第2話 魔法使いの誘い
FBI捜査官、マークはホテルのロビーにある白いソファに腰を下ろし、珈琲を飲んでいた。
監視対象者エスメラルダを保護し、ホテルへと車を走らせ部屋を取った後、マークはエスメラルダに準備ができたらロビーへ下りてくるように指示した。
服は適当に見繕って、彼女のいる部屋へ持って行くように女性のホテルワーカーに頼んだ。雨でずぶぬれになった茶色のワンピースの代わりが必要だった。
服の代金や食事、その他身の回りに必要なもの全ての費用は経費で落ちないだろう。
接触してしまった事はサンエスペランサのFBI支部長に報告しなければならないが、マークはどう言えばいいのか考えあぐねていた。
相棒のシルヴィアとの交代の時間が迫っている。何度も彼女の携帯電話にかけているが繋がらない。マークは苛立ちを押さえ、ウェイロン社製のスマートフォンを内ポケットにしまった。エスメラルダがロビー脇のエレベーターから出てきたからだ。彼女は辺りの様子をキョロキョロと探っていたが、マークの顔を見ると小走りにやってきた。
エスメラルダは黒のトレーナーに、ホワイトジーンズをはき、黒革のライダースジャケットを羽織っている。黒いバックルの大きなベルトと、茶色のスニーカーが印象的なアクセントをつけていた。影のある幸薄い少女のようだった容貌が、服を変えるとワイルドな印象に変わった。
「色々とありがとうございます。借りた服はちゃんと洗濯してホテルには返しておきますので」
「いや、もう君のものだ。お金もいらないよ」
エスメラルダは恐縮しきりで、支払いをするのだと聞かなかったが、マークが無言で押し黙り、エスメラルダに目で抗議した。彼女はそれ以上は口にしなくなった。
「・・・・・・もう、立ち去った後だと思っていました」
「本来なら、そうするべきだが。きちんと話をつけておかないと後々、まずいことになると判断した」
マークは口元を覆うブロンドの髭を撫でながらエスメラルダへと、自分の向かいにある白いソファーをすすめた。彼女はゆっくりとソファに腰を沈めた。ホテルワーカーが湯気の立つ白いカップを持ってやってきて、二人の間にある黒いテーブルの上に置いて無言で去っていった。
「君とこうして一緒にいる事がバレると良くないんだ」
「何故、私を付け回しているんです?」
「君のお友達のここ数日の活躍はご存じだろうか?」
エスメラルダは憂いを帯びた瞳を床の赤カーペットへと落とした。
「・・・・・・やっぱり、そういう事ですか」
「私は目の前で見た。彼女を囲んでいた仲間が突然辺りを覆ったピンク色の煙に包まれた後、全身打撲の状態で倒れている様を。正直、対応しかねている。君にもそういう魔法のような能力があるのだろう?」
「はい」
それはFBI内では化学薬品の類だとされていたが、煙を吸い込んだ人間の体内に毒素は検出されず、何かで外側から圧迫され、紫色のアザが全身にできていた。死体になった者は内側から何かが膨張して胃や肺が破裂していた。細かい亀裂の入った肋骨が体の中でバラバラになり、ジグソーパズルのピースのように散っていた。
それが特異な能力である事は信頼できる情報筋から得た情報だが、犠牲者を見るまで誰もが笑い飛ばしていた。
エスメラルダは、友人テューダ・トライアングルと比較しても品行方正で職場では上手くやっているのを知っている。彼女についてある程度の経緯を同僚に話をつけ、情報も聞いていた。彼女もテューダと似たような能力を持っているらしい。
ただ、従業員は素人だ。警察やFBIにマークされているというだけで対象者を異常者のように扱う人間もいる。それがエスメラルダに強いストレスを与え、テューダの煙のような魔法で人々を傷つけるのではと考えていた。だが、エスメラルダは自制している、少なくともこの三ヶ月の間は。
「どんな魔法だろうか? 私は100メートル先にあるカフェで君を見ていたが、一瞬で私の車まで距離を詰められたように思う。それが君の魔法かね?」
「・・・・・・はい」
マークも腕を組んで、何故自分が彼女を連れてホテルのロビーで油を売っているのか理由を思い返した。情に流されて行動したわけではない。もし、彼女がシリアルキラーなら、情に訴える手口で命を搾取する考えを持っていないとも限らない。マークはそれは心配がないと判断した根拠は、FBI心理捜査官である自己の読みだった。
「私はあなた方とお話がしたいんです」
「聞こうか。ただ、我々が君を監視しているのも君のお友達、テューダが持つ不思議な力で手痛い目を見ているからだ。それと似た力を君も持っているのであれば、放っておくわけにはいかない。悪気があるわけじゃないとまずは理解してもらえるか」
エスメラルダは目を閉じて何事かを考えていた。やがてゆっくりと頷いた。
