第16話 選択肢


「……ルクス。ねぇ、ねぇってば。しっかりしなさいよっ!」



 目を閉じようとしているルクスの体を揺すり、大声を張り上げる。



「チッ、なんでいきなり現れるんだよッ!」



 ヴェイクが何かと戦ってる。



「ど、どうすんのこれ。うわっ、ゴブちんも一杯来たよっ!」



 サラのオドオドとした声も訊こえた。

 二人共、パニック状態だ。

 そして私は、ルクスの側にいることしかしない。


 ズン、ズン、ズン。


 何か大きな者が歩いている。

 その足音はまるで地響きのように鳴り響いて、膝を付く私の体は、微かに上下に揺れていた。



「ねぇ……ねぇってば」



 ルクスは反応してくれない。

 もう、目すら開けてくれない。

 お腹に重い一撃を受けただけなのに、口の周りは血だらけで、服も赤く染まってる。

 骨が折れてるのかもしれない。だけど体のどこを触っても、ルクスは痛がらない。


 もう、意識がない。

 口元に顔を近付けても、息をしてるのかわからない。



「おい、エレナ! ルクスを早く回復してくれっ!」


「……」


「エレナ、何してんの!? 早く、早くルクスを──」


「──わかってる!」



 わかってるわよ。

 ルクスを治さないと駄目なこと。

 エリアボスに遭遇してしまったこと。

 加護の力でルクスの意識を戻さないといけないこと。


 ……全部わかってる。


 わかってるからこそ、動けないのよ。



「ルクスは……」



 私は人よりも生死について、それに負傷については詳しい。

 体を巡るマナを相手に与えれば、傷付いた部分を癒せる力を持ってる。

 だから相手の体に触れれば、どんな状態がわかる。


 だからルクスはもしかしたら……。



「お願い、目を覚ましてよ」



 だけど、わかりたくない。

 わかってたまるもんか。



「起きなさいよ。起きてよ、起きて起きて起きてっ!」



 最後にあんた、私になんて言おうとしてたのよ。



「目を覚ましなさいよ、馬鹿ルクス」



 私の玉の輿計画はどうなんのよ。



「どこのパーティーも追い出されたあんたを、ずっと側で支えてきた恩を返しなさいよ!」



 まだ世界樹の最上階をプレゼントするって約束、守ってもらってないんだから。



「あんたに……」



 死なれたら……困るのよ。



「聖樹の導きよ──《治癒の息吹エアリアブレス》」

 


 意識がないなんて知らない。


 両手から回復のマナを送る。

 傷が治ったら、いつもなら意識が戻るのに、今回は全く戻らない。

 損傷が激しいから? マナ足りないから?


 送っても送っても、ルクスは意識を戻さない。


 もう、魂がここにはないからなの?



「帰ってきなさいよ、馬鹿ルクス」



 魂が切り離されても、すぐには消えない。

 まだある。まだ近くにルクスはいる。

 戻す。絶対にルクスを戻す。全部のマナを使ってでも、ルクスを戻す。

 


「……ご褒美よ。受け取りなさい」



 私はルクスの唇に、自分の唇を近付ける。


 生きるか死ぬかの選択をする時に人は、うっすらと意識があるって、おばあちゃんが言ってた。

 戻ってくるのに効果的なのは、その者に衝撃を与えること。そうすれば、蘇生確率が上がるって言ってた。


 だから特別に、私のファーストキスをプレゼントする。



「どんなプレゼントよりも……すっごい……衝撃、でしょ?」



 口から体内に大量のマナを流し入れ、全部ルクスに注ぐ。


 マナ不足で意識が遠のいてきた。


 だけどまだ、ルクスが戻ってこない。


 私のファーストキスほど、高価なモノはないわよ。


 だから有り難く思いなさい。だから早く目を覚ましなさい。


 ファーストキスも、全部のマナも、あんたにあげるんだから。



「エ……レナ?」



 ゆっくりと目を開けたルクス。



「やっと起きたわね。……ほんと、馬鹿みたいな顔してるわね」



 ……ほんと馬鹿な顔。


 ……この顔が見たかった。


 ……良かった。










 ♢







 なんだ?

