第4話 夏

 七月の蒸す夜は、汗で新聞を汚し、二月の厳寒の凍り付いた路面は、配達員と新聞とを容赦なくバイクから放り出す。

それでも新聞はトラックに乗せられ、毎夜無造作に配達員の前に置かれる。


 この、呆れるほど永遠に続くかと思われる事実の前に、すべての配達員は屈服し頭を垂れる。

そして背負わされた重荷を、一秒でも速く我が身から取り除くためポストに向かい合い、その重荷を少しづつ減らしていく。

大型で口が大きく感じの良いポストは、すんなりと受け入れてくれるが、口の小さい壊れかけたポストは、新聞を幾重にも折り曲げてやって機嫌を取る。


 吠える犬を蹴飛ばし、優しく近づいてくる犬には頬ずりをする。

エレベーターのないアパートの階段はそれが四階ともなると、富士山の頂上を極める思いで登山家のように一段一段踏みしめて登るときもあれば、オリンピックの陸上選手のように一気に駆け上がることもある。


 風邪を引いて熱のある時は、わざと「不着」をしてトボける。

夜中でも夫婦喧嘩花盛りの家は、そっと近寄って音を立てないようにする。

道路で寝ている酔っ払いには、冬以外安眠妨害をせず、声をかけずに通り過ぎる。

路上に停車している車の中も覗かない。そんな暇はない。


 新米はガソリンのチェックを忘れ、配達途中でガス欠を起こし路上で立ち往生する。

荷を積んだままその場に立ち尽くし、泣き出す者もいる。

それでも、夜が明ければベテラン新米の区別なく一人一人に、ひと時の達成感を得る資格が与えられる。

この尽きることのない繰り返しが中谷は好きであった。


 いや、確かに好き、と言えるまでの自覚はしていなかったかもしれない。

しかし、少なくとも肉体が生きているという証だけは与えられていた。


 中谷は休刊日が嫌いであった。

ギャンブル好きや家族持ちの配達員は、通しで休めるこの日をいつも心待ちにしていたが、中谷にとってはこの日は空白である。

埋めることのできない空白が速く過ぎることを願って、部屋でただゴロゴロしている自分をみじめに感じると、アパートを飛び出し、バイクを蹴り営業所の仮眠室へ行ってみるのが常だった。


 中谷はそこで次はの日の準備をするわけでもなく、ただテレビのスイッチを入れ、押入れに積み上げらっれている古新聞を取り出し、それをめくりながら、平日のテレビのワイドショーに目をやっていた。


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