悪戯

@darkraevatainn

第1話

仕事帰り、スーパーの酒売り場で思わず私は溜息をつく。

「はあ~、ったく何なのあの上司っ」

社会人一年目、職場には未だに馴染めていなかった。というか、端的に言えば今の上司が苦手なのだ。

今日も半ば無理矢理行きたくもない飲み屋に付き合わされ長々と仕事の話を聞かされてしまった。おかげで今日は比較的仕事が早く終わる水曜日だというのに、時刻はすでに10時半を回っていた。

「こういうときは酒だ酒!」

明日に響くかもしれないと嫌な予感を抱えながらも、酒なしにはこの鬱憤は晴らせそうにない。私はビール缶を無造作に二つ掴んでカゴに放り込み酒売り場を後にした。

「……あれは、?」

レジに向かう途中ふとあるものに目が留まる。

可愛らしいカボチャとお化けのイラストが描かれた包装紙だった。中にはお菓子が詰められているようだ。

「そっか……今日はハロウィンか……。」

そう言えば渋谷で騒ぐ若者がニュースで流れていた記憶がある。何気なくそのお菓子袋を手に取る。……ん?この袋何かシールが貼ってある?

「半額っ!!」

私はお菓子袋に貼られたシールの文字を愕然と反芻していた。

いやいやいや大の大人が一人で子供用のお菓子を買うなんて……いやでも酒のつまみには丁度良さそうだし……いややっぱりこういうのって子供がいる親御さんとかがかうべきなんじゃ……いやいやそれでも売れ残ったからこうして半額になっているんだろう?

「お客様、本日はご来店いただきありがとうございました。当店はまもなく営業終了時刻です……」

そんな私の葛藤は突如店内にアナウンスとともに流れ出した『蛍の光(別れのワルツ)』によって遮られる。ふと時計を見やるともう十一時五分前だった。

多分この店の営業終了時刻は十一時なのだろう。

そっと辺りを見渡すと周りに買い物客は殆どおらず、売れ残った品物を整理している店員がいるばかりだった。

もしここで私が買わなかったら時機を逸したこのハロウィン用のお菓子はどうなってしまうだろうか? 今後の栄えある日本の未来のためにも食品ロスを出来るだけ避けるのが私たちの使命ではなかろうか?

そう適当に理由をつけて私はそのお菓子袋を買っていくことにした。

この後のレジでの「お子さんへのお土産ですか? いいですね。」「ええ、まあ、はい……あははは……」という会話は自分の中ではなかったことになっている……。


そんなこんなで帰路につく。もう少しで自宅というところで私は自分の目を疑った。

路地裏の道路の真ん中に小学校低学年くらいの子供がぼうーっと立っていたのだ。髪は腰辺りまでボサボサに伸びていて、小さめのオレンジ色のリュックサックを背負っている。白いロングスカートを身につけているせいで足下は見えない。女の子だろうか。

周りに大人の姿は見えない。夜遅くにこんなところで一人で何をやっているのだろう。親御さんはどこへ行ったのだろうか。何にせよ話を聞いてみた方が良さそうだ。

「ねえ、あなた、そんなところでどうしたの?」

近付いていき声をかけると女の子はぎょっとこちらを振り返る。

「どうしたのっ、その傷、それに酷い汚れだわ」

女の子の右頬にはどこかで転んだのだろうか、茶色い土の跡と切り傷があった。私は急いでハンカチでそれを拭き取ってやる。長い間外にいたのだろう。触れた部分からハンカチ越しからでも冷たい感覚が伝わってきた。

