今宵、街はエメラルドに輝く企画書
神納木 ミナミ
第1話 ナイトウォッチ
午後二十二時を回った。フロントガラスに激しく叩きつけられる雨の音は重い。無数の鳩が一斉にウィンドウをツツいているような、コツコツという音が車内に響く。ワイパーはひっきりなしに動く、それでも視界を確保するのは難しかった。
通りを隔てた先、ログハウス風カフェの一角に座った女性にさり気なく目をやり、それから、新聞を読み始めた。マイクは仕事中だが、紺色ジーンズに白の長袖シャツという格好だった。仕事中だが、このカジュアルな格好が最も場に相応しい仕事着だった。雨による寒気が車内に訪れたので、上から黒のパーカーを羽織った。コーヒーはとっくに冷めていて、車内に満ちていた香ばしい匂いも何処かへ消えた。冷たくなったホットコーヒーを一口すすり、また女性を見た。マークは危うくコーヒーの入った紙コップを落としかけた。彼女がこちらを見据えていたからだ。
今度は手鏡で慎重に、彼女の動きを探った。何事もなくスプーンに乗せたミルフィーユの欠片を口に運んでいた。気のせいだったようだ。実は今のような事は過去にいくらでもあった。その都度、取り越し苦労であった事に安堵する。だが、なぜかマークは彼女がこちらの存在と意図に気づいているような気がしてならなかった。
左のウィンドウ越しに外の様子を窺うと、雨が強風に煽られ、無色のオーロラのようにたなびいていた。地に注ぐ雨音はリズミカルに、その激しさをマークに伝える。彼女の尾行は長く、今日で三ヶ月になる。三ヶ月を振り返ると、脇に下げたホルスターに収まったベレッタを向けるべき人間には見えないが、前例がある。FBIの仲間が五人、命を失ったのだから・・・・・・。
マークは三度、フロントガラス越しに女性を確認した。さりげなく。肩越しまでの艶のある黒髪、鼻筋がよく、横顔の顎のラインが綺麗に浮き出ている。越してきて半年なのに、まだ地域に馴染めないようだ。アジア人の観光客も多い店内で、同じアジア系の顔立ちなのに、彼女の方が陰気な旅行者に見える。
四人組のアジア人旅行者が席を立った。マークは新聞に視線を落とした。大きな写真で、煙に包まれたSWAT隊員が苦しんでいる写真だ。白黒写真だが、実際は桃色の煙で、彼らは全身打撲で職務を離れている。煙の中にはたった一人の女がいるだけだと言うのに。
こんこん・・・・・・。
ウィンドウを叩く音が右側でなった。マークは視線を音の出所へと移したが、誰もいなかった。腕時計を確認したが、交代の時間までにはまだ余裕がある。
こんこん・・・・・・。
まただ。マークは傘を手に、確認するべく外へ出ようとした。わずかに空いた隙間から、生々しい雨が路面を激しく打つ音と、風が抜けていく鋭い音が入ってきた。
「ッ!!」
外に出ようとした時に、手首を捕まれた。びっしょりと濡れた小さな右手がマークの左手首を握っていた。彼は雫滴る小さな手から順に、腕、肩へと視線を移す。そして・・・・・・。
「は、ひッ!!!」
マークの眼前には先ほど、カフェの店内で監視していた女性が立っていた。雨に濡れた長い髪がその小さな細面の顔に張り付き、先ほど眺めていた彼女とは印象が違って見えた。彼女のエメラルドグリーンの瞳が憂いを帯び、静かにマークを見ていた。
彼女の瞳は悲しみに揺れていたが、佇まいや挙措に何かを決意した覚悟のようなものをマークは感じ取った。だが、それは少しの波で倒壊する砂上の楼閣のように脆く儚いものに思えた。彼女は震えていた、それが寒さによるものだと断言できかねた。マークは彼女を後部座席へと招き入れ、タオルを三枚と毛布を一枚与えた。それでも足りるかどうか。
本来なら、危険人物として監視に置いていた人物をFBIの車に入れる事は許されないだろう。ましてや、支局に連れ帰るなど・・・・・・。
だが、マークには脇に下げたベレッタを向けるような女性に見えなかった。彼女に必要なのは、濡れた衣服の代わりと、暖かい食事だと思った。彼女の体をどこかで休ませなくてはいけない。
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