006『濡烏ディアンドル』

 姫ちゃんが来たのかと俺は心を踊らせたのだが、入って来たのは姫ちゃんではなく、この学校の教員と思われる気怠げな表情を浮かべた長い黒髪の女性であった。

 なぜそう判断––––いや、推理したかと言うと、至極単純な事で制服を着ていなかったからだ。

 学校で制服を着ていない人物は教員か親御さんである。

 親御さんというには俺たちのクラスの担任ほどではないが、若く見えるし、スタイルがとてもいい。

 スタイルがいいと言っても、モデルのようなスタイルの良さではなく、グラビアアイドル的なスタイルの良さという意味で。

 要するに、胸が大きい。服の上からでも分かる程に。

 いわゆる男受けしそうな、ムチムチボディというやつだ。少し古い言い方をするのならダイナマイトボディってやつだ。


 それに腰の辺りまである長い黒髪は、シャンプーのCMで見るような綺麗な濡烏ぬれがらすであり、アンニュイな表情と合わさり、ミステリアスな雰囲気を漂わせている。

 そして、着ている服がそのミステリアスさをさらに助長させている。

 ドイツの民族衣装であるディアンドルを思わせるデザインの服だが––––色がない。本来ディアンドルは袖口が膨らんだ白いパフスリーブの上に、コルセット状になっているカラフルなスカートを合わせるのだが、先程も述べた通り、色がない––––黒一色である。

 もしも、「自分の担当教科は『黒魔術』だ」なんて言われても全く違和感がない。


 だが、こんなふうに彼女の外見的長所を長ったらしく、親切丁寧にあげたのだけれど、彼女は––––大きなバストと、綺麗な黒髪という強力なウェポンを持ち合わせる彼女は––––なんて言うか、その、美人ではない。

 決してブスというわけではないけれど、美人教師かと言われたら、即答でNOである。

 彼女の目はシジミのように小さく、鼻も形はいいかもしれないが、高くはない。

 言うならば、スタイルがいい普通の先生って感じだ。それでもその胸の大きさに目を惹かれてしまうのが、男のサガなのだが。

 彼女は俺のことをチラッと見ると、挨拶もせずに俺の対面の椅子に腰掛けた。

 とりあえず、自己紹介をしよう。


「あ、あの––––」


 俺が話しかけても彼女は微動だにしないが、気にせずに自己紹介をする。


「春日です、春日千草」


「名前なんて聞いてないよ、全く君はお喋りが好きだね」


 お喋りが好きな男だと認定されてしまった。この高校に入学して以降、自己紹介が上手くいった試しはない。

 彼女は俺を見ながら、方杖をつく。


「おや、お喋りな君はお喋りするのが好きなのだから、もっとしゃべったらどうだい?」


「いや、別に好きなわけじゃ––––」


「なら、黙っていたまえ」


 これは、イジメなのだろうか。自己紹介もしない。会話もしない。一方的に、圧倒的に、ただただ弄ばれる。

 しかし、彼女は眉ひとつ動かさずに、いきなり唐突な話を始めた。


「時代は一周回って、やっぱりシェイクスピアだと思う」


 意味が分わからない。シェイクスピアは知ってはいるけれども、初対面の人に対していきなり会話が弾むような話題ではない。……とりあえず、話を合わせてみるか。


「それは、えっと、小説の話ですか?」


「そうだね、小説は読むよ、それに漫画も、医療書も、なんなら死海文書も」


 意味ガ分カラナイ。漫画はともかく、百歩譲って医療書は分かるとしても、死海文書は分からない。やはり、黒魔術の講師なのだろうか……。


「君は今、私の事を変な人––––奇人だと思っているのだろう?」


「えっ、いや、そんな事は……」


 もちろん思っている。だが、そんな事を初対面の人に言うのは失礼ってもんだ。


「いいさ、分かるよ、私は本も読むし––––本心も読む」


「は、はぁ……」


 空返事を返したはいいが、一瞬にして白けた。

 この女性は、何を考えているのか全く分からない。というか、今のは絶対誘導尋問みたいなもんだ。ワザと突拍子もない発言をして、そう思わせただけだ。

 だが一つだけ分かった事がある。この人、声がいい。ノ割のように可愛い声というわけではないが、落ち着いた声色であり、今まで一度も濁音を発音した事がないと勘違いしてしまう程、透き通る様な綺麗な声だ。

 そして、日本語の発音がとても綺麗である。

 日本人に対して日本語の発音が綺麗だなんておかしい話かもしれないけれど、アナウンサーや、落語家みたいなハキハキとした喋り方の綺麗さではなく、ナレーターや、ラジオのパーソナリティーのような、聞き取りやすい綺麗さがある。言葉と言葉の繋がりが綺麗だ。

 言うならば心地いい、いや––––聴き心地がいい。落ち着いていて、キンキンとしておらず、いい音色を奏でる。耳元で羊を数えられたら、すぐに寝付けてしまいそうなほどに。


「あの、いい声ですね」


「ありがとう、よく言われる」


 彼女はニコリともせずにそう答えた。先程からまったく表示の変化がない。

 少しでも彼女を理解しようと、彼女の表情から何か読み取れないかと模索しているだが、何も分からない。見事なお澄まし顔だ。きっとポーカーとか、ババ抜きとか強いタイプだ。


 しかし、全く会話にならない。なっても会話が続かない。


 最初に取るべきコミュニュケーションに点数を付けて五段階評価するならば、斜線である。評価すら出来ない。

 いや、一以下なのを誤魔化すために敢えて記入しなかったとも言える。要するに、最悪だ。もしこれが(した事ないが)合コンだったとするならば、俺と彼女は一生接点の無いまま、余命を迎え、墓に入る事だろう。

 でも、まぁ、ちょっと仲良くしたい気はする。いや、だってほら––––おっぱい大っきいし。


 とりあえず、俺はノ割に助けを求めようと彼女の方を見るが、その視線はモニターと睨めっこをしていた。ダメだ、頼りになりそうにない。

 そうだ、服装の事を聞いてみよう。案外こういう変わった格好をしている人は、「変わってる」みたいな事を言うと喜んだりすると聞いた事がある。つまり、魔女なのかって事だ。


「あの、黒魔術の講師とかなんですか?」


「Avada Kedavra (アバダケダブラ)」


「死の呪文⁉︎」


 やたらとネイティブに呪いの言葉をぶつけられた。だが、俺が生きている所を見るに、彼女が魔女ではないのは確かだ。当たり前だけど。


「私は制服を着てはいないが、生徒だ」


 その後、まるでこちらの考えを見通し、俺の質問をいくつか飛び越えた上での回答を提示してきた。気分的にはYouTubeの十秒スキップを間違えて押してしまった感じである。


「制服ではない理由は、ここが私室だからだ。私室というのなら、私服で過ごすのが普通だろう」


 その上、次に俺から発せられる「どうして、制服じゃないんですか?」という質問を、先回りして答えてきた。なんだこれ、会話にならないというより、喋る必要がないぞ。


「ちなみに私室と言ったのは、私がこの部屋を学校側から好きに使っていいと言われているからだ」


 今度は疑問を浮かべる前に答えた。テストで例えるなら、テスト前日に答えの用紙だけ貰い、回答を記入しているようなもんだ。

 どうなってるんだ、本当に心が読めるのだろうか?

 ならば、俺がおっぱい揉みたいなんて考えでもしたら、まずいのでは––––やばい、考えてる。

 ハッと彼女の方を伺うが、特に変わった様子はない。心は読めてない。

 まさか日常において冗談ではあるが、人を魔女と疑ったり、心が読めるのでは? なんて疑う日が来るとは思わなかった。


 だが、よくよく考えれば単純な話で、彼女は俺にワザと疑問を抱かせるように会話を先導しているに過ぎない。前後の流れから次の言葉を予想するのなんて、小学生の国語の問題でもある。

 つまり、ここで俺が次に抱く疑問。「なぜ、この部室を好きに使ってもいいんですか?」に対する答えが、次に来るはずだ。


「ちなみに、この部室にいるのだから、私ももちろんYouTuberなのだが––––なんだ、その顔は……」


「なんでもありません」


 会話がいきなり飛んだ。会話にならないというよりも、会話の手順がおかしい。会話に付いていけない。

 知識がないから会話に付いていけないのではなく、あっちこっちに飛ぶから付いていけない。それも話が飛ぶのではなく––––会話が飛ぶ。

 小説で例えるなら、今読んでいるページを飛ばして、次のページに行っちゃう感じだ。

 前のページを読まずに話の内容を理解する事が出来る人もいるだろうが、俺には出来ない。

 それに会話のテンポも独特であり、彼女が喋るたびに俺の脳内に空白の時間が生まれる。なんて言うか、いちいちこちらに考えさせるような話し方をする人である。

 まぁ、でもだ。

 YouTuberだということは分かった。一歩前進である。ならば、そこから会話を飛ばすのでもなく、進めるのでもなく、広げようではないか。


「あの、どんな内容の動画を取っているんですか?」


「そうだな、物をよく食べるかな。君だってよく名前の如く草を食べているのだろう?」


「食べてませんよ!」


 どうやら、名前は覚えてくれたようだ。


「君は野菜は食べないのかい? ちなみに、私は食べない」


 ダメだ、やっぱりよく分からない。野菜を食べない事は分かったが、今の会話でさらに謎が深まった。というか、話すたびに深まる。

 俺はもう一度ノ割を見る。その視線は相変わらずモニターへと向かっていた。俺はノ割の真似をしてその背中に「ヘルプ!」とレーザービームを照射してみるが、目からは何も出なかった。当たり前だけど。

 とにかく、会話の糸口を掴もう。そうだ、彼女もYouTuberならば、チャンネル名を聞こうではないか。


「あの、チャンネル名とか教えてもらっても?」


 そう聴くと、彼女は初めて俺を真っ直ぐに見据えて、こう囁いた。


「姫ちゃんねるだ」


 冗談だと分かる。が、何も言い返せない。彼女はそれを見て、今日初めて表情を変える。笑っている。それも悪戯っぽい笑顔だ。


「少し部屋を出ていてくれたまえ」


 唐突にそう言われ、着替えでもするのだろうか? と、疑問符は浮かんだものの「分かりました」と俺は素直に従った。



 *



 約一五分後くらいに、扉の向こうから「入ってきたまえ」と入室を促されたので、俺は扉を開き、再び部室に足を踏み入れた。


 ––––姫ちゃんがいる。


 姫ちゃんがいる。姫ちゃんがいる。姫ちゃんが目の前にいる。

 可愛い、世界一可愛い。大きな瞳に、愛らしいくちびる。さらに服の上からでも分かる大きなバスト。

 彼女を創造した神様には、グッドデザイン賞を贈る必要がある。

 俺が唖然と口を開けて、電柱のように突っ立ていると、彼女はゆっくりと俺に歩みよってきた。近い、とても近い。どのくらい近いかと言うと、その長いまつ毛の本数を数えられるくらい近い。

 そして彼女は顔を傾け、視線を俺に合わせた。


「こんにちは、『姫ちゃんねる』の『姫ちゃん』こと––––越谷こしがや姫花ひめかだ」


「えっ、あ、その…………」


「君は挨拶も出来ないのかい? 私はこの学校においても、なんならYouTuberとしても、君の先輩に当たるのだが?」


 当たっているのは、大きな胸である。彼女はその視線に気が付いたのか、怪しい笑みを浮かべた。


「私は胸もデカいが、態度もデカいぞ」


「あっ、そ、そうですね」


 動揺のあまり、意味の分からない返事を返してしまった。

 先程まで目の前にいたシジミ目の女性は何処かへと消え、目の前––––いや、目の下には天使の様に愛らしい笑顔と、見るもの全てを釘付けにするであろう大きなバストが、これでもかと自己主張を続けていた。

 服装や声から察するに、先程の女性であることは間違いないのだが、あまりに顔立ちが違いすぎる。目は三倍くらい大きくなっているし、鼻筋はよく通っており、なんか顔まで小さく見える。

 顔だけ別人のように、まるで整形をしたかのように––––違う。


 うん?

 いま、引っかかるワードがあったな。別人のように––––整形。

 整形?

 あぁ、なるほど。整形か––––整形メイクか。なるほど、そういう事か。

 理解した。合点がいった。合点承知の助けだ。


 彼女は、姫ちゃんねるの姫ちゃんは、『整形メイク』とも呼ばれる––––詐欺メイクによって成り立っていたのか。

 確か動画でも、顔が別人のように変わるメイク動画というのを見た事がある。

 姫ちゃんの可愛さの正体は、この詐欺メイクによるものであったのだろう。

 なるほど、俺が部室の外に出ている間に化粧をしていたというわけか。どおりで、みんな姫ちゃんがこの学校に在籍しているという事を知らないわけだ。

 それに俺は彼女を見下ろす形になっており、言ってしまえば、これは小顔に見える詐欺角度だ。

 そういえば姫ちゃんの動画は、いつも見下ろすようなちょっと上からのアングルで撮影されているのを思い出した。

 詐欺メイクに詐欺角度。騙される方が悪いなんて言うけれど、なんか騙された気はしない。むしろ、感心さえしている。


 見方一つで人がここまで変わるとは、恐ろしいものだと。


 もう一度、彼女の顔をマジマジと眺める。可愛い、可愛すぎる。見つめていると、どうにかなってしまいそうだ。


「あの、その、離れていただけませんか?」


「君が離れればいいだろう?」


 と彼女は俺の目をジッと見つめるが、すぐに目線を少し下げた。


「………………鼻血」


「へっ?」


「鼻血出てるぞ」


 彼女に言われ始めて気が付いた。鼻からは鼻水の様にたらりと鼻血が出ており、俺は急いで彼女から離れ、部室にあったティッシュに手を伸ばした。

 興奮して鼻血を出すという、アニメ的なことをしてしまった。

 弁解するなら、興奮すると鼻血を吹くというのは、医学的にあり得ないというのを聞いた事がある。つまり、なんらかの別の要因で出ただけだ。うん、きっとそう。おっぱいとか絶対関係ない。

 鼻を押さえ上を向くと、俺に鼻血を吹かせた張本人は、ノ割の肩を叩き––––俺を指差した。


「見て、鼻血吹いた」


「ハル…………もっとエロサイト見て耐性付けた方がいいんじゃない?」


「さっきと言ってる事が違う⁉︎」


 ノ割はため息をつきながら、やんわりと世界一の美少女を咎める。


「姫先輩、ダメですよ、人をからかう様な事をしちゃ」


「草生える、千草だけに」


「ぷっ…………ふふふっ」


 ノ割と姫先輩は二人して肩を震わせていた。この先輩と上手くやっていけるか正直不安である。

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