまたま自分の嫁じゃない女の股から飛び出てきた。それだけの話」

「おいこら表現な」

「うっせーな。まあそういう事」

「……つまり?」

「あいつらはみんな、俺ら全員の子。って事さ」


 そうなんですかだなんて、わざわざみなさんに確かめるまでもない。今、みなさんが見せている笑顔以上の答えなんて、他にない。


「ま、お前らんとこはそんな感じだな」


 グラスに注がれたお酒をやっつけながら、やっちゃん先生が言う。やっぱり、笑いながら。


「……素敵ですね……」

「そうかしら?」


 ええ。心の底からそう思います。ほんのちょっと不思議で、とってもとっても素敵だと思います。きっと、当事者であるみなさんだけですよ、気が付いていないのは。みなさんが、どれだけ素敵な関係であるか。


 本当に。本当に本当に素敵です、みなさん。


「そんな話は置いといてだ。今思ったんだけどさ、小春ちゃんの脱バージンはそのまま、うちの子らの脱童貞に繋がるのでは?」

「にゃ、にゃにをいっておられりゅのでしゅか!?」

「お、満更でもなさそう」


 なんで……なんで話戻しちゃいますかね!? 折角良い話風になったのに! 矛先逸れたかなって思ったのにっ!


「年頃だもんなー仕方ねえよなー」

「不純異性交友は認めんぞー」

「うわ、やっちゃんが教師ヅラしてる」

「教師ごっことか急にどうしたの? 何か嫌な事でもあった?」

「お前らこそ大丈夫かよ」

「大丈夫大丈夫! 私ら的には全然オッケー全員オッケーだから!」

「そういう大丈夫じゃねえっつの」

「なんなら小春ちゃんが全員まとめて相手してやってもいいわよー?」

「ぜ、全員…………あぅ……」

「うわ、この子想像してるー!」

「なっ!? そ、そんなのしゅるわけないじゃないれすか!」

「噛んでるかんでる」

「意外とむっつり系かー」

「あーもうっ! ほんと可愛いなー!」

「ふぎゅっ!」


 浅葱先輩ママにハグされた。あ、いい匂い。そしてこの乳。血は争えませんね。


「はーも……連れて帰りたい……好き放題したい……」

「むごっ!? ふごご!」

「その子本気で身の危険感じてるからな、そこら辺にしとけよー」

「つーかケイトは? おーいケイトちゃーん?」

「そっちで伸びてるよ」

「空気読めねーな相変わらず。さっさと起きろよキャサリン」

「そうだよキャサリーン」

「あたしたちの話聞いてるのキャサリンちゃーん」

「しょ、しょのなまえでよぶなぁ!」


 キャサリンて誰。あなた方は誰に向けて何を言っているの。降って湧いた疑問に向き合うより速く、さっきまでほとんどゾンビ状態だった美女が顔を上げていた。


「そうやってると本当に可愛いなーキャサリンはー」

「だ、だからぁ」

「どしたキャサリン? トイレか?」

「ちが……あぅ……」

「よちよちーキャサリンは可愛いでちゅねーキャサリンはー」

「うぅ……みんなきらいだ……」

「はー可愛い! ほんと可愛い!」

「ちょ、やめ……うぇ……」

「お前らやめてやれって……」


 やっちゃん先生の静止もどこ吹く風。ターゲットを私からキャ……ケイトさんに変更したらしい浅葱先輩ママが飛び付くのを横目に見ながら、すすすっとやっちゃん先生に近付いた。


「あの、先生」

「ん?」

「えと……キャサリン?」

「ったく……これは他言無用で。特にあのガキ共には絶対言わないように。いいか?」

「約束します」

「……ケイトってのは愛称なんだ。本当のファーストネームはキャサリン。キャサリン・アン・メイフィールド。それがあの子のフルネームだ」

「キャサリン……でも……どうして?」

「本人曰く、キャサリンっつー可愛らしい名前に見合う、それはもう可愛らしい女になりたかったそうなのだが、本人的には思う通りになれていないらしくてな。キャサリンと呼ばれると全身むず痒くなるし気落ちするから、愛称であるケイトで呼ぶように、とかなんとか」

「……なるほど?」


 なんですそれどこのドMクルセイダーですか可愛過ぎか。


「さっきも言ったが、俺らは全員知ってるが、あいつらは知らない。そしてケイトはどうしても知られたくない。たとえ、俺たちに理解出来ないような理由であってもだ」


 いやほんとそれ。ピッタリじゃないですか、キャサリンって。だってあんなに可愛いんだもん。


「墓場まで持っていきます」

「そうしてやってくれ」

「ねーねーキャサリーン? もしかしてキャサリンは、キャサリンって名前が嫌いなのかしらー?」


 浅葱先輩ママの追撃が止まらねえ。あの攻め方……親子ですねえ。


「パパとママがくれたなまえだからすき……だいすき……だけど……わたし……」

「うん?」

「……かわいくないもん……」

「可愛過ぎかー!」


 可愛過ぎかー! 


