短編集<スイート>シリーズ

彩芭つづり

2013/10/31 ハロウィン

スイートトリック・スイートトリート

 秋である。

 突然だが、わたしは秋が大好きだ。


 なぜかって、率直に言えば食べ物がとってもおいしい季節だからだ。いも、くり、かぼちゃは今が旬。この時期に出る期間限定商品は、ほぼこの三種類の味になる。このあいだ見たグルメ雑誌には、『秋スイーツ、今食べなければいつ食べる!』と太字で大きく書かれていた。同感だ。このいちばんおいしい時季に食べずにいつ食べるのだと思う。たまに、「秋はどこに行ってもおんなじ味のスイーツばっかりでもう飽きたよねー」なんてのたまっている人を見るが、あれはなーんにもわかっていない。飽きるってなんだ。飽きるわけがないだろうが。さつまいもなら、スイートポテトに大学芋。栗なら、モンブランに栗きんとん。かぼちゃなら、かぼちゃプリンにパンプキンパイ。こんなにも、これ以上にも、いろいろあるのだ。それなのに飽きるだなんて……どういう神経してんだか、本当に。


 とまあ、いろいろ語ったわけだけども、結局なにが言いたいかって――とにかくわたしが秋を好むのは、『季節の食べ物が最高においしいから』ということだ。


 しかし。それと同時に、こんなふうにも思う。

 いつも、どんなときでもおいしいものは、秋に食べればもっとずっとおいしく感じるんじゃないかって。


 つまりは、この季節に食べるスイーツは格別だということ。


 スイーツはいつ食べてもおいしい。こちらの期待を裏切ることなく、常に万全のコンディションで、甘くおいしくいてくれる。ああ、なんて素晴らしいのだろう。さすがとしか言いようがない。文句のつけようもない。だからそれらに対してわたしは、心からの敬意を払って「スイーツ様」と呼ばせていただこうと思う。スイーツ様。言い響きだ。


 で、そんなスイーツ様たちは、このなんでもおいしく感じる季節に食べれば、さらにもっとなお一層おいしく感じるはずだと、わたしは思っている。

 いいか、考えてもみてくれ。チョコレートは溶けることなく、クリームは崩れることなく、いつでも最高の状態でこの口の中に入れ、ほおばり、味わうことができるのだ。

 秋、万々歳。わたしはスイーツ様も素晴らしいと思うが、秋もとってもすごいと思う。秋すごい。秋えらい。


 そういったわけで、わたしは秋が大好きなのだけど……わたしが秋を一押ししているのは、なにもそれだけが理由じゃない。この季節には、とっても素敵なイベントがある。知っているかな。知っているよな。知らないわけはないよな。そう、それがわたしの「一年の中でもっともワクワクできるイベント」だ。


 ……え? 他のイベント? ああ、まあ、たしかにクリスマスにはケーキが食べられるし、正月にはおしるこが食べられる。バレンタインデーにはチョコレート、桃の節句には桜餅で、端午の節句には柏餅……ああ、それらもかなり魅力的ではあるな……。いや、でも、違う。そうじゃない。


 わたしはね、甘いものが好きなんだ。チョコにクッキーにマシュマロにブッセ、ドーナツも捨てがたい。そう、お菓子だよ、甘いお菓子。だから、そんなわたしが好きなイベントといえば……。


 さあ、ここまで言えばわかるだろう? 秋といえば、あれだよ、あれ。さあ、答えたまえ。

 ……なに?

 運動会? 違う。

 文化祭? それも違う。

 ああもう、どうしてわからないかな。きみってそんなに鈍感だったか?

 まあいい、わからないのなら仕方ない、教えてやろう。いいか、よく聞けよ。そのイベントというのはつまり……。


「トリックオアトリート」

「………………は?」


 差し出された右手を凝視して、目の前の青年は不思議そうに首をかしげた。

 まだ意味がわかっていないらしい。わたしはもう一度だけ、手をひらめかせて言った。


「だから、トリックオアトリートだよ。言っていることがわかるか?」

「いや、うん、わかるにはわかるけど……」

「わかるなら、ほら」

「ほら、って言われてもなあ……。いきなりなに?」

「なにって、きみ」


 呆れて溜め息を吐きたくなる。ここまで言ってもわからないとは、きみは本当に今までわたしとなにをして過ごしてきたと思っているんだ。

 わたしはやれやれとかぶりを振った。


「今日は10月31日だぞ。つまりハロウィンじゃないか!」


 そう。今日はハロウィン。わたしが一年の中でもっとも好きなイベントだ。

 まさかとは思うが、きみ、今日がなんの日だか忘れていたわけじゃないだろうね?


