〈ゴースト・セクサロイド〉 - 6P
《機械服は元々、わたしの父である富平稔が設計したものです》
場内にアーカム大学の研究施設を再現したホログラムが拡がる。青を基調にした電飾が円形の床に点在し、壁にはショーケースのようにパワードスーツが並んでいた。太くて重そうなガンメタの機体、ああこれは最も古いものなのだろう。それらを目で追っていくと、機械服は徐々に痩せ細り、最後にはそれとは比べものにならないほどタイトなボディスーツが残った。まるでトニー・スタークのラボだ。
マナミ・ウタミヤは機械服の説明を続ける。思えば、天才のくせにへりくだった態度で挨拶をしたところが逆に余裕を見せているようで気に食わなかった。科学の分野で活躍する彼女が、専門的な知識を必要とする講義をぼくらの前でするわけがない。講演についてぼくはこの人が最初から信用ならなかったのだけれど、やはり『年頃の学生向き』の進行プログラムを組んで社会科見学を終わらせようという魂胆だ。立体映像のなかで、機械服たちがケースのなかから飛び出し、各々のパフォーマンスを見せ始めると生徒たちは熱狂した。これではまるでショーだ。こんなものよりもネール・デバイスやネットアバター技術の発展について、彼女の所見を知りたかった。
《今、みなさんがご覧になっている機械服のなかでわたしの声が聞こえますか、帯刀田一麻さん》
「え……」
聞き間違いか。今、マナミ・ウタミヤがぼくの名を口にした気がする。念のために隣にいる彰人の顔を見る。
「彰人、今――」
「ンだようっせえな、話しかけんなノッポ!」
普通にキレてきた。こいつはマナミに釘づけだ。ぼくの視線になんてまるで気づかない。それどころか、だれもぼくのことなんて気にしていない。
《今、この声はあなたの体内に潜伏したナノマシンを通して、あなたの耳にだけ聞こえるように設定しています。無論、会場のパフォーマーをはじめとする情報集合体にも感知されません。会場の学生が聞いている私の言葉と、あなたと耳に届いている私の言葉は全く別のものです。驚かせて申し訳ない。あなたの前で講義している私とはあまりにもアンマッチな話でしょうね。言葉とポージングが噛み合わないという違和感にはどうか御容赦を》
驚いた。変更があまりにもシームレスだ。ぼくが一体どういうことかと聞く間もなく、彼女は言葉を続ける。
《私は講義と同時にこの通話を遮断しなければなりません。率直な物言いになります。御容赦下さい。今から私が使っている個人通話用アプリを送りますので、あなたのほうは思考通話でお話して頂ければと思います》
目の前に〈ファイルが届いています〉の文字が可視化される。ぼくはそれを指先でタッチする。即座にインストール完了。思考通話モードが標準化されていた。体内にいるナノマシンがぼくの脳波を感知して、言語を形成する。これで口を動かさず――いや、言葉を発することなく通話が出来る。このようなアプリは市場にいくつもあるが、精度の低いものは思考がそのまま相手に伝わるリスクがある。また個人によって思考送信の選別に粗があるため、通話にはそれなりの練度が必要だ。パフォーマーを所持していれば、このような状況でも代理通話でもっとすんなりレスポンスが出来るのかもしれないが――。
ぼくは思い至る。マナミ・ウタミヤはぼくがパフォーマーを持っていないことを前提に話を進めているのか。
《あらためて、宇多宮学見です》
(――イチマです。帯刀田一麻)
《存じております。帯刀田さん。今から私がするお話は、自分が関わっていない部分はすべて憶測であり、プライベートセーバーによる制限を受けているものもあるため断片的な情報しかお伝えできません。分かり辛い部分もあるかもしれませんがご了承下さい》
共感社会において、ぼくらは申請した個人情報の一切を「禁句」に指定することができる。思考通話でもそれを設定しておけば電子防壁によって情報が弾かれる。相手に聞き取られたくないことや社外秘の情報などは、あらかじめそのように扱う。同時にこちらが聞きたくない言葉も禁じておけば、もし相手がなにかの間違いでそれを漏らしても自分には伝わらない。便利なものだ。
