030 『小さな忽ち』

「はい、完成っ」


 鏡には、それはそれは髪の毛短くなったイケメンが映っていた。

 いや、これは俺がナルシストになったわけではなく、おそらくノ割の技量によるものである。

 適度に跳ねたトップ、自然に流れる前髪、綺麗目なシルエット。

 ノ割に切ってもらい、ヘアセットをしてもらえば、誰でもカッコよくなるんじゃないかと思ったもんだ。


「ちょーイケてる。ビックリした」


「まぁ、あたしの予想通りだったわ、少し切って整えれば、うん、イケてるわよ」


 美容師なりのリップサービスかな。でも、確かにイケてるぞ。


「こりゃ、明日からモテモテかもしれないな」


「大丈夫よ、そんな事にはならないから」


 上げてから落としてきた。まぁ、だろうな。俺だって冗談を言っただけに過ぎない。

 だが、それでも鏡の中の人物はイケメン度が確実に上がっているのに間違いはない。ノ割には感謝だ。


「ありがとな」


「あら、常連さんになるのかしら? カード作る?」


「そうだな、作るか」


 俺がそういうと、ノ割はポケットから何かを取り出して、俺に手渡してきた。美容室のカードである。


「はい、作っておいてあげたわよ」


「お前は本当にイケメンだな」


「惚れた?」


「惚れた、惚れた」


 軽口に無駄口を叩きながら、俺は鏡の中のノ割を見る。やっぱりどこか楽しそうである。


「何、笑ってるんだよ」


「楽しいと笑うのは人として当然でしょ」


 ノ割はそう言って、再び微笑む。いや、微笑を浮かべる。美少女の微笑。

 含みを持った笑い方である。


「それともこう言い換えた方がいいかしら––––」


 鏡ごし、肩に手を置かれ、見つめ合う。ノ割のいちと。


「––––好きな人といると楽しいって」


「…………はい?」


 今なんて言った、コイツは今なんて言った。

 好きな人––––いや、俺は鈍感ではないので分かる。

 この場合の好きな人とは、間違いなく俺を指している。


 ––––そんな出来過ぎた事があるか。


 会ったばかりの、同じクラスの、同じ部活の美少女が––––俺の事を好きだと言うはずがない。


 ––––そんな事はあり得ない。


 いや、あり得る可能はあるけれど、宝くじが当たったり、隕石が降ってくるようなものだ。


 ––––あり得るけど、あり得ない。


「あたし、告白してるんだけど?」


「えっ、は……はい?」


 脳が混乱する。麻痺する。分からない。思考しようとしても言うことを聞かない。

 混乱した脳を捻るように思考し、俺は疑問点を絞りだした。抽出した。


「あ、えっと、何で好きの?」


 噛んだ。思いっきり噛んだ。しかしノ割は、それでも俺の質問の内容を理解してくれたようで、その問いに答える。


「気が付かなかったの? ほら、前によくコメントのやり取りをしていたじゃない」


「いや、お前は俺の動画にコメントしてくれた事なんて無かったじゃないか、そもそも俺によくコメントをしてくれていた人は––––」


 ゲーム実況者だった。ゆっくりボイスだった。チャンネル登録者は少なかった。

 ノ割は言っていた。「前はあんたに毛が生えた程度の登録者数だったわ」と。

 その人が動画投稿を辞めた時期と、バーチャルYouTuber『いちの』がデビューした時期は被っている。

 あれはまさか。


「ノ割なのか?」


「もっと早く気が付いて欲しかったわね」


「……何で言わなかったんだ」


「そりゃ、言うわけないでしょ、聞かれなかったし」


 確かにコメントのやり取りはしていた。その人は––––つまりノ割だが、よく俺の動画にコメントしてくれていたし、俺もしていた。

 だが、それがどうして好きになる。好意を寄せられる。


「分からないな、それがどうして好きになるんだ」


 そう尋ねると、ノ割は少し間を置いてから––––ゆっくりとした口調で話しだした。


「あたしはね、動画の視聴者が少なくて、それにチャンネル登録者数も少なくて、それで、なんていうか––––挫折してたの」


 俺と同じ感じだ。だが、ノ割は違う。バーチャルYouTubeの『いちの』は違う。

 だが、『いちの』になる前は違わなかった。


「そんな時にあんたのバカ動画を見つけたわ、バカだし、なんかよく分からないし、チャンネル登録者はあたしより少ないけど––––毎日楽しそうに動画を撮っていた。それを見てあたしは、ちょっと元気になったの。だから、コメントをして、それで返事が来た時は、すごい嬉しかったのよ。コメントをした後に、返信が来てないかなって、動画の更新を何回もしたわ」


「………………」


 そうか、俺の動画も––––誰かの役に立っていたのか。

 ノ割の役に立っていたのか。

 ちゃんと誰かを楽しませる事が、出来ていたのか。


「それで、外で動画を撮っているのを見てビックリしたわ、だってあたしも知っている公園なんだもん。すぐに思ったわ、この人は近くに住んでいるって」


 本当に身元が割れていた。そういえば、それをコメントで注意してしてくれたのは––––コイツだ。

 身元が分かったから、本当に注意したとは大した皮肉である。


「もう運命を感じたわ、あぁ、近くに住んでるんだって、その時にね––––あんたの妹がうちに来たのよ、髪を切りにね」


「……なんで俺の妹だって分かったんだ?」


「『お兄ちゃんはYouTubeやってるの』だって、可愛い妹さんね。チャンネル名も教えてもらったわ『ハルヒTV』ってね」


 ノ割は知っていた。俺に女の子の姉妹がいると。妹がいると。妹が中学生だと。

 逆だったのか。妹が先で、俺が後だったのか。

 だが、それが同じ学校のしかも後ろの席とは大した偶然である。


 いや––––違う。


 俺は今の学校を勧められた。妹に。「YouTuberなら近い学校の方がいいんじゃない?」と。撮影の時間を確保する為に、と。

 誘導された。


「まさか、俺が同じ高校に入ったのもか?」


「悪いとは思ったけれど、あたしは手段は選ばなかったわ。妹ちゃんに協力してもらったの」


 妹の奴め、それにさては母親も噛んでいるな。

 だから、デートって言ったのか。


「じゃあ同じクラスで席が後ろだったのも……」


「姫先輩に頼んでしてもらったわ」


 そうか、おかしいとは思っていた。男女交互に名前の順なんて席順は––––絶対におかしいと思っていた。

 それは『春日』と『ノ割』を近付けるため。

 姫先輩ならその程度の根回しは、なんて事ないだろう。

 学長の娘にして、出資者、VIP待遇ではなく、VIP。

 可愛い後輩のお願いくらい、軽く引き受けてくれたのだろう。


「……なんでそんな回りくどい事をするんだ? 俺は––––」


「だって、『ハルヒTV』よ、好きだと思うじゃない、アニメのような展開が」


「………………」


 あぁ、俺がラノベ主人公だったのではなく、ノ割がラノベヒロインだったのか。

 入学したての妙なラノベ展開は、それだったのか。

 後ろの席に美少女、部活への勧誘、バーチャルYouTuberが現実世界に現れる。

 完璧だ、出来過ぎにも程があるとは思っていたけれど、それは仕込みだったというわけか。


「あたしはあんたの力になりたかった、チャンネル登録者を増やしたいと言った、ハルの力になりたかった。あたしも同じ経験をしたから」


 思っていた。なんでコイツは同じYouTuberだからって、親身に色々してくれるのだろうと。

 そういう経緯があったのか。

 ………………。


「どう? 頭にきたかしら?」


「いや、くるわけないだろ」


 そんな事は一切思わなかった。だって俺はノ割に感謝しているし、ユーチュー部は俺にとって、理想とも言える環境である。

 その部活のある学校に入れてくれ、ここまで助けてくれた相手を恨むわけがない。



 ––––好きにならないわけがない。



 今日一日、イケメンなノ割を見せられた俺だけれど、この瞬間くらいはイケメンになれたらいいな思う。せっかくカッコよくしてもらったんだしな。

 カッコよくなくても、格好くらいはつけさせてもらおう。

 鏡越しの会話は終わりだ。俺は席を立ち、振り返った。


「ノ割」


「あによ」


 ノ割を見つめる。ノ割も俺を真っ直ぐに見つめ返してきた。

 薄茶色の大きな瞳が、俺の顔を捉えているのがハッキリと見えた。


「俺もノ割が好きだ、付き合って欲しい」


 俺の問いかけに、ノ割は笑顔で頷いてくれた。


 その笑顔に見蕩れた。


 見蕩れて、見惚れた。


 小さなたちまち。忽然と気が付く。


 惚れた事に。


 見蕩れて、見惚れた。


 ノ割のいちに。

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