 あっぶね。なんとか飲み込めました。キャサリン強い超強い。やべ、鼻水出ちゃった。


 っていうか凄いな。こんなに酔ってるのに字幕スーパーにならないとか。どんだけ体に染み込んでるんですか、日本語。


「めつきわるいし……せたかいし……せいかくよくないし……」

「おーよしよしキャサリンちゃーん。大丈夫だよーキャサリンは可愛いよー大丈夫だよー。きっと素敵な旦那さんも見つかるよー」


 はあ? 地球の男連中アホ過ぎません? こんなに可愛いキャサリン独り身にさせてるとかマですか? はーほんま! こうなったら仕方ねえ。私の嫁に……って。私も落ち着けそろそろ。


「小春ちゃんだってそろそろ彼氏持ちになりそうなのになー」

「おーいケイトー。間違えた。キャサリーン。小春ちゃんはもうすぐ結婚するんだってさー」

「そんな話してませんよね!?」

「ふぁ? こはりゅが?」

「そーそー」

「違いますって! あ、あの! 私は決してそんな事言ってませんしそういう予定もありませんので! 何も気にせずゆっくりとお休みになってください!」

「……こはりゅ」

「なんですか!?」

「……じゅるい……」

「だから可愛過ぎかー!」

「だから可愛過ぎかー!」


 やべ。完全に浅葱先輩ママとハモった。まあいいか。


「つーかもうやっちゃんと結婚しちゃえばいいじゃん」

「何言ってんだ松葉テメこら」

「いいじゃん! やっちゃんとケイトなら諸手を挙げて祝福するよーあたしたち!」

「年貢の納め時だよ。今日までさっさと結婚しなかったやっちゃんが悪いって事で」

「何の話だよ……大体、ケイトが自分を安売りするわけ」

「やいちろー?」

「な……」

「やいちろーと……けっこん……わたしが……やいちろーと……」

「…………」

「……えへへ……」

「……よせやい」

「どっちも満更でもなさげー!?」

「おいおいマジかよマジかよー!」

「今のは違うだろ!?」

「素直になれよーやっちゃんよー! このどすけべボデー独占出来んだぜー!?」

「だから俺は」

「親父! お袋! 酒! こんな時こそ飲まねえと!」

「前祝いしましょう前祝い!」

「式の日取りはどうなってんの!?」

「ご祝儀なら任せとけ!」

「引き出物はカレー皿以外でお願いね!」

「お前らーっ!」


 なんか一気に火が付いたので、逃げるように厨房に入る。大丈夫かな。本当にこの一晩でお酒の在庫はなくなるのではないだろうか。心配だ。


「……あれ?」


 厨房から騒がしい店内に目をやると、今日までなかったはずの物が目に入った。


「どうかした?」

「ああいえ、あんなポスターあったかなと思いまして」

「昨日貼ったんだよ。今年もそういう時期になったからねえ」


 訝しむ私に、女将さんが答えをくれた。


「うちの店も一枚噛むからね」

「そうなんですか?」

「毎年恒例だから。けど小春ちゃんは無理せんと、参加側に回るといいよ」

「でも」

「バイトの事、知られちゃいけない人間がいるんだろ? なら大人しくしていた方がいいよ。こっちは大丈夫だから」

「……ありがとうございます……」

「どちらにしろ、小春ちゃんも遊びにいらっしゃいな。あの子たちも喜ぶよ」


 女将さんの笑顔に誘われるまま、首を縦に振った。


 来たる八月三十日、三十一日。その日は。


* * *


「祭りだ!」


 前日に見られた大人たちのバカ騒ぎとは打って変わって落ち着いたふじのや店内で、松葉先輩が叫んだ。


「ねこちゃん祭り! 祭りだよ祭り! 今年も来たぜー! うおー楽しみだなー!」

「は、はあ……そうですね……」


 バイト中の私を捕まえ吠え立てる松葉先輩の言う通り。


 毎年恒例行事。川原町祭り。


 私にも、みなさんにも。忘れられない二日間が、やって来る。

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