 なにがどうなってるんだ?



「エレナ……おいっ、エレナ!?」



 俺に覆い被さるように、エレナが横になってる。

 なんで? なにがあったんだ?



「ルクス! エレナはマナ不足になっただけだから安心しろ!」



 ヴェイクが叫んでる。

 その前方には、3メートルはある灰色の肌の巨大なゴブリンが三体。

 体のあちこちが筋肉質で、薄い布を巻いて体を隠している。

 顔は少しだけ人間に近い。ゴブリンにもある真下に伸びる尖った二本の牙。真上に伸びた耳。血走った目。

 三体の持ってる武器はそれぞれ違う。剣と盾、背丈と同じくらい長身な槍、釘の付いた棍棒。

 どれもこれも、他のゴブリン達とは全く別の存在だと見てわかる。



「これが、エリアボスなのか?」



 エレナは息をしてる。

 ビックリした。死んだのかと思ってしまった。

 見た感じだと外傷もない。本当にマナ不足みたいだ。


 そして服に付いた血が、自分のものだと理解できた。

 そうか、俺はエリアボスの──ボスゴブリンの一撃で気を失った……いや、死にかけたんだ。


 エレナは俺を治すために、全部のマナを使って、マナ切れになったのか。



「状況を把握しないと」



 早くエレナを、ゆっくりしたとこで休ませたい。


 俺はエレナを寝かせて立ち上がる。


 ヴェイクは一人で三体のボスゴブリンと戦ってる。

 サラはゴブリンの群れと戦ってる。

 一体、二体……かなりいる。それにまだ増えてる。



「こっちは大丈夫だから、先にヴェイクを助けてあげて!」



 サラはそう言って魔銃を構え、ゴブリンの群れ目掛けて魔弾をぶっ放す。

 光の弾。そしてゴブリンに当たると、周りを巻き込んで爆発する。


 本当だ。あれじゃあ迫ってこれない。

 まだサラは大丈夫。じゃあ俺は……。



「ヴェイク。こいつらと戦うのは、どうなんだ?」



 ヴェイクの元まで走る。

 斧を構えた表情は真剣で、その真剣さが、今の状況を物語っていた。



「正直、厳しいな……。エレナがマナ切れで倒れてる現状、もう傷は負えない。致命傷の攻撃を受ければ、絶対に助からない」


「回復薬は幾つかあるぞ」


「一撃か二撃で死ぬ可能性があるんだ。回復薬の微々たる回復じゃあ、何の役にもたたねぇよ」



 ボスゴブリンは体格が大きい分、避けるのは難しくはない。

 だけど当たれば即死、もしくは、行動不能なのは地面に叩き落とした剣が起こす衝撃からわかる。



「……じゃあ、逃げるしか選択はないのか?」


「それが得策だな。セーフエリアの門を抜ければ、大勢の探索者がいる。そこまで行ければ、こいつらが追ってくることはねぇ」


「じゃあ、そこまで向かおう」


「わかった。じゃあ、少しの間だけ、こいつらの注意をお前に預けるぞ?」


「えっ、何でだ?」



 そう言った時にはもう、ヴェイクはいなくなっていた。

 消えた。消えたんだ。透明人間みたいな、ヴェイクの加護で。


 そして三体のボスゴブリンが俺に狙いを定める。

 ギロッとした大きな目。少し違った三体の血走った瞳に睨まれて、俺は一気に心細く、それに震えが止まらなくなった。


 ヴェイクが逃げた?


