読書士:文芸が死に続け、殺され続ける世界の話

ぶるぶる

第1話 恋愛小説の死に花束を

 朝目覚めるとまずはメールボックスをチェックする。メールは全部で20件、文字数にして10万字あまりの文書ファイルが添付されているメールが1件あった。


 仕事のメールだ。私はインスタントコーヒーを淹れながら、早速それを開いて読み始める。どうやら学園ものの恋愛小説のようだった。同じ作者の書いた1万字程度の短編が10篇掲載されている。それぞれの短編で一組ずつのカップルに焦点をあてる群像劇のような形式を取っている。


 男が年上のカップルが2組、女が年上のカップルが2組、男と女が同学年のカップルが4組。例外が2組。作中での告白シーンは男が告白しているパターンが5件、女が告白しているパターンが5件。かつて学園恋愛ものの王道パターンとされていた教師と生徒のカップルというのは1つもなかった。


 代わりと言ってはなんだが、女生徒同士のカップルと男子生徒――このように男女で偏った法則の表記は現代文学界ではまず赤が引かれる。女生徒:男生徒、女子生徒:男子生徒。のいずれかでなければならないのだ。もっとも男生徒などという熟語はないので、後者が採用されることになる。また先ほどから男女男女と書いているが、この文章がもし一般に公開されるものであれば、半分に1つは女男と書かなければならない――同士のカップルが1つずつある。


 少し先の未来で誰かがこの文章を読んでくれたり、あるいはタイムワープ技術の発達によってこの文章が過去に渡ったりすることを想定して、今文学、いやあらゆるストーリーをもつ創作物の取り巻く状況を説明しておこう。


 まず私が今読んでいる恋愛小説『10月は恋の季節』では先ほど言ったように、男が年上のカップルが2組、女が年上のカップルが2組、それ以外が6組あると説明した。


 男が年上のカップルと、女が年上のカップルが同数いるというのが現代の文学においては肝要だ。

 

 かつてフェミニスト――あるいはフェミニスト気取りのクレーマーかもしれない――はわが国の女性蔑視的な視点と男のほうが年上のカップル、夫妻が多いということは密接に結びついていると指摘した。


 そのためにわが国の創作物では男が年上のカップルを強調しすぎないほうがいいというのは暗黙の前提なのだ。かといって女が年上のカップルばかり出すのはフェミニストに媚びていると非フェミニストに叩かれかねない。だからこそこの作者は意図してこうしたバランスを取っているのだろう。


 告白をする男女の割合が50:50。これも重要だ。実際の社会でどちらが多いのかはわからないが、男が告白するパターンばかり描くのは男が主体的で女が受身的であるという見方を読者に植え付けかねないので、50:50にすることが創作論では推奨される。


 10組のカップルのなかにゲイのカップルとレズビアンのカップルが1組ずつ存在しているのも肝要だ。現代では世界に7パーセントいると言われている同性愛者たちに配慮するのは全てのクリエイターにとって当たり前のことなのだ。7パーセントということは大体14,5人に1人ということだ。


 10組のカップル、つまり20人の登場人物にフォーカスするならば、1組つまり2人ぐらいは同性愛者にしておくのが無難だろう。


 この作者が最初に着想したのがゲイのカップルのほうなのか、レズビアンのカップルのほうなのかはわからないが、片方だけを登場させるというのはそれはそれでまったく問題がないわけではない。


 今は大分改善したがゲイとレズビアンの間にも格差というのはかつて存在していたのだ。もっとも私はその時代を知らないので2010年代に書かれた同性愛問題についての記事を読むとそのことがよくわかる。


 そのためゲイとレズビアン片方だけを取り上げるのは、取り上げられなかったほうに疎外感を与えかねない行為として低評価を受ける可能性がある。だからこの作者はゲイとレズビアンどちらも扱うことにしたのだろう。


 朝早くから仕事に取り掛かれたので、昼過ぎには『10月は恋の季節』の全てを読み終えることができた。私は以下の文章を感想欄に打ち込んだ。


『10月は恋の季節。その名の通り、10月の文化祭準備のなかで10組のカップルが誕生する物語です。思春期のころに誰もが抱いたことのあるみずみずしい恋愛感情が、作者の繊細な文章によって散りばめられています。思わず当時にタイムスリップしそうになりました。個々のエピソードの感想も書いていきたいと思います。まず1組目の……』





 仕事が早く片付いたので今日ぐらいはゆっくり昼食を取ろう、と思って繁華街に出かけた。よく行く中華料理店に向かっていたら書店の前で見知った顔を見かけたので声をかけることにした。


「よぉ、こんなところで何をしているんだ」


 声をかけられた赤毛の少女は表情も変えずに「びっくりしました」と言う。


 肩口で切りそろえられた燃えるような赤毛がまぶしい少女だ。まとう衣服はフリルのついたブラウスにロングスカートと形状だけ見ればフェミニンな雰囲気のものだが、その髪色に勝るとも及ばない原色の赤が散りばめられているために威圧的な印象を与える


 彼女の名前は森戸ローズマリー。私の同僚だ。


「今読んでいる小説をより深く理解するために、参考資料を読みたいのです。往年のベストセラーですから取り寄せるより書店で買ったほうが早いかなと思ってここまで。浅村さんは?」


「私は仕事が早く終わったので、久しぶりに外食でもしようかと」


「そうですか。それでは」


 そう言ってローズが書店の中に入ろうとするのを私は呼び止める。


「なんですか」


「いやよかったら付き合うよ。ローズこの本屋来たの初めてだろ、多分。私は何回も来てるから」


「そうですか。それではご一緒にお願いします」


 相変わらず彼女は眉一つ動かさずにそう言った。

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