「忘れてないよ。しっかり憶えてる」

「そうか、ならいい。でも、だったらなぜ、さっきみたいな反応をするんだ。わたしがトリックオアトリートと言っているのだから、きみもそれに応えるべきじゃないのか。まさか言葉の意味がわからないなんて言うつもりじゃないだろうね。だめだめ、そんな言い訳は通用しないよ。トリックオアトリートの意味なんて今時幼稚園児でも知っているんだから。それなのに、高校生にもなってその意味がわからないなんて言ったら彼らに笑われてしまうよ。年上の威厳なんてあったもんじゃないね、本当にね」


 説教くさい言葉を吐くと、彼は数回、目をしばたたかせた。

 それから腕を組み、「ふむ」と一言呟いてから言う。


「――つまり、美夕みゆちゃんは俺に『お菓子をくれ』と言ってるんだね?」


 その言葉にわたしは大きくうなずいた。そういうことである。


 ハロウィンというのは、ここが魅力だ。「お菓子を渡せ。さもなければいたずらをする」という脅迫じみたことを白昼堂々言ったって、誰にもとがめられやしない。それどころか、その光景はほほえましくもある。子どもたちが数人で輪になって一人の大人を囲み、寄ってたかって「トリックオアトリート、トリックオアトリート」と騒ぐ様はまるで集団リンチか下剋上のようだと思う。わかるだろう、わたしはハロウィンのこういうところが大好きなのだ。ワクワクぞくぞく、たまらなくなる。


「いきなりせびられてもなあ」

「いきなりじゃない。今日この日を迎えるまでに、去年の11月1日から数えれば364日もあるんだ。余裕じゃないか。そのあいだにいくらでも考えることはできたはずだろう」

「一年間ずっとハロウィンのことを考えているわけにもいかないでしょう」

「わたしは考えている。だいたい出し惜しみすることないんじゃないか。きみはいつもお菓子を持ち歩いているだろう。常にポッキーを口にくわえ、ポケットの中にクッキーを忍ばせ、舌の上でキャンディを転がしている。違うか?」

「違わないね。たしかにそのとおりだ」


 彼は諦めたように肩をすくめてみせた。

 わたしは腕を組んで胸を張る。


「だったらさっさと……」

「でも、ほら、見てみてよ」


 わたしの言葉を遮って、ふわりと両手を広げた彼の口もとには――薄い笑みが貼りついていた。

 わたしは目を細め、その姿をじっと見据える。すると、彼はどこか人を食ったような表情で言った。


「今、俺には手持ちがない」


 目を眇める。頭のてっぺんからつま先まで注視したが、どうやら本当に手持ちがないようだ。ポッキーもくわえていない。


 わたしは頬を膨らました。


「どうしてなにも持っていない」

「どうしてと言われても。俺にだってそういう日もある、としか言いようがないよ。美夕ちゃんが欲しがるから、ちゃんと毎日持ってこようとは思ってるんだけどね。でも、そうだな。一年に一度くらいは、お菓子を忘れることがある」


 滔々と語る彼に、わたしはなおも頬を膨らませて訊く。


「なぜ今日に限って忘れるんだ」


 一年の中で今日がもっともお菓子の必要な日じゃないか。それなのに忘れるなんて、重罪だ。大罪だ。絶対許さないぞ。


 すねるわたしの頭を「よしよし」なんて言いながら撫でる彼を恨みがましく見上げる。


「わたしよりちょっと身長が大きいからって、子ども扱いするな」

「20センチは違うよ」

「そんなの誤差だ、誤差。いいか、いつか抜かしてやるからな。憶えておけ」

「美夕ちゃんが170センチを超えたら、俺やだなあ」


 ずり落ちた鞄を肩にかけ直しながら彼が言う。

 それを見ていたわたしは、ふとあることを思い出した。ぽんと手を叩く。


「そうだ。忘れていた。手持ちになくても鞄の中にならあるはずだ」

「まだお菓子の話は続いてたの? ねえ、諦めてよ。残念だけど、俺は学校に必要なもの以外は鞄に入れない主義なんだ」

「はっ、そんな見え透いたうそをついて、わたしを騙せると思うな。知ってるぞ、きみの鞄の中には甘いお菓子がなにかしら常備されている」


 人差し指を突きつけて言い放てば、彼の笑みが呆れたものに変わる。


「……見たの?」

「前に、一度だけ」


 あのときはたしか、きのこの山が入っていた。せっかくなので一箱まるごと勝手にちょうだいしたが、わたしはどちらかというとたけのこの里派だ。クラッカーよりもクッキーのほうが好きなのだ。とはいえ、どちらもおいしくいただけるから問題はないのだけれど。それから、その前にはオレオが入っていた。で、その前はカントリーマアム。その前はコアラのマーチで、そういえばブラックサンダーが大量にばらばらと出てきたこともあるなあ。ちょっと漁ればチロルチョコなんて30個くらい発掘されるし。うん、やっぱり常備しているよ、彼は。


 ……なんて考えていると、彼が諦めともとれる大きな溜め息を吐き出した。


「ま、いいか。美夕ちゃんが俺のお菓子を奪うなんていうのは、今に始まったことじゃないし。そう思えば、小さい頃にもよく横取りされていたっけなあ。俺、何度泣かされたことがあるだろうね。ああ、そうだ、思い出した。幼稚園に通っていたときもそうだった。おやつの時間になると、美夕ちゃんは必ず俺のところへやってきて、俺のお菓子を横から……」

「過去のことは水に流そうじゃないか。あまり過去に囚われないほうがいい。未来を見て進んでいったほうが、きっと幸せに過ごせるぞ。な?」


 肩を叩くと、彼は小さく笑いながら「そうだね」と返す。ものわかりがよくて大変結構。きみのそういうところ、嫌いじゃないよ。


 ……とにかく、だ。


「鞄の中にお菓子があるなら、おとなしくそれを渡してもらおうか」

「うーん、仕方ないなあ」


 やっと差し出す気になったか。わくわくしながらその姿を見つめる。今年はなんのお菓子をくれるのだろう。キャンディかな。クッキーかな。チョコレートかな。

 期待のまなざしを向けていると、彼はわたしを見下ろし、にっこりと笑った。

 ……なぜ笑う?


「いいよ、いたずらしても」


 ………………は?


「いやいや。いやいやいや。違うだろう、そうじゃないだろう」

「だって、お菓子持ってないし。あげられるものがないから、いたずらを受けるしかないかなあって」

「い、いや、だってきみ、いつも鞄の中にあるって」

「いやあ、じつはね、今日はたまたま、偶然、珍しく、いつもとは違う鞄を持ってきちゃったんだよな。ほら」


 そういって見せてきたのは、たしかにいつも持っている鞄ではないものだった。いつもはショルダーバッグ。だけど今日はリュックサックだ。一応、中を確認させてもらったが、そこに入っていたのは財布にノートに筆記用具に教科書……。じつに学生らしい内容物じゃないか。ほんの少し見直したよ。


 しかし、それと同時にわたしは希望を失った。うそだ、ありえない。絶望したし失望した。こんなに楽しみにしていたイベントを、こんな形で台無しにされるとは。たまたま違う鞄を持ってきただって? なんてことをしてくれたんだ。どうしてそんなことをした。この気持ちはどうしたらいい。この行き場のない、どこにぶつけたらいいかわからない怒りと悲しみは一体どうしたら。


「あれ。美夕ちゃん、どうしたの? 目の焦点が合ってないよ。大丈夫?」

「あ、ああ……」

「そんなにショックだったかあ。ごめんね、お菓子忘れちゃって。でもトリックオアトリートなんだから。お菓子をくれない人にいたずらをするのも、このイベントのおもしろいところでしょ。ね?」


