またたびのみかん箱
マタタビ・ネコフスキー
カーバンクルは人参が好き。
「なんだこれは」
「人参です」
目の前に置かれた人参に、カーバンクルは鼻を近づける。全身にまとった白い毛が怪訝そうに揺れている。
「余が気に入りそうな食べ物を持って来いと申したはずだが」
カーバンクルは魔法図書館の入口に佇んでいる。このカーバンクルが出す試練を乗り越えなければ、図書館に入ることは出来ない。
「はい。なので人参を持って参りました」
カーバンクルは人参を見つめながら周りを一周し、定位置であろう台座のクッションに飛び乗った。
「余が気に入りそうな食べ物を持って来いと申したはずだが」
カーバンクルは苦虫をかみつぶしたような顔をしている。
「しまった。カーバンクルはまともな会話が出来ないのか」
先ほどと同じ言葉を返され、会話が成立していないことに気付いた。このままでは話が進まない。
「何を言っているんだ。余はお前が持ってきたものが気に入らないと言っているんだ。」
「そんなバカな!」
幼馴染のアンナの顔が思い出される。幼い頃、父さんの書斎から本を持ち出しては、隠れて彼女と一緒に眺めていた。お気に入りだったのは『魔法生物図鑑』。文章は難しくて、子供の僕たちには読めなかったけれど、たくさんの絵を眺めるだけで楽しかった。
そこにはもちろんカーバンクルの絵も記されていた。
「カーバンクルって兎と似てるよね。もしかして人参も好きなのかな?」とアンナは言った。
確かにカーバンクルの外見は兎に近い。人参も好きに違いない。
「きっとそうだよ」
だから、こうして人参をカーバンクルの前に献上したのである。
それなのに、何という事だ。目の前のカーバンクルは失望した顔をしている。
「お前を魔法図書館に入れることは出来ない。すぐにここから立ち去れ」
ここで諦めるわけにはいかない。
僕はどうしても魔法図書館に入らなければないけないのだ。
「食べてみなければ分からないじゃないですか」
「なに?」
「一度食べてみてください。それでお気に召さなければ、もう二度とここには近づきません」
カーバンクルはじっと僕の目を見つめた。
「よかろう。人間界の『人参』とやら、食べてやろうではないか」
台座から飛び降り、カーバンクルは人参の前に戻ってきた。顔を近づけ一口かじる。
「余は人間界の『兎』ではないのだから、このようなものを美味しく感じるはずが……」
カーバンクルは人参をかじった後、しばし膠着した。
この時カーバンクルは宇宙を感じていた。
魔法図書館の番人として生きてきた長い間、カーバンクルには足りないものがあった。それは「美味しい」という感情。
精霊は食べ物を口にしなくても、魔力さえあれば生きていくことが出来る。
ゆえにカーバンクルは、様々な文献に記された「美味しい」という感情に興味を持っていた。これまでも何度かこの試練を課してきたが、精霊草や魔鉱石など、魔力を帯びた物を持ってくる者ばかりであった。もちろんそれらは魔力を吸収出来るため、不快では無かった。これが「美味しい」と言う感情なのかと、どこか物足りなさを感じつつも、入館を許可してきた。
しかし、今回のものは違う。
探していたパズルのピースが見つかったような、そんな満足感をカーバンクルは感じていた。
『人参』というのは、文献によれば人間界の『兎』という下等生物が食するもの。
普段であれば、決して口にすることは無い。今回はただの気まぐれ。
ただ、この少年が真剣な目をしていたから、食べてやろうという気になっただけだ。
この少年には感謝しなければならない。
「気に入っていただけたでしょうか……?」
僕は膠着しているカーバンクルに問いかけた。
「よかろう…お前の入館を許可する」
「あ、ありがとうございます!」
もう魔法図書館には入ることは出来ないかもしれないと半ば諦めかけていた。
入館の許可が出て緊張の糸が解け、その場に座り込んだ。やはり、アンナの言っていたことは正しかったのだ。アンナに会えたら、この話をしてあげよう。
それにしても、カーバンクルは相当人参が気に入ったようだ。
僕のことは気にもせず、小さく「美味しい」と呟きながら人参をかじり続けていた。
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