三十六食目 告白のバーベキュー(後)


「――……えぇ、では最終日お疲れ様でした。私共の宿屋をご利用頂いた感謝と、参加者である片岡さんのご好意で、今夜はバーベキューとなります。」

「お野菜とお肉の提供は、提携を結んで下さった前田農産の物っしょ。味も品質もピカイチじゃ。」


 ――その夜。菅原に頼んで中庭で夕食会を開いてもらった。参加者は、環と智里の両親と祖父母と智樹、菅原兄弟と樹と智里。事を荒げた後だったので、環は心底居心地悪そうに視線を彷徨わせ、ソワソワしていたが、智里と樹が他言せずにしてくれたお陰で、皆フレンドリーに接してくれた。


「――おんや? その包帯どうしたか?」

「えっ!? あ、これは……。」

「私が飼ってる子が、環さんