008『鼻血ランデブー』

 姫先輩から正門で待っているようにと言われノ割と待っていると、一台の黒いレクサスが眼前に停車した。

 運転しているのは––––姫先輩である。


「姫先輩、免許持ってたんですか⁉︎」


「私は四月生まれなんだ」


 姫先輩はそう言って、フロントガラスに貼ってある若葉マークを指差した。

 それを見ていると、ノ割に肩を叩かれた。


「助手席はハルに譲ってあげるわ」


 ノ割は後部座席の扉を開き、ご丁寧にも「失礼します」と言ってから車に乗り込んだ。

 俺もそれを見習い「失礼します」と助手席に滑り込む。

 隣を見ると、姫先輩はシートベルトでパイスラをしていた。


「君だけだぞ、まだシートベルトを締めてないのは」


 姫先輩は俺の視線に気が付いていると言わんばかりに、胸の谷間に挟まるシートベルトを持ち上げて見せた。

 後ろを見ると、ノ割はすでにシートベルトを締めており、俺も慌ててシートベルトを締める。

 姫先輩はそれを確認すると、サイドブレーキをゆっくりと下ろし、アクセルを踏み込こむ。

 すると、車は滑るように走りだした。まるで、地下の駐車場のようなツルツルとした地面を走っているようにスムーズな走りだ。

 もしかしたら、急発進、急ブレーキ、急カーブが連続するような、アニメのような運転をされるのではと肝を冷やしていたのだが、そんなのはタダの妄想に過ぎなかったようで、俺はホッと胸を撫で下ろした。

 なんて言うか、免許取り立てにしては落ち着いた運転であり、気取らない運転である。


 それにしても––––それにしても、だ。レクサスとは意外である。

 俺は運転中の姫先輩に声をかけた。


「あの、どうしてリムジンとかじゃないんですか?」


「君は本当に子供のようにバカだな、子供の日は来月だぞ」


 確かにバカげた質問ではあった(金持ち=リムジンなんて方程式は、アニメの見過ぎだ)。

 それに、急に『なんでリムジンじゃないんですか?』なんて聞くのはバカにも程がある。色々飛ばしている質問である。吹っ飛ばしている。

 姫先輩があまりにも物分かりがいい為、俺まで会話を飛ばしてしまったようだ。

 しかしそんな質問であっても、姫先輩は当たり前の様に意味は理解していたようで、


「あんな細長い車、運転し難いに決まっているだろう。そもそも、私しか乗らないのだから、あんなに大きい車を走らせるのは非効率というものだよ」


 と、リムジンではない理由を教えてくれた。

 この人はどうやら、リムジンであっても自分で運転する気のようだ。

 運転が、車が、好きなのだろう。十八歳になった途端に、免許を取ってしまうような人なのだから。

 ならばこそだ。どうしてレクサスなのだろうか?

 レクサスは内装やサービスはすごくいいが(二十四時間サポートで、レストランやホテルの予約なんてのもしてくれるらしい)、車としての単体性能なら、もっといい車は結構ある。


「あの、レクサスを悪い車とは言いませんが、姫先輩ならもっといい車を買えたんじゃないですか?」


「それは、お馬さんや、ブガッティとかのことか?」


 お馬さん––––フェラーリの事だろうか? ブガッティと言う名前は聞いた事がないが。

 だが、スポーツカーの事を言いたかったわけなので、俺は「そうです」と頷いた。


「君は本当に絶望的なほどバカだな。どれくらい絶望的かと言うと、『お客様の中に飛行機の操縦が出来る方はいらっしゃいませんか?』と機内アナウンスが流れるくらい絶望的だ」


「それはさすがに、バカにしすぎですよ!」


「バカにしていない、今のは君に落ち度があるから、君がバカにされたと感じただけだ」


 バカって言った気はするが、なんとも含蓄がんちくのある言葉をサラッと言った。


「いいかい、ポルシェやブガッティみたいな車は、走るために産まれてきた車なんだ」


 お馬さんは、フェラーリではなく、ポルシェの方だったようだ(もしかしたら本当に馬なのかと勘ぐったのは内緒だ。馬って実は軽車両扱いなんだよな)。


「日本の道路は高速やサーキットを除けば、せいぜい六十キロ程度しかスピードが出せない。道路も狭いしね。そんな道路をポルシェで走ったら、なんだかポルシェに申し訳ない気持ちになってしまうよ」


 道路は狭いが自動車税は高いがねと、姫先輩は皮肉を付け加えた。


「それは、スピードが出せないって事ですか?」


「いいや、ポルシェはいい車だから六十キロで走っても楽しめる車だ。エンジン特性や、ハンドリング、速さだけが車の楽しみ方ではない。ブレーキを踏んで止まるだけで楽しいものさ」


「つまり、えっと、レクサスでも楽しいって事でいいんですか?」


「そうだね。日本の道路は、止まったり、アクセルを踏んだりの連続だ。そういうコースでは、軽自動車とかでも案外楽しめるものなのさ」


 車道を道路ではなく、コースと言ってしまう辺りに、なんだかレーシングドライバーのような気質を感じた。


「いろは坂はいいコースだと思うわ」


 と、後ろからノ割が口を挟んできた。こちらは口ぶりから察するに、レーシングゲームの話である。


「いろは坂は結構酔うぞ、特に助手席や後部座席はな」


「おや、詳しいじゃないか」


 俺のウンチクに姫先輩が反応する。


「実体験です」


「ハルの三半規管はダメダメね」


 と、ノ割がダメ出しをしてきた。俺はバックミラーを見ながら反論する。


「人を乗り物酔いが激しいやつに認定するのはやめろ」


「そうね、ハルは自分に酔ってるタイプね」


「人をナルシストに認定するのはやめろ」


「池に映った自分の顔に惚れて、水没すればいいのに」


「人をナルシストの語源でもある、ナルキッソにするのはやめろ」


「あら、意外に博識じゃない」


「だろう」


「あっ、今自分に酔ったわね」


「……酔ってない」


「酔ってたわ」


「………………」


 俺はラチがあかないとばかりに溜息を付いた。揚げ足取りにも程がある。

 ノ割と無駄話をしている間に、駅が見えてきた。

 姫先輩はロータリーに入り、俺たちが降りやすいように、歩道に車を寄せて止めてくれた。


「ありがとうございます、姫先輩。ほら、あんたもお礼を言いなさい」


 ノ割がシートベルトを外しながら、俺に催促してきた。分かってるっての。


「あの、送っていただいて、ありがとうございました」


「なんだ、もう帰るのか?」


「へっ?」


「もう少し、乗っていてもいいんだぞ?」


 それはえっと、どういうことだ……、しかし、すぐにどういうことか気が付いた。姫先輩が俺の鼻の下を凝視している。

 どうやら俺のことを、少しからかえば鼻血を出す奴だと思っているらしい。誘惑と言えば誘惑かもしれないが、今回は迷惑である。誘惑が迷惑で困惑である。流石にくどいか。


「鼻血なんて出ませんよ」


「おや、残念だ。ランデブードライブで、鼻血ブーという駄洒落を用意していたのだが……」


「使う機会がなくて良かったですね……」


 もっとくどい冗談を飛ばしてきた。上には上がいる。

 後ろを見ると他の車が来ていたため、俺は急いで車から降り、最後にもう一度お礼を言ってから、ドアを閉めた。

 姫先輩は軽く手をヒラヒラと泳がせてから、車を発進させた。

 車を運転する女性というのは、なんだか格好良く見えるものである。

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