ビーフシチューを作る女のひとの話

@akiko_ooo

第1話



 目が覚めて壁に貼ってあるいくつかの写真が視界に入ったときから、それを作ることは決めていた。だってもう危うかったから。

 牛肉、たまねぎ、にんじん、ブロッコリーを鍋に入れて、まずは炒める。それから水を入れて、30分煮る。スツールに座って、本を読む。ほとんど雲で覆われているけれど、でもその隙間から漏れる夕焼けの中を走るバスで泣きそうになったことや襲ってくる記憶に押しつぶされて息ができなくなりそうになったこと、消えてしまいたいけどできないあの感じを思い出してしまったことは忘れて、本を読む。

 BGMはPaul DesmondのA Taste of Honey 。本は初めて読む作家だから、ときどき休憩がいる。本の中では目標を失った男子学生がクスリに溺れる友人とともに生活をし、まだ10代前半の外国人の女の子に心をもっていかれている。途中でキラキラ系リキュールと書かれたシールが貼ってあるお酒を少しだけグラスに入れて飲む。








 30分たったので、じゃがいもを入れてまた10分煮込む。本はもう読み終えてしまったので、解説を読む。けれどそれを書いたひとがフランス人でそれを訳したようだからとても読みづらい。途中で諦めて、ルーの入った箱を眺める。陽気なおばあさんのイラストが書いてある。

 また時間が来て、パックを開いてルーを入れる。少ししてから味見をしてなんだかうすい気がするけれど、こんなものかと思いつつ鍋をかき混ぜながら、また箱を見る。そこでやっとこのレシピが一箱全て入れる分量で書かれていることに気づく。なるほど、どうりで水が多かったわけだ。どうしようかと一瞬迷うけれど、ええいと残りのルーも入れる。またかき混ぜる。

 できあがったそれを見て、笑いがこみ上げてくる。わたしひとりしかいないのにこんなに作ってどうするつもりなんだろう、と。でもひとしきり笑うと、まぁいいかと思う。おそらく1週間ほどずっとこれを食べることになるんだろう。でもそれでもいいかもしれない。この鍋が空になる頃にはわたしはこのビーフシチューで成っているだろう。





















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ビーフシチューを作る女のひとの話 @akiko_ooo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る