《まず確認したいのですが、あなたは先日、スターバックスで起きた集団自殺の目撃者で間違いないですね》
(――はい)
《あのとき一緒にいた眞甲斐という男を覚えていますか?》
(――はい。覚えてます)
《彼は私が雇ったアルバイトです》
彼女はマム側――つまりアバター技術の発展に貢献して、より情報集合体と人間にとって豊かな管理社会となるよう力を注いできた人間だ。実際の本人の素性についてはあまり詳しくは知らないけれど、少なくとも社会にとってはそういう存在だ。そのような人物が反アバター活動を続ける〈好う候〉のメンバーとつながりを持つで生じるリスクとメリット。それは如何なるものか。考えなくても自ずと答えは出た。
(――内偵ですか。なんのために)
《マムのオーダーです。反アバター派はパフォーマーを持たないがゆえに、マムは彼らを知ることができない。パフォーマーからの情報送信がない以上、マムの胎内に作られた親アバターの更新も止まってしまっているわけですから。ですが、その眞甲斐さんが〈スターバックスの惨劇〉に居合わせていたのは幸運でした。おかげで情報収集の手間が省けました》
(――本人にとってはどうでしょうね。あれは地獄だった)
《そのような現場への耐性がある。こちらもそう判断して採用しています。彼のことが心配なら、どうかご安心いただければと思います》
惨劇に対する耐性とはどのようなものか。伊ヶ出大学の学生だと聞かされていた眞甲斐さんの人物像が段々と常軌を逸し始める。ぼくのパフォーマーの秘密を悟られた、あの勘の良さ。
ぼくがパフォーマー未所持者であることをマナミ・ウタミヤは知っているようだけど、その理由に関してはどこまで探られているのだろう。彼女が眞甲斐さんと情報共有しているであろうことは間違いない。ぼくとしては第三者に知られて気分のいいものではないので――いやはっきり云って不愉快だからやめさせたい。チャンスがあればそれについても聞いておくか。触れないほうがかえって面倒にならない気もするし、なんというか、厭になるな。
そんな感情も思考通話で漏れるかもしれない。ぼくは彼女とのやりとりに集中することにした。今は余計なことは考えない。
《このように個人的にあなたと話しているのには理由があります。順番に説明していきますので、よく聞いて下さい。帯刀田さん。あなたは自身のパフォーマーが
(――いえ、初耳です)
彼女の口にした〈蒐集家〉とは、独自の方法でマムの管理をすり抜けて他者のパフォーマーを強奪する攫い屋のことだ。ネットでは暗にその存在が囁かれていた。けれど自分のアバターが特別でもなんでもない人々にとっては、無関係の脅威だった。アイドルやゲームプロデューサー、あとは他者に執着される覚えのある者。被害に遭うとしてもそれくらいだ。切り離された分身たちは、持ち主と会話がなくなると絶縁状態に移る。そうなった場合、彼らは銀行口座のパスワードをはじめとする重要な個人情報の忘却を開始する。クレジットサービスといった個人資産を第三者から守るためだ。思考通話の禁止ワードと同じく、アバター技術の施された共感社会において「制限」というのはこのように実行される。
とはいえ、持ち主から離れたパフォーマーは自分から消滅することはできない。またマムによる命令も受けることができない。〈蒐集家〉に奪われた分身は、
そのような非人道的な行為に手を染める連中に狙いをつけられたというのは、ぼくからすれば恐怖以外のなにものでもない。
《あなたのパフォーマーは現在ネットで注目されています。〈蒐集家〉のような変態たちにとって〈アンブレイカブル〉である帯刀田さんの分身は垂涎モノのレアアバターですから。これがまず一つ目の問題です。覚えておいて下さい》
そんなぼくの心理を察しているのかいないのか。自分が口にした言葉を相手がどう受け取るのかなんて全くお構いなしに話を続けるマナミ・ウタミヤには、ある種の冷酷さを感じるどころか、共感能力を欠如した社会病質を疑ってしまいたくなるほどだ。
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