もうちょっとだけ続きがあるよ。
目を開けると、そこはバスの中だった。
動かなくなったバスの中で、俺は倒れてた。
周りにもたくさんの人が倒れてて、あちこちで苦しそうな呻き声が響いてた。
俺のすぐそばに、血溜まりの中に浸った彼女の体があった。
目を開けたままぴくりとも動かない彼女。
もう、息をしてないことは、わかってた。
死んで間もない人間の死体なんて、それほどひどく形を崩していなければ、まだ生きてる人間とそこまで変わらないんじゃないかって、そのときまでは思ってた。
あんなに「違う」ものだなんて、思わなかった。
彼女の体は折り重なった人で隠れてて、それらしい傷も俺からは見えなくて、だから、どこがどうっていうのは、俺にもよくわからないんだけど。
彼女は、確かに「違う」ものになってたんだ。
そんな光景を眺めながら、俺は不思議に穏やかな気持ちで、ただ、彼女が「向こう」へ行ったんだっていうその事実を、静かに実感してた。
俺の手には栞がしっかりと握られてた。
事故の直前、彼女が落としたこの栞を拾おうと、身をかがめなかったら――。
俺は、彼女とほとんど変わらない位置にいた。
俺はこの栞に、そして彼女に助けられたのかもしれない。
彼女が栞を落とさなければ、あるいは俺も彼女と一緒に――。
そう思うと、やるせなさを感じる一方で、いくらかの罪悪感のくっついた安堵が込み上げてきた。
なんだかんだいっても、生き残ったことは、ここに戻って来れたことは、やっぱりうれしかったんだ。
彼女に一目会うこともせず帰ってきてもね。
栞を挟んだ人生だなって、そんなことを、ふっと思った。
いったん閉じて、ああして生と死の狭間の世界に迷い込んだけど、また閉じた所と同じ場所を開いて戻ってきたから。
さて――。
ああ、いや。
このあと、もうちょっとだけ続きがあるよ。
そう。
おまえたちが、今いちばん聞きたいと思ってることだ。
――聞かなくても、もう察しはついてるだろうけどな。
バスの事故のあと、俺は彼女のいなくなった日常を、それでもまあ、普通に送ってた。
食事して、眠って、通学して、サークル仲間と遊んで、大学の授業受けて、レポート書いてだ。
実感したはずの彼女の死が、時折やっぱり信じられないと感じたり、でも次の日目が覚めたらまたその実感が戻ってたり、心の中はさすがに混乱してたけど、そんなことをしばらく繰り返すうちに、だんだん苦しいのや寂しいのも薄れてきて、本当にちゃんと心が落ち着いてきた。
俺は大学を卒業して、就職して、別になんてことない人生を送る。
楽しいこともそうでないこともいろいろある、普通の人生だ。
ただ、ひとつ――。
俺は、一人でずっとあることを調べ続けてた。
生活の負担にならないように、少しずつ、少しずつ。だから時間はかかったな。
そもそも何を思ってそんなことを調べ始めたのか。
なんでかな、気になってたことは確かだけど。
単に一目見てみたかっただけ、だったのかもしれないが……ひょっとすると、目に見えない力に導かれた、ってやつなのかもな。
子どもを産んだばかりの夫婦の自殺。
首吊り自殺。
その友人の行方不明。
彼らが子どもの頃住んでた町にある山……。
あの少女が語った話を手がかりに、俺は数十年かけて、ついにその場所を割り出し、見つけたんだ。
山の中の廃屋。
そこに足を踏み入れると、靴の爪先で、床に落ちてた小さな石のような物を蹴り転がした。
薄暗くてよく見えなかったけど、あれは、あの少女を食べたっていう男の、歯だったんじゃないかと思う。
そこにはその男以来、きっと、俺が来るまで誰も出入りしてなかったんだろうな。
廃屋に続く道だって、そのときにはもう道かどうかもわからない有りさまだったから。
あとになって思えば、ほんと、見つけられたのが不思議だよ。
廃屋の床には、聞いた話の通り、少女の体が横たわってた。
体温のない、息をしていない、心臓の鼓動がない、紛れもない死体だ。
その姿は、生と死の狭間の町で見たのとまったく同じだった。
こっちの少女が、もう、決して動かないってことを除けば。
少女が着ていたのは男物の服だった。
それも、少女を食べた男が着ていたものなんだろう。
サイズの合わない、だぼだぼのシャツにジーンズ――。
そのジーンズが、少女の腰からいくらかずり下がって、股の部分が大きく膨らんでた。
ちょっと躊躇したけど、俺はジーンズをその下の下着ごと脱がせてみた。
そうしたら、そこに、二人の赤ん坊の姿があった。
まだ生まれたばかりに思える大きさの、心臓の動いてない男の子の死体。
それよりも少し大きく育った、姿は見えるけどさわることのできない女の子の赤ん坊。
そう。
それが、おまえたちだよ。
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