かぼちゃの煮つけと雪女
紙川浅葱
「ただいま」
「おかえりなさい、旦那さま」
私は旦那さまのちょっとはいからな背広の上着を受け取った。夜風に吹かれた上着は少し冷たい。暦の上では明日で霜月だ。六時にもなると辺りはもう真っ暗で、玄関からは瓦斯(ガス)灯の明かりが揺らめいているのが見える。
「今日のご飯はなんですか?」
「秋刀魚とお味噌汁と、あとは昨日のかぼちゃの煮つけです」
「おいしそうだ」
旦那さまは丸眼鏡の奥でやさしく笑う。その笑顔を見て今日も救われた気がするのだ。
旦那さまを迎え入れて戸を閉める。ふと、玄関先の卓上暦に目がいった。
今日がその日だ。
『はろ……うぃん……ですか?』
一週間前、友人との会話を思い出す。
『そう。西洋のお祭り事なんだけど、妖怪の格好をして……』
ところで、旦那さまは地質の学者さんなのですが、こういうことを知っておられるのでしょうか。海外のお方と会われることも多いです、おそらく知識としてはあるかと。五日前から卓上の暦も玄関に置きましたし、昨日かぼちゃの煮つけも作りましたし。
「……芳子さん?」
「はいっ!?」
考え事をしているのを察されないように返事をする。
「いえ、何か考え事をされているようだったので」
ばれてる。
「いや! そのっ違うんです。ちょっとお話があるというか……こほん」
「はい」
「あの……その……とりっく……おぁ……」
ここで、もし旦那さまが知らなかったらと想像してしまう。私の顔はおそらく真っ赤になっている。
「……とりー……と……」
季節外れの蚊が鳴くような声で、私はなんとか言葉を紡いだ。
旦那さまはその一言の意味を知っていたようだった。
「悪戯は嫌なので、お菓子でお願いしますね」
先ほどとは違った、少し意地悪な笑顔を見せる。
「えっ、お菓子ある……?」
「……いや、わかってはいたんですけど、芳子さん甘いもの苦手じゃありませんでしたっけ」
「それはそうなんですけど……やってみたかったというか……」
はろうぃんのことも旦那さまがそれをわかっていたことも恥ずかしくて、袖で顔を隠した。穏やかに笑う旦那さまを見れなかった。
「ちなみに何の仮装ですかそれは」
「……ゆき……ぉんな……です」
結いていた黒髪をほどいて、持っている中で一番水色の着物を着ただけだ。私の中ではそれが限界だった。
「旦那さまがはろうぃんを知っていたなんて。ましてやお菓子があったなんて……」
「芳子さんが訊いてくるとは思っていませんでしたけどね」
「躱されてしまいました……」
「うん?」
「いえ! 何でもないんです! ご飯にしましょう! ご飯に!」
……とりっくの方は、いつかまた。
かぼちゃの煮つけと雪女 紙川浅葱 @asagi_kamikawa
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます