〈ゴースト・セクサロイド〉 - 18P


 結局、ぼくらは改奇倶楽部の活動そっちのけで放課後の伊ヶ出駅前のぶらりぶらりと閑歩することになった。


「やっぱりついてくるんかい!」

「え、なについてきたら悪いのわたしって死神か厄病神かなにかなのかなそれにタテワキくんが奢るって云ったのにそのツッコミはおかしいよねアンブレイカブル帯刀田だかダウンタウン帯刀田だか知らないけど芸人の才能ないよきみ」


 キレた安藤さんは相変わらずのねちねちした喋りを続けていたけれど、時おり足を止めてクレープ屋だとかタピオカミルクティーの店だとかを眺め始めるので、ぼくは一ミリも厭な顔をせずに彼女の希望どおりのものを買ってあげることにした。


 さすがに咀嚼中はあのエンドレスねちねちを回避できるだろう。そう思っていたぼくの考えは彼女が今食べているスイーツよりも甘かった。最初に立ち寄ったカップケーキのお店で「いただきます」と云った安藤さんの口が、一瞬ニヤァと歪に吊り上がったときのことだ。


《こうやって甘いもの食べてるといい気持ちになるけど、それは味覚による多幸感であって決してきみと一緒にいる喜びではありませんから》


 彼女はおいしそうに食べていた。しかしその間、ずっと自分のパフォーマーにあのねちねち罵倒を行わせていたのだ!


《だいたいタテワキくんはデリカシーというものがないのですよ》


 同じくスイーツを食べる最中、ぼくは始終その分身から厭味まみれの説教を喰らっていた。よくもまぁこのような分身の使い方を思いつく――と云いたいところだけれど、口が使えない人間が話し合いにおいてパフォーマーに代弁させるというのは現在の常套手段だ。ファミレスで打ち合わせするサラリーマンだとか作家なんかも、分身を交えて話す。人間と違い情報集合体には休憩やエネルギー補給の必要がないからだ。


 いつか社会人になって企業に勤めることになれば、ぼくも会議やプレゼンにパフォーマーを使ったりするのだろうか。そのとき、ぼくはほかの人々と同様に毎日パフォーマーを持っていられるのだろうか。


 安藤さんの分身に罵倒されながら、ふとそのようなことを想った。


《人の話を聞いてますか、タテワキくん》

「あ、すいません」


 いっぽうで、ぼくは彼女の分身に妙なおかしさを感じていた。罵倒の内容に本人と大きな差異があるのだ。

 キレた安藤さんは一呼吸でどれだけの罵詈雑言を浴びせられるかに全力を注ぐ。彼女のそんな姿を見たのはぼくも初めてだったけれど、とにかく本人は思いついたことをひたすら口にするマシンガンのような責めかたである。


 これに対し、安藤さんのパフォーマーはなんというか、平時の本人に近い怒りかたをする。詰め寄った云い方をせず、敬語で、取り乱さずに一句一句を口にする。句読点のある喋り方だ。決して捲し立てたりはしない。そして本人よりもねちねち度が低いように思えた。


『まだまだやめてあげないよねちねち新記録上昇中わたしは優しいしきみのことを想ってるからこうやって何度でも云ってあげるねタテワキくんはそんなこともわからないねちねち。全然伝わってないんだねちねち』

《今日はタテワキくんがわかるまでちゃんと説明しますから》


 このように、同じ趣旨の言葉でもその文章の数が三倍くらい違うのである。本人とパフォーマーの間でこれだけの違いが起こるものなのだろうか。激昂した女性を見たことがないぼくには、それが今ひとつわからなかった。道端で泣いたり喚き散らす人を見た経験はあるけれど、間近で友達が、感情的に限界を迎えるようなシーンに遭遇したことがないのだ。女子との交際なんてのも縁のない話だし……。


《それで、タテワキくんの好きな人って結局だれなんですか》


 数件食べ歩いてぼくが小遣いをすべて使い果たしたころ。ぼくらは伊ヶ出駅の近くにある公園のベンチに座り、まだ茜色が燃えている空を眺めることにした。彼女の分身が、恋をした相手のことについて話せと云った。それで反省の色を示せとでも云いたいように。


「ぼくらよりずっと年上の人だよ。たぶん」

《たぶん? それって――》


 安藤さんが分身を不可視化モードにした。言葉の途中で姿を消したもうひとりの安藤さんは、ぼくからはもう見えない。その声を聞くこともできない状態になった。


「それってどういうこと?」


 ぼくの顔をのぞき込むように見る安藤さんの顔は、すでに落ち着きを取り戻していた。もう二度と怒らせまいとここに固く誓う。


「今いるかな……」

「いる? ここにいるってことですか?」


 ぽりぽりと頭を掻き、ぼくはパフォーマーを可視化させた。


「ぎょええっ」


 すうっと現れた、だれとも知らぬ分身を見て安藤さんは声をあげる。


「あれ。おりょうさん、戻ってきてたんですか」

《はい。一麻くんはパフォーマーを常用しないでしょう。学校でも紙とペンでノートに記録しているし、出番がないともう退屈で退屈で……》

「ははは、ごめんね」

《いいんですよ。ふふふ》


 ぼくとおりょうさんの顔を交互に見ながら、安藤さんは瞼のぱちくりを繰り返して言葉を失っている。


《一麻くん、このかたは?》

「ぼくの同級生です。〈改奇倶楽部〉の部長の安藤さん」

《ああ、あなたが安藤さんですね。ふふふ。一麻くんから話は聞いていますよ。想像よりもずっと可愛らしいかたですね。あたしはおりょうです》

「安藤さん、挨拶したまえ」


 はっと我に返ったように、安藤さんはお辞儀した。


「安藤すずなです。どういうことか……今ひとつわかっていないんですが、タテワキくんのパフォーマー、なんですか。だれかの代理アバター……?」


 ぼくはわざとらしくフンと鼻を鳴らして腕組みをする。


「知らんのか。所有者のいないアバターはマムと本人の合意さえあれば、自分の分身ではなくとも副脳として傍におけるのだ。家族に不幸があった場合は一時的にアバターのみを近親者に所有させることも可能であるのだよ。ちなみに、大人がエッチなネットアバターを買う場合はその所有権を含めて購入費用に含まれるそうだ」


 以上が昨晩おりょうさんに教えてもらった知識である。


「では問おう! 改奇倶楽部の部長よ! このおりょうさんの正体は――」

「ネットゴーストですか」

「なんだとぉ……」


 今度は安藤さんが鼻を鳴らした。


「所有者のいないアバターで、且つ近親者でもないとなると、それが打倒かと」

「おのれ小動物め」


 ぐぬぬと唸り声をあげるぼくをよそに、安藤さんはじっとおりょうさんを見つめていた。おりょうさんは頭に疑問符を浮かべてぷかぷか宙を漂っている。通常のネットアバターは人間と同じく地面に立って現出するのだけれど、おりょうさんの場合はこのように存在する。本人曰く、このほうが幽霊らしいからと。


「えっ」


 安藤さんが、なにかに気づいたように声を漏らす。おりょうさんは笑顔で首を傾げた。


《どうかしましたか?》

「いや……どこかでお会いしたような気がしたんですが、気のせいだったようです」


 気にしないで下さい。そう付け加える彼女に、ぼくは耳打ちした。


「なあ、安藤さん」

「なにタテワキくん」

「これは……もはや運命と云えるのではないか?」

「はい?」

「ぼくの初恋がこのようにドラマティックに始まるとは、いったいだれが予想しただろう。ここから始まる恋模様たるや、それはもう神すらも手に汗握るラブロマンスが期待できるはずだ。なにぜこのぼくですら思いもよらなかったのだからなあああ!」

「耳元で叫ぶな!」


 軽く脇腹を突かれたのでぼくは「ひゃう」と情けない声を出してしまう。おりょうさんはそれを見て、くすくすと笑った。彼女の笑顔のなんと尊いことだろう。例え自分が道化を演じようと彼女が笑ってくれさえすれば、ぼくは喜んでそれに甘んじるだろう。


 絶対的な運命のようなものを感じていた。赤い糸というやつである。昨晩はおりょうさんと様々なことを話した。おりょうさんはぼくが話すと、決まってくすくすと笑ってくれるのである。紛うことなき絶世の美女。くわえて、白い肌と実態を持たぬネットゴーストゆえのその存在の儚さ。どこか薄幸そうな雰囲気も相まって、彼女が笑うとぼくも嬉しい。これが恋である。ぼくが優先すべきはなによりも彼女を楽しませることであって、その関心を引くために〈ペルソナ殺し〉やシブ・シティの逃げ出した情報集合体、マナミ・ウタミヤとの会話。改奇倶楽部や彰人が逮捕されたこと――とにかく、ここ数日に起きた出来事はすべて洗いざらい話してしまった。


 ああ、ぼくはなんと献身的なのだろう。絶対に彼氏にすべき男である。したがってこの恋は成就する。間違いない。


「写真でも撮ってあげようか」


 安藤さんの何気ない一言に、ぼくはひどく困惑した。


「安藤さんその、写真とか……、発想が意外と大胆ですね……」

「隠し撮りとかしてるでしょどうせ。やましいことするために」

「やましいことってなんだよ。ぼくが孤独な猥褻遊戯を行うとでも思ってるのか」

「よくひとりでそういうことしてそうじゃん、タテワキくん」

「偏見だ。いや冒涜だ。ぼくは自分の好きな人でやましいことなんてしたりしないぞ。好きな人に負い目を感じるようなことはしたくないし。……してても安藤さんには云わない」

《おふたりとも仲がいいんですねえ。付き合ってるんですか?》

「フォアアア――」


 安藤さんはおりょうさんに向けて両手をばたばたと振り始めた。おりょうさんはこころころと笑って、今度はぼくに「どうなんです?」と聞く。


「きみ付き合っているのかぁぁ……? どうなんだぁぁ……? 付き合っていないなぁ……?」

「安藤さん落ち着け。あと、ぼくらは付き合ってはいません」


 それからの安藤さんはどこか不機嫌そうであった。おりょうさんとぼくが話しているときは始終むすっとしたジト目でこちらを見ているし、ぼくらの話に入ってこないとき、なんだかため息まじりで考えごとをしているようだった。女子というのは不思議である。本当に考えていることがわからない。神秘だ。


 しかしこの小動物少女の機嫌をこれ以上損ねるのは危険である。いずれ凄まじい剣幕でがなり立てられるであろうことは明白であり、そんなことになれば今度こそこのぼくの胃は限界を迎えよう。そうまでいかずとも、ただではすまない。安藤さんは決して暴力は振るわないが、少し性格がヤバく、控えめにいってもサイコパスの気があるのでなにをされるかわかったものではない。早速胃が痛くなってきた。



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