「狭間の町」の話 - 其の二 -
「どう、わかった? 生者と死者との間に、子どもなんて生まれちゃいけないんだってことが」
語り終えた少女はそう言って、俺の顔を見つめたあと、俺の手の中の栞に視線を落として、こう続けた。
「お兄さんが今までいた世界に比べてね、こっち側の世界では、つながりのあるもの同士がすごく “混ざりやすい” の。この町の中も、死者の世界もそう。こっち側では、向こう側みたいにする必要はないんだよ。恋人を抱きしめる必要も、肌を触れ合わせる必要もないの。恋しい者同士がお互いを求め合ったら、その心が通じ合ったら、それだけで交わることができるの。
……お兄さんは、自信がある? 恋しい人を目の前にして、別れたらきっともう二度と会えなくなるその人のこと、求めずにいられるって。心の隅っこにほんの少しでも、絶対そんな思いは抱かないって、自信ある? もしそういう思いを抱いたとしても、その思いが恋人と通じ合うことはないって、そう言える?」
少女はじっと俺の目を見つめながら問い重ねた。
俺は、何も言えなかった。
少女はふうっと息をついて、おもむろに町の景色を見回して、言った。
「この町に来て、あたしは、あたしのことを知ったんだ。あたしの母が死者だったこと。生者と死者との間にできた子だから、あたしは生きても死んでもいない者として生まれたんだってこと。誰に教わったわけでもないのに、どうしてか、そういうことが全部わかったの。
それは、あたしの魂に刻まれてる知識だったのかもね。この町に来たことで、その知識が呼び覚まされたのかもしれない。この町は、あたしが本来いるべき世界だから、あたしに対して特別な力を持ってるのかも」
――本来いるべき世界?
問い返した俺に、少女はうなずいた。
「生きることのできないあたしは、死ぬこともできないの。だから、魂が体から離れても、決して死者の世界に行くことはできない。生きてる者は生者の世界。死んだ者は死者の世界。生きても死んでもいないあたしは、生と死の狭間のこの世界。それが、それぞれの者のいるべき場所」
それを聞いて、俺も、あらためて町を見回した。
奇妙なその町に、相変わらずひと気はない。俺と少女以外には誰の姿も見えなかった。
――この、生と死の狭間にいるべき者は、君一人なの?
俺が尋ねると、少女は「さあ」と首をかしげた。
「あたし一人ってことは……ないと思うんだけどなあ。けど、生者と死者の間に生まれた、生者でも死者でもない人間なんて、やっぱり、そうそういないのかも。生者と死者が出会うってこと自体が珍しいことだしさ、それに、普通、生者と死者との間にできた子どもを産めるのは一回きりなの。生者が産む場合でも、死者が産む場合でも、どっちでもね。
……だから、この町はこんなにがらんとしてるんだよ」
そう言ったきり、少女はしばらくぼんやりと目を伏せていた。
いくらか経って、ハッと我に返ったように顔を上げた少女は、「あのね」と言いながら俺の手に自分の手を伸ばした。
少女は俺の手を取って、手の中の栞にそっと触れた。
「この栞……。さっき、あたし、栞から死者の世界への道が伸びてるって言ったけど、その反対側の紐からは、生者の世界への道が伸びてるみたい。だからこうして、こっち側の紐をほどいて掴んで、持っていって。そうすれば、きっとお兄さん、元いた世界に帰れるよ」
そう教えてくれたあと、少女は、少し寂しげに微笑んだ。
「この町で人に会うことって、滅多にないんだ。たまに会う人も、この町に迷い込んだだけの生きてる人か、もう死んでる人で、そのうち生者の世界に帰るか、死者の世界に行っちゃうし。もうどっちの世界にも行けないあたしは、これから先も、この町で、ずっと一人ぼっちなのかなあ……」
そんなことを呟かれて、俺は戸惑った。
寂しそうな少女の顔を見ていると、その場から立ち去るに立ち去れなくなってしまいそうだった。
でも、少女は別に俺を引き止めるつもりじゃなかったらしい。
少女はすぐに、
「じゃあね。話を聞いてくれて、ありがとう」
と、俺を追いやるように手を振った。
俺も少女に礼を言った。
そして少女と別れ、再び一人で町を歩き始めた。
死者の世界へ行った彼女のことは、もう追うまいと思った。
さっきの少女の話を、寂しそうな少女の笑顔を思い出すと、彼女に会いに行くのが怖かった。
行動なら……体の動きならコントロールできても、心の動きは頭で考えた通りになんてならない。
想いだけで彼女と交わってしまいかねないのなら、きっと、それは抑えられない。
それに、あの少女のことを抜きにしても、恐ろしかった。
死者と交わる。その行為……その現象は……何か、世界の条理に反してると。禁忌だと。漠然と、でも強烈に、そう感じた。
彼女には会いに行けない、と思った。
会いに行かない、と決めた。
でも、そうはいってもやっぱり、どうしても彼女のことが心残りだったんだろう。
心に迷いがあったせいか、いくら歩き続けても生者の世界にはたどり着けなかった。
なんとなくわかるような気がしてた生者の世界への道筋を、俺は、いつしか完全に見失ってしまってた。
また、何日も、何十日もの長い時間が、俺の感覚の中で過ぎていった。
そんな俺の前に、今度は一人の少年が現れたんだ。
「なんだ、生きてる人間か」
少年はつまらなそうに、そしていくらか憎々しげに、そう吐き捨てた。
少年は、十五歳前後の見た目だろうか。
上も下も、全身真っ黒な服を着ていた。
その服が、なんだか奇妙だった。
やけにべたっとしてるというか、平面的。全然立体感がないんだ。
服の皺とかよれとか、そんなものがどこにもない。
服の生地が、ほんの少しも光を反射してなかった。
その少年も、俺の持ってる栞に目を留めた。
そしてあの少女と同じことを忠告した。
恋人に会いに行くのはやめろと。
もしやと思ったが、やっぱり彼もまた、生者と死者との間に生まれた子どもだった。
あの少女以外にも、やっぱりいたんだ、そういう人間が。
俺は彼の話を聞いた。
生者と死者との間に生まれた者の末路を、もう一つ。
それはこんな話だった。
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