はろうぃん

神籬 咲夜

はろうぃん

「なあ夕霧、知っとるかい?」


めっきり秋も深まり廓から見える景色には点々と赤と黄が散っている。日が顔をみせる時分に珍しくこの店一番の稼ぎ頭、音羽花魁が目を覚ましていた。気だるげそうな色気はいつものままに、夜の化粧を落とし適当に着物を羽織っただけの姿は常のそれより艶っぽく映る。


「何をです? 音羽姐さん」


新年で九つになる禿の夕霧は自主練習していた三味線をかたずけがてら耳半分で聞いていた。


「英吉利っちゅう西洋の国では神無月の終わりに盆と豊穣祭をやるんやと」

「へえ。盆が神無月ですか。変わっとりますね」


盆といえば夏のもんだ。海の向こうには不思議なところもあるもんだ。


「かぶをくりぬいて提灯にして、りんごを水に浮かべて騒ぐらしい」


蔀をあげて日を入れる。木枯らしも一緒に入ってきて、音羽花魁が嫌そうな顔をした。


「鬼灯みたいなもんですかね。馬とか牛はおらんのですかい?」

「知らん。されど、今月は神無月やろ。明日にはちょうどよくお宮さんの祭りがあるさかい、やってみんか? はろうぃんを」


祭りのある日、それは年に何度かしかない廓の休日。外に出ても咎められない日だというに音羽花魁は篭る気なのだろうか。胡乱気な顔をした夕霧の頰を音羽花魁は引っ張った。


「やるんよ。ほれ、ほかの者にも声かけてきな。異国の盆やったら……」


帰ってきてくれるかもしれない。





祭りの日がやってくる。囃子の音が遠くで聞こえた。


「さあはろいん、始めよや」


常は妓女の食事どころの机を片付けて、あちらこちらに水を張った桶が置いてある。普段着の着流しを着た女たちが並んで座っているが、始めるも何も何をして楽しめというものか。


「音羽姐さん、説明しておくれやす。これはなんですの」


二番目の稼ぎを誇る女郎が皆の疑問を代弁した。


「水に浮かんどる林檎を口でとって騒ぐんや」

「騒ぐ……? 林檎で」


唖然とする面々。


「灯篭を作ってもええよ。蕪を彫って顔を作るんやと」

「それは楽しそうですね!」


男衆の若手が目を輝かせていた。困惑しながらも、蕪を手に取ったり、談笑を始めることで場は温かくなった。しかし言い出しっぺの音羽花魁が見当たらない。夕霧は加えとった林檎を口から外して立ち上がった。


「音羽姐さんを探してきます」





「何してるんですか」


音羽花魁は窓のへりに腰掛け煙管を燻らせていた。


「線香がわりにはなるかと思ってね」


ここ数日は平和なものでこの廓で死んだものはいない。


「誰のです?」


音羽花魁は一つ深く息をして、目を伏せた。


「西洋かぶれの傾奇者さ」


音羽花魁は何処か寂しそうだった。





夕霧は階下へ足早に降りた。


「藜さん、灯篭作ってくださいっ」

「灯篭なら作ってるよ」


藜と呼ばれた男衆の若手は見事な彫りの蕪を手に振り向いた。しかし夕霧は首を振る。


「それじゃないんです。こう、空に飛ばせるみたいなのできませんか?」


藜は難色を示す。建物は木と紙で作ったものが多い。燃え移れば一発だ。


「川とか湖の近くだったらできるかもしれないけど、ここは出られないしね」


藜が頭を掻く。


「…………要は水があったらいいんですよね」

「え、まあそうだけど」


夕霧は不敵に笑った。


「ちょっと行ってきます。たくさん作っててください。飛ばせるのですよ!」


夕霧が駆け出す。藜は理解が追いついていない。


「いくってどこに!? て、あ、門は超えないでよ!」


夕霧の姿が彼方に消えた。





夕刻。


「藜さん、灯篭できました?」


夕霧が肩で息をして帰ってきた。はろうぃんをしていた食堂は作業場に姿を変え、遊女たちが皆のりと紙を持って手を汚していた。


「ああ、二百ほどできたよ」

「……圧巻ですね。いつもは妖艶な姐さんたちがのりで手を汚してるなんて」


呆然として突っ立っている夕霧。妓女の一人が夕霧の肩を叩いた。


「そりゃのりで手は汚してないけど、ふのりやらもっと汚いもので汚れてるんだからいつもと変わりゃしないよ。今日の方が綺麗なもんだ」


そうねえ、と周りの妓女もうなづく。


「ねえ、夕霧。あんたこれどうすんの」


夕霧はにいと口の端をあげた。


「ちょっと耳を貸してください」






日も暮れて。廓の外に出て皆火を入れた飛び灯篭を持っている。

昼間夕霧はこの箱庭のすべての店を周り、協力を取り付けてきたのである。井戸から水を汲んで桶を渡し、火が落ちてきたら燃え移る前に消してくれ、と。時に楼主の名を出し、時に音羽花魁の名を出し、果敢に交渉した。その甲斐あって実現したのである。


「音羽姐さん、合図を」

「はろうぃん!」


なんとも安直で意味不明な掛け声に皆気が抜けつつも灯篭を飛ばした。橙の光が宵闇に煌々と輝きながら上昇していく。その光は月よりも明るく、昼のようでいてそれよりも暖かい色だった。


「姐さん、これだったら煙管よりもよく見えますよ。大丈夫。きっと帰ってきます。音羽姐さんが傾奇者っていうくらいですもん。ならもっと傾いてるんでしょう? なら絶対帰ってきますよ」


音羽花魁は苦笑した。


「…………そうさねぇ」





神無月も終わりに差し掛かる昼下がり、夕霧は窓辺でうたた寝から目を覚ました。


「……懐かしい夢を見ていたね」


慢性的に頭がいたい。昨日の酒が残っているのか。あくびを一つする。


「夕霧姐さん、支度の時間ですよ」


襖から顔を覗かせる幼い禿。その姿が先ほど夢を見ていたせいで昔の己に重なった。



「はろうぃんって知ってるかい?」

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はろうぃん 神籬 咲夜 @himorogi398

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