賢者の街の話




《その昔、人を寄せ付けない険しく気高い山があった。山の北側と南側にはよく栄えた国があったが、行き来するにはその山を遠く迂回せねばならず、争うことすら手間だと同盟を組んでいた。その長い交易ルートの途中途中で、商隊相手の街も栄えた》


ある時、北と南の国に賢者が現れた。


賢者は国を繋ぐ長い長い街道を、それぞれ一晩で石造りに変えた。


誰もがその賢者に再び会いお礼をしたいと街道を進んだが、賢者は北の国にも南の国にもいなかった。


美しく強固に整えられた街道のおかげで、今までより多くの荷馬車が北と南を行き来した。しかしどれほど交流が増えても賢者を見たという者はいなかった。


人々は中間地点にある交易の街に、その賢者の奇跡を伝え残すための小さな神殿を立てた。


こうして交易の街は、賢者の街として親しまれた。


《この一連の話を聞いた交易の街の商人は、その賢者様とやらにぜひ一度お目にかかりたいもんだねと悪態をついた。

商人の男の一族は、祖父母の代にこの街道が開拓されると聞くや否や需要を見込んで道沿いにいくつか小さな街を創り、商隊相手に宿や食事、娯楽の手配といった手広い商売をした。長く商売している間に街の顔役としていざこざの解決や、がけ崩れによる通行止め解消の手配、落下事故による捜索の手配、死んでいれば葬儀の手配、親族に任せている途中の街との連絡や物資の調整、商隊が置いて行ってしまうごみや病気やあれこれの処分の手配……。それはもういろんなことをやっていた。まさにこの街道が仕事場であった。それなのに人々は皆、賢者様賢者様と街の中心に神殿を勝手に建てて、今までこの街道を維持してきた男の一族のことなどそしらぬようだった。

確かに街道は美しくなった。

というか一晩で街道が土から石造りになったもんだから何が起こったのかと戸惑った。

北と南どちらも急いで見て回ったが、感嘆するほど美しく、そして使う人間のことをよく考えて造られた、まさに賢者の街道であった。奇跡だと思う心と、言葉にできぬ嫉妬と憎しみと悲しみが入り混じった心とでめちゃくちゃになりそうだった。

男は街に来る人々の話を興味ありげに聞きながら、賢者の情報を可能な限り集めた。しかし誰もが噂に尾ひれがついたような話しか知らず、行きかう人が増えるたびにホラ話も沸いて出た。こうなってくると、なにも口にせず白い鶏だか犬だかを連れて帰った話も信ぴょう性が疑わしいというものである。

今やこの街は賢者の街として人々が訪れるようになった。商隊だけでなく観光客の相手もしなければならなくなった男は、その忙しさに少しだけ賢者への暗い想いを忘れていた》


ある時、賢者の街に老人がやってきた。


《男が賢者の神殿前に新しく作った食堂は、交易の途中で傷みそうになった食材を安く仕入れることができたので北(南)で食べるより安くて旨いと評判であった。老人はいつの間にか店先の神殿を眺められる席についており、何の注文もしていないようだった。商人の男が何か食べるかと聞くと、「あれはなんだ」と逆に尋ねられた。この街道を創った賢者様の御業を言い伝えるための神殿だと答えると、「ははあ」と分かったような分からないような返事をした。

男はなぜかその老人は賢者ではないかと思った。

何かしらの恩恵を受けたいという気持ちが湧いて出てきて、どこから来たのか、一人で来たのかとさりげなく聞きながら酒と果物を出したが、老人はなにも口にしなかった。

やきもきしている間に、しばらく具合の悪かった娘が死んでしまったので葬儀と埋葬を手配してほしいと街の住人がやってきた。両親が言うには娘は賢者の道ができる前から臥せっていたらしい。ずっとこの街道が見たいと言っており、それが叶わなくなった今、可能な限り街道に近い墓地に埋葬してやりたいとのことだった。

北や南の国では土葬をして立派な墓石を彫り弔うのが一般的だが、この辺りで死ぬ者と言えばほとんどが事故に遭った商隊や日雇い労働者だ。ついでに言えば山間部で土地もない。そのため地下墓地にまとめて放り込む……、いや、安置する共同墓地の形をとっていた。しかしこうやって人の行き来が増え、賢者への憧れか崇拝心からか住み着く者も増えた。そうなるともう少し丁寧に弔ってやるという商売もできるのではないかと男が頭の中で小銭を弾いていると、老人に気づいた両親がわっとその手を掴んだ。

もしやあなた様は賢者様の神殿の司祭様ではありませんか、と。どうか娘を弔ってはいただけませんか、と。

男は一瞬取り乱した。

なぜならこの老人が司祭でないことを知っているからである。

確かにこの神殿を管理してもらおうと名のある司祭か神官を呼ぼうとはしているが、なにしろぽっと出のよく分からない賢者を貴方のところの神に入れてくれませんかと言っているようなものだ。大小さまざまな寺院や神殿にお伺いを立ててみても、苦い顔しか返ってきていない。

しかし老人がどう出るのかを知りたくなった。

男が生唾を飲み込みながら見守っていると、老人は「困っているのか」と尋ねた。両親は泣きながらどうか娘が安らかに眠れるよう手をお貸しくださいと言った。老人は少し考えて、「どうすれば安らかに眠れたといえる」と男に尋ねた。男はあっけにとられたが、確かに難しい問題である。この辺りの埋葬方法とその理由を教え、どうせなら山頂に向かって階段状に立ち並んでいて花のある墓地であればより天に近づけていいかもしれないなと冗談交じりに言うと、「なるほど」と老人は頷いた。そして足早に山の方へと歩いて行った。