 そんな疑問が脳裏に浮かぶ。

 こんな状況だ。そう思っても仕方ない。

 だって姿を隠せば逃げられるんだから。



「いやいや、違うだろ。そうじゃないだろ」



 それなら、もっと先にそうしてたはずだ。

 ヴェイクは胡散臭いけど、逃げるような奴じゃない。


 仲間を信頼しろ。


 あいつがそう言ったんだ。

 弱気な風が俺に吹いただけだ。



「来いよ、ゴブゴブ野郎」


『ゴブゴブゴブ』



 ゴブリンソードを前に出して、ボタンを押して威嚇する。


 ははっ。


 何も弱点効果のある鳴き声じゃない。なんか逆に怒ってるし。

 でもまあ、注意を引きつけることには成功した。


 あとは時を待つだけ。


 振り下ろされた剣を避け。

 突き出された槍を避け。

 乱暴に振り回された棍棒を避ける。


 動きが大振りで、いくら避けるのが楽だとはいえ、三体同時の攻めを避けるのは、紙一重の状況だ。


 それを何分も、何分も──。



「ルクス、サラ──こっちだ!」



 そしてようやく、待っていた声が訊こえた。


 姿を現していたヴェイクはエレナを担ぎ上げ、ゴブリンの群れとは逆側の通路に立っていた。



「魔弾をプレゼントしてあげるっ!」



 パアンッ! パアンッ! パアンッ!


 三発の魔弾が、俺を襲っていたボスゴブリンに直撃する。

 これで死んでくれれば──というのは無理な話だ。



「逃げるよ、ルクス!」



 俺を通り過ぎるサラの足は速い。

 もしかしてやったか!? そう期待して煙で包まれたボスゴブリンを見ている俺とは違って、どうなるのか、見なくてもわかってるのだろう。


 俺も走る。

 だけどもしかしたら、と考えてしまった。

 顔だけを後ろに向けて確認していると、煙が晴れ、ボスゴブリンはピンピンと、



「ゴブゥアアアッッッ!」



 更に機嫌悪そうに叫ぶ。

 だけど逃げる時間はできた。



「このまま、ヴェイクの遮光師ミラージの加護で、姿を消して逃げればいいんじゃないか?」


「へぇ、ヴェイクって透明人間になれるんだ。なんかすごい」


「俺の加護は別に透明人間じゃねぇって。それに、俺の加護で四人共を消したとこで、あいつらに気付かれて終わりだぞ」


「えっ、でもさっきは気付かれなかっただろ?」


「それはルクスがいたからだ。俺は相手に視認されないだけで、匂いも、足音も、見えないだけで、ここにいるんだからよ」


「じゃあ、俺達が一緒に消えたら、何かしらの方法で捜されるから意味ないってこと?」


「まっ、そういうことだな。それに、ずっと加護の力を使ってたら疲れるんだよ」



 加護によっては使用時間が長いと疲労を感じ、疲れてマナ切れに近い症状を発することがあると訊く。

 だからエレナを肩に乗せ、隣を走るヴェイクの表情が苦しそうだから、きっと使用時間によって疲れが出てくるんだろう。



「とりあえず気になるんだけど、なんでこうなったんだ? モンスターエリアに入ってからいつも通りだったよな?」



 走りながらヴェイクに訊く。



「おそらくだが、初っ端に撃った魔弾の爆発音に釣られたんじゃねぇか」


「げっ、アタシのせいなの!?」


「いや、こればっかりは運だな。──運良く近くの通路にいて、それで運良く壁を殴ったら隣の通路と繋がってて、運良く殴った先にルクスがいた、んなとこだろ」


「運良すぎだろ! てか俺達の運が悪すぎるのか」


「まあ、そうだな。だけど──」



 長く狭い通路を抜け、再び丸い空洞地帯に行き着く。

 そして先にあるのは三つに分かれた暗く先の見えない通路。

 足を止めたヴェイクは、ニヤリと笑った。



「こっからの道を決める運勢は、生か死を決まるぜ」


「それって……」


「一つはセーフエリアへの道。一つはずっと続く迷路みたいな道。そして最後は──行き止まりの道なんだよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る