 腰を屈め、わたしの顔を覗き込みながらそんなことを言う。わたしは言葉を返せない。あまりのショックにまだ頭が真っ白なのだ。


 ぼうっとしていると、彼はわたしの頬をつつき出す。


「あれ? しないの? ほら、いいよ、しても。思う存分、美夕ちゃんの好きなだけ、どんなことをしてもいいんだよ。――い、た、ず、ら」


 ぴくり、と肩を揺らす。緩慢な動作で目の前の青年の顔を見上げた。

 そこにあったのは、この上ないほどの――満面の笑み。


 ああ、と思った。その笑顔を見て確信した。わたしは目を細めて彼をじっと睨みつけ、低い声で言った。


「……謀ったな」


 おかしいと思ったんだ。それこそ毎日お菓子を持ち歩いているような奴が、どうして今日に限って忘れてくるんだ。違う鞄を持ってきたというのも納得がいかない。だけど、これらすべてが彼の“作戦”だとしたら……。

 わたしはまんまとはまってしまったわけだ。一生の不覚。


「ず、ずるいぞ。きみはわたしが今日トリックオアトリートと言うのを知っていて、わざとこういうことをしたな」

「さあ、なんのことかな」


 しらじらしい奴め。口笛を吹くな、憎たらしい。


 わたしがいくら睨みつけたって、この男には一切通用しない。彼いわく、「美夕ちゃんは怒っても全然怖くない。例えるなら、子犬がきゃんきゃん吠えている感じ。かわいくて、とってもほほえましいよ、本当にさ」……らしい。どんなに怒ったところで、彼の前ではまったく無意味なのだ。


 なすすべなく、わたしはがっくりと肩を落とす。


「……悔しい……」

「ま、今回は俺の作戦勝ちだね」


 長い長い溜め息を吐く。

 ああ、そうだ。思い出した。そういえば、彼は昔からこんな性格だった気がする。 わたしにお菓子を横取りされても、それをいいことに意図的に大声で騒ぎ立て泣きわめいて、それを不憫に思った大人からもっとたくさんのお菓子をもらっていた。そのためにわざとわたしにお菓子を取らせるよう仕向けてきたこともある。わたしはそれに気づかなかった。そうだよ。幼い頃から、わたしは詰めが甘く、彼は狡猾な子どもだったんだ。……変わっていないじゃないか、なんにも。


「さて、どんないたずらをしてくれるのかな、美夕ちゃんは」

「前言撤回だ。お菓子はいらないからいたずらもしない」

「そんなのだめだよ、許さない」

「帰る」

「あ、逃げるの?」

「うるさい」

「ふうん。へえ。美夕ちゃんってそういう子だったんだ。有言不実行。最低だね」


 背中を向け、歩き始めた足を止める。

 有言不実行? 最低? わたしがか?

 ……笑わせるな。


 振り返って彼を見る。なんだ、ずいぶんと余裕な笑みを浮かべているじゃないか。そういうところ、本当に昔から変わっていないな。幼い頃も大人たちに気づかれないように隠れてそういう勝ち誇った笑みを何度もわたしに向けてきただろう、きみは。だからわたしは前々から思っていたんだ、いつかその鼻をへし折ってやりたいって。

 ……まあ、なんにもできずにここまで来てしまったのだが。わたしもまだまだだな。


「俺にいたずらするのが怖い?」

「まさか。そんなわけないだろう」

「じゃあしてよ、いたずら。俺が困っちゃうくらいの、すごいいたずら。……美夕ちゃんにできるかな?」


 ばかにするな。わたしにだって、そのくらい。


「できるさ。できるに決まってる。きみを困らせる程度のいたずらくらい朝飯前だ」


 つかつかと歩み寄り、再び鼻先に人差し指を突きつける。彼は一瞬驚いたように目を瞠ったが、またいつものように食えない笑みを見せてきた。


「……いいね。美夕ちゃんのそういうとこ、好きだよ」


 ふん、言っておけ。今に泣きを見ることになるんだから。

 再び背を向け歩き出す。後ろから、クスリと小さく笑う声が聞こえた。それから彼は早歩きでわたしの横に追いついて、並んで歩き始める。


「今日は俺んちおいで。美夕ちゃんち、お母さんいるでしょ」

「お母さんがいると、どうしてきみの家に行くことになるんだ」

「そりゃあ、ね。俺は場所を選ばない主義だから、学校や公園みたいな人目につくようなところでも全然かまわないんだけど。でも、さすがにそんなところじゃ、美夕ちゃんはできないでしょ。“愛のあるいたずら”を」