「彼女をどうするつもりです?」
「できれば拘束したいが、手錠では彼女の自由を奪えない。なら、拘束具を利用したいが、それでもあの煙を止められないのなら・・・・・・」
マークは慎重に言葉を選んだ。射殺許可が出ている事を口にしてエスメラルダを刺激する事を恐れたのだ。マークは最後の言葉を濁して話題を変えた。
「ところで話したい事と言うのは?」
「テューダの事です。私が彼女を止めます、説得してみます」
マークは眉をつり上げた。
「それはつまり・・・・・・我々に協力したいと言うことか?」
「はい!」
FBIと話をした上でという事は、そういう事なのだろう。
エスメラルダの瞳には強い意志が宿って輝いていた。
「難しいな。君はテューダの友人でもあるし、彼女のスパイである可能性もある」
エスメラルダは突然跳んできた小石にあたったように驚いている。信じられない、といった表情で目は見開かれていた。彼女が想定していた疑いの中にスパイ疑惑は含まれなかったらしい。
「FBI内では君たちの能力の事を魔法と読んでいる。他に名前の候補はいくつかあったが、それが普遍的で馴染みのある言葉だから覚えやすいので、そう決まった。まるでトールキンが書いた物語の中にいる気持ちになる、正直戸惑っている」
マークは続けた。
「つまり、得体が知れないんだ。信用のおけない人間の協力はリスクが高い。それと、君は民間人だ。危険な行為をさせるわけにはいかないという理由もある」
「並の危険は私にとって脅威ではないです・・・・・・・ただ、武器を持った相手を大勢相手にできる力はないので」
エスメラルダは一度、言葉を切って大きく息を吸い込み、話を続けた。
「テューダを説得するための機会ができるまで、」
「成功したら、大人しく法の裁きを受けて服役してくれるとでもいうのか」
「はい、そうあればいいと思います」
考えが甘すぎる、とマークは思った。
エスメラルダが真剣である事は伝わったが、現実に即していない考えだ。テューダは既に何人もの人間を殺めている。それに強力な武器を持った人間はそれだけで気が大きくなる、彼女から煙の魔法をはぎ取らなければならないが、それは『説得』のような生易しい事では不可能だ。
サンエスペランサで同時発生している行方不明事件の捜査線上にテューダが浮かんでいる。彼女は街のアウトローとコミュニティを築いているという報告もある、何らかの明確な目的を持っている証拠だと見ている。
テューダの命を奪う以外の選択肢は、彼女を戦闘不能状態にすることだが、
「説得に応じなかった場合。戦闘になるだろう、テューダの力を止める事が君なら可能だと信じていいか?」
エスメラルダは何かを言おうとして、言葉が詰まった。
「・・・・・・努力はします」
太刀打ちできないという事だ。最悪、力負けしてテューダに連れ去られ、エスメラルダの意志とは関係なく、テューダの手先になる可能性もある。監視は二人の接触を防ぐ意味もある、敵に余計な力をつけさせないためだ。マークは決断を下した。
「君を受け入れる事はできないが、協力するというなら、君とテューダの魔法の情報を提供してもらう。それ以上は駄目だ」
「そんな・・・・・・」
エスメラルダは緑色の瞳を左右へと這わせながら、必死に何かを考えていた。唇を強く噛み、膝の上に置かれた両手は強く握りしめられていた。
「なんとか・・・・・・なんとか・・・・・・」
エスメラルダの呟きはロビーに流れるジャズBGMの渦に飲まれた。
問答は終りだ。マークは彼女を自宅へと送り届けるつもりで、ズボンのポケットから車のキーを取りだそうとした。
その時、マークの内ポケットが震え、低い振動音が二人の耳を揺らした。エスメラルダは電話を優先するように促した。マークは立ち上がり、スマートフォンを取り出した。相棒のシルヴィアからだった。彼はスマートフォンを耳に密着させ、玄関外へと歩き出した。しかし、すぐにその足は止まった。
「・・・・・・FBI捜査官のマーク・シルベストリってのはあんた?」
低い女の声だった。シルヴィアの声ではない。
「あんたの相棒捜査官の身柄を預かってる。返して欲しかったら一人で今から言う場所に来なさい。手ぶらじゃ許さない。彼女の安全は保証できないと先に言っておく」
「何が目的だ? 何を持っていけばいいんだ?」
「エスメラルダ。あんた達二人が監視している女の子。彼女を連れて来るように」
マークは振り返り、エスメラルダを見た。彼女もマークを神妙な顔つきで見守っていた。彼は緊張で硬化した喉に力をいれ、電話主に問いかけた。
「誰だ、お前は?」
「テューダ。テューダ・トライアングル」
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