よく見ると来ている洋服も所々黒いシミがある。さすがにそれは拭き取るわけにもいかない。

「……でしてきた」

「ん?」

女の子がぼそりと何かを呟いたような気がしたので、私は怖がらせないように優しく訊き返す。

「家出、してきた。」

今度ははっきりそう言った。聞き間違いということはなさそうだ。しかし、相手が子供ということもあって「家出」という言葉の真意がイマイチ不明確だ。

「お母さんは?」

私がそう聞いても女の子は首を横に振るばかり。迷子、ということだろうか。

「とにかく警察にいかないと、」

私が手を引き連れて行こうとすると、

「嫌っ、警察はいやっっ」

そう叫んで女の子はその場で泣き出してしまう。

その酷く怯える様子に私は不穏な空気を感じ取る。少女の言う「家出」。それが本当にその言葉通りの意味だったとしたら……。

もしかしてこの子は家庭環境に問題があるのではないか。そして前にも「家出」を試みたことがある。だけどその時は警察に連れて行かれて家に引き戻されてしまった。だから、警察を忌避している……?

この仮説の真偽はともかく、今日はもう遅い。今夜は更に冷え込むだろう。そんな中身寄りのない少女を野ざらしにしておくのは余りにも可哀想だ。

「とりあえず家に来なさい。」

一時的に私は女の子を自宅で匿うことにする。どうするか決めるのは明日でもいいだろう。

私は女の子の手を引いて歩き出した。

…………………。

無言で歩き続けること数分。

ここから家までの道のりってこんなに長かったっけ……。

歩きながら辺りを見渡しても風景には見覚えがあるようなないような……。確かにこんなに夜遅くにこの道を歩いたことはなかったけど、今まで帰路で迷ったことなんて一度もなかったんだけどなあ……。

不安な気持ちを顔に出したつもりはなかったけれどどうやら女の子には伝わってしまったらしい。

「お姉さん何か困ってる?」

初めて女の子の方から話し掛けてくる。

「いやあ、あはは……ちょっと職場で嫌なことがあってね。」

我ながら下手な嘘だとは思う。まあ困っていることと言えば嘘ではないのだが、少女に心配をかけないようにするあまり、職場の話を話題にしてしまうとは……。

しかしせっかく掴みかけた会話の糸口をみすみす逃すわけにもいかない。仕方なく職場の話で会話を進めることにした。

「今の上司が、酷い人でさ。普段は何もせずに部下に責任押しつけてくるくせに、調子の良いときだけ良い先輩面しちゃってさ…。今日も上司よりさらに偉い部長さんに飲みに誘われたからって、自分が後輩に慕われてることをアピールするためだけに私ら部下を無理矢理飲みに誘って飲み屋ではずっと部長のご機嫌取り。今日部長から受けた仕事だって、『私が責任持ってやります』なんて言っておいてどうせ全部部下に任せるつもりなんだ。私はああやって自分のためだけに他人を巻き込んで平気で嘘をつく大人にはなりたくないな~。」