 横目で隣を歩く彼を見やる。


「愛のある……って、変な言い方はやめろ」

「本当のことでしょ」

「言っておくが、いたずらといっても大したことはしないからな。わたしができるのは、寝顔に落書きするとかパスタに大量のタバスコ入れるとかそういうレベルの……」

「それで俺が満足すると思ってるの?」


 正面に立たれ、両肩をぐっと掴まれる。気づいたときには、吐息が吹きかかるくらいに顔を近づけられていた。その距離から向けられる熱を持った視線に、目をそらせなくなる。今にも触れそうなくちびるとまつ毛に、コクリと息をのんだ。


 ああ、どうしてだろう。こういうことをされるたびに、わたしは自分がおかしくなってしまったんじゃないかと心底思う。体が熱くて、心臓の音がうるさくて、呼吸だって苦しくなるくせに――この手を、離してほしくない。


「……さて、今はここまで。続きは家に帰ってから」


 ふいに体を離される。突然ひらけた視界に目をまたたいた。

 大きな手がわたしの頭をぐりぐりと撫でる。顔を見上げると、ひどく嬉しそうな笑顔がそこにはあった。


 まったく、この男は。どうしてこうも無邪気なのだろう。

 幼い頃はわたしのほうが高かった身長も、いつの間にか抜かされていた。自分のほうがお姉さんだと思っていたのに、ふと気がつけば泣き虫な幼なじみはこんなに大人になっていた。どこで覚えたんだか、わたしだって知らなかったキスのやり方まで知っていたのだから驚きだ。


 仕方ない、認めるよ。きみはもう立派な大人の男性だ。でも、だからといって、こうもわたしだけが子ども扱いされるのはおもしろくない。背は小さいがわたしも大人だ。きみも知っているだろう。わたしにだってハグくらいできるし、キスだってできるし、それ以上のことだって……まあ、その、それなりにできるってことを。


「じゃあ家に着いたらやってみせてよ、その『それ以上のこと』っていうのを。いたずらも兼ねてさ」

「そ、それは話が別だろう」

「一緒だよ」


 鼻歌を歌いながら歩き出す彼の背中を見つめる。

 わたしは、やれやれとかぶりを振りながら呟いた。


「きみはたまにわからないな」


 わたしにいたずらをされて、なにがそんなに嬉しいんだか。

 溜め息をついて歩き出す。わたしの独り言を聞いた彼は、隣に追いついたわたしにふわりと柔らかな微笑みを見せた。


「俺はただ美夕ちゃんのことが好きなだけ」


 目を見開く。言葉に詰まる。頬が燃えるように熱くなって、思わず目をそらしてしまう。

 いや、まあ、そう言ってもらえるのはとても光栄なことだけれど。


「……そういう恥ずかしいことをさらっと言うな、ばか」

「本当は嬉しいくせに。素直じゃないなあ、相変わらず」

「うるさいっ」


 嬉しいどうかは自分でもよくわからないが、まあ、そうだな。……悪い気はしない。

 なんだかんだ言いつつも、わたしだってきみのことを――。


「……なんてな」


 ぼそりとひとりごちる。隣を歩く彼の顔を見上げる。どこか嬉しそうなその横顔に、なぜかこっちまでそういう気分になってくる。……それでも、彼のペースに乗せられたままじゃなんだか少しだけ悔しいから、わたしは彼の制服のすそを掴むと、わざとすねたような口調で言った。


「なあ、きみ」

「ん?」

「仕方がないから、観念していたずらは、する。だから、きみの家に着いたらキャンディくらいはもらいたい。どうせ部屋のどこかに隠してあるんだろうから」


 彼は口もとに笑みを浮かべた。それからわたしの耳もとに口を寄せ、熱に溶けるチョコレートのような甘やかな声音でささめいた。


「了解。今まででいちばん甘いキャンディをあげる」





(「スイートトリック・スイートトリート」 終わり)

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