男はよしきたと、娘の両親に一晩待っていなさいと言いつけて、足早に老人を追った。

賢者の奇跡と呼ばれるものを一目見てやろうと思ったのだ。

老人は男が少し離れて付いてきているのを気付いているのかどうかは分からなかったが、一度も振り向くことはなかった。どういう訳か人けのない街道を老人とは思えない速度で歩き、少ししたところで崖をしげしげと眺め、足を踏み出した。するとどうだ。ごつごつとした岩肌はがらりと崩れ、まるで捻じ曲げられているかのように階段状へと変わっていくではないか。老人が踏み出すごとにガラガラバキバキと、石の組み上がる音が辺り一帯に響く。目の前の光景に立ちすくんでいると、老人、いや賢者はどんどん上へと進んでいってしまい姿が見えなくなった。慌てて階段の近くまで駆け寄ると、上の方で振り返っている賢者と目が合った。

男は恐怖した。

賢者の奇跡はホラ話でもなんでもなかった。

それどころか自分は今、神の所業を盗み見ている。

どんな罰が下るのかと息が止まったが、賢者はまた前を向き、階段を創りながらゆっくりと登っていく。

……ついて来いということだろうか。

そう受け取った男は恐る恐る足を乗せ、出来上がったばかりの緩やかな階段を登り始めた。人が余裕をもってすれ違える幅の階段は、ある程度登ると踊り場が設けられていた。そして階段が続き、また踊り場がある。そうしていくつかカーブを描きながらゆっくりと山頂へと続いている。男は寒さと恐怖からくる震えを押さえながら、次第にせまくなる階段を登り続けた。いつの間にか賢者の姿は見失っていた。吸い込む冷気で肺から凍りそうになったころ、男は山頂へとたどり着いた。

男は交易の街で生まれ、この山の近くで育った。祖母はこの山の上には神様がおられて私たちのことを見守っているんだよと幼い男によく言っていたが、街の教会に出向いていた父母はその言い伝えには否定的だった。男自身は、山頂には雪と雲しかないと思っていた。

しかしそうではなかった。

山頂には湖と、塔があった。

えぐられたような形の湖には雲一つない空の色が鏡のように映っており、中心にそびえ立つ白い塔をさらに美しく見せていた。空の果てまで続くかのような塔の上からは美しい鐘の音が聞こえてきて、白い鳥のようなものが群れを成して飛んでいるのが見える。

ここが天国だったのかと男は思った。

不思議と、体の震えは止まっていた。

その美しさにしばらく見惚れていると、塔からかかる細い橋から賢者が出てくるのが見えた。男に近づいてきた賢者は両手で持てるほどの麻袋を差し出すと、「これは必要なかった」と言った。「もっといいものを見つけたから、これはお前にやろう」と。男がよく分からないまま麻袋を受け取ると、賢者は満足したのか男を置いて来た道を帰ってしまった。男は麻袋を抱いたまましばらくぼんやりとしていたが、もう一度鳴った鐘の音でハッとして帰路についた。階段を辿るだけとはいえ夜の山道だ。どこからともなく女の笑い声が聞こえたような気がして、男は歩く速度を速めた。ずしりと重い麻袋を両手に抱き急いで山を下りたが、不思議と暗いとは感じなかった。月光のおかげだろうかと思ったが、うっすらと明るいのは男のまわりだけだ。そこで男はようやく、麻袋が淡い光を放っているということに気が付いた。いろんなことが起きすぎて男は過呼吸になりかけたが、なんとか家に帰りつくと、安堵からか気を失うように眠った。翌日外からの声で目を覚ますと、賢者様の奇跡が起こったぞと騒ぎになっていた。山肌に美しい墓地ができたぞ、と。死んだ娘を自ら運ばれていったぞ、と。

やはり夢ではなかったのだと男はベッド下に置いていた麻袋を開けると、今度こそ震えが止まらなかった。

賢者が「お前にやろう」と男に渡した、夜道で困らぬほどの淡い光を放っていた麻袋。そこには、眠るように死んでいる白い犬が入っていた》


賢者は若くして亡くなった娘を哀れに思い、一晩で街道から山頂へと続く楽園≪賢者のゆりかご≫を創り出した。


《そこには天国が広がっていた。人を寄せ付けぬ岩肌はどこへやら、一枚岩から切り出したかのような白く美しい建物が山肌に沿っていくつも建てられていた。両手を広げたほどの大きさの翼をもった女性の石像や、見たこともない色とりどりの花まで咲き誇っている。建物は地下墓地への入り口となっており、一つで数十人は安置できそうな奥行があった。

男はえもいわれぬ恐怖で声が出なかったが、人々は賢者の奇跡に歓喜し、娘の両親は賢者様本人に弔っていただいたと泣いて喜んだ。

墓地の最初の眠り人となった娘は美しい花と一緒に、街道に一番近いゆりかごで眠ることとなった》


そこはまるで天国のようで、ここで永遠の眠りにつくのなら幸せだろうと人々は口にした。


この賢者の奇跡は瞬く間に知られることとなり、北の国と南の国では名も無い神を信仰する者が増えた。


賢者の街は神の降臨した場所として街全体が神殿となり、白い毛皮を賜った商人の男は、後に神殿とゆりかごの管理者となった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

エスシリーズ 村雨廣一 @radi0_0x

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