……分かりきっていたことだが、先程から女の子の反応がない。やはり小学生の女の子にする話ではなかったか。慌てて何か楽しい話に路線変更を試みる。

「そ、そういえばさー、今日ってハロウィンだよねえ。お姉さんからお菓子あげようか~?」

本当は酒のつまみにするつもりだったが、今はそんなことは言っていられない。酒のつまみが少女の笑顔に変わるのなら安いものだ。

そう言ってお菓子袋を取り出そうと鞄をがさごそやっていると、

「あの、ね、」

女の子が唐突に歩みを止める。

長い髪に遮られて表情までは窺えない。でも彼女が必死に何かを伝えようとしていることは分かった。

私はじっと彼女の言葉を待つ。

「あのね、お姉さん。私、本当はね、いたずらするつもりだったんだ、私を苦しめた嘘つきの大人に。」

余りにも脈略のないその言葉に私は上手く話が飲み込めない。

「それってどういう……?」

「でもね、」

私の戸惑いの声を遮るように彼女は続ける。

「お姉さんはいい大人だから、やっぱりやめる。」

次の瞬間彼女の体が光に照らされる。気づくと明らかに法定速度を超えた猛スピードで車がこちらに迫って来る。

「危ない!!」

彼女を抱きかかえようと私は必死に手を伸ばす。

しかし少女はそんなことを気にした風もなく言う。

「ありがとう、あなたに出会えてよかった。贅沢を言うならもう少し早くあなたに出会えていれば……」

車が彼女に衝突する寸前、私は彼女の最後の言葉を聞いた。そして――

伸ばした手は空を切った。


目覚めると病院にいた。すぐにあの女の子の安否を看護婦に問いただしたが、皆口を揃えて

「そんな子供知らない。」

「夢でも見たんですか。」

というだけだった。

私もあの距離だと確実に車に衝突したはずなのだが、目立った外傷はなくその日のうちにに退院できた。結局車の目撃者もおらず、それからしばらくは、あの夜のことが全て夢だったようにも思っていた。

後日気になって調べてみると、確かにあの場所で事故は発生していた。

しかしそれは十年前の話だった。

『夜十一時頃、小学二年生の少女が車にはねられて死亡』、と記事にはある。読み進めていくと、当初運転手の男は容疑を否認していたが近くの防犯カメラの映像と所持していた車の凹みが逮捕の決め手となったらしい。またあの場所を訪れる前男が立ち寄っていたスナックで彼が酒を飲んでいたという証言もあり、彼の罪は一層重いものになったそうだ。

更に、その小学二年生の少女について近くの警察署に聞き込みに回ると、定年間近の初老の男性警察官が「その少女のことなら知っている」と話を聞いてくれた。

その警官が言うには、

「夜遅くに小学校低学年ぐらいの女の子がうろついてたから補導したことがあります。『家出してきた』と言うから最初は驚いたけど少女が持っていたオレンジ色のリュックに取り付けられていた電話番号に連絡を取って保護者に向かいに来てもらうと、優しそうなお母さんだったので安心しました。迎えに来たとき女の子が妙に震えていたが、それは単に母親に怒られることを心配しているだけだと思いました」と。

「でも、」と彼は付け加える。

「あのひき逃げ事件で遺留品からあのオレンジ色のリュックサックが出てきたとき、死亡した少女があのとき補導した女の子であることに気づきました。そして、あの『家出』という言葉はただの冗談ではなかったのではないか、と疑念を抱き始めました。そこで少女の母親と連絡をとった時に控えていた住所を調べてみると、そこは古びたアパートで、管理人の老婆に事情を聞くと、少女の母親が住んでいたと思われる部屋は何ヶ月も家賃を滞納しており契約者である母親とも連絡がつかない状態になっていたといいます。部屋に取り残されていた少女を老婆は家賃の踏み倒しだと罵り無理矢理追い出した、というのです。私はその時になって遅まきながら事の重大さに気づきました。私は少女を助けるつもりで補導したのに、結局彼女を苦しめてしまったのです。そのことが今でも悔やまれます。」

彼は唇を噛みしめて俯く。

私はその悔悟の言葉を黙って聞いていた。ただただこの警官の気持ちが少しでもあの子に届いていれば……と思う。

「あと、これは余談ですが、……」

そう言って彼は壁に備えつけられた棚から一束の捜査資料のようなものを取り出して私に見せる。

『十年程前から毎年ハロウィンの夜中にこの辺りで行方不明者が出る。大抵の者が数日後には家に戻ってくるのだが、被害者の証言によると、「オレンジ色のリュックを背負った少女の霊がでた」とのこと。その他似通ったような目撃証言はあるものの、犯人は未だ不明……。』

「これ、どう思います?」

彼が余りにも神妙そうな顔つきで尋ねてくるものだから、私は少しおどけてこう返した。

「ただの子供の悪戯ですよ。」


私は改めてあの場所を訪れてみることにした。私と少女がハロウィンの夜出会った路地裏である。

そっと電柱の陰にあのとき渡しそびれたお菓子袋を置く。

「トリック・オア・トリート」

ふと脳裏に彼女の最後の言葉が過る。

「ハッピーハロウィン。もう悪戯しちゃダメだぞ。」

私はそう呟いて静かに手を合わせる。


それからその少女の霊を見た者はいないそうだ。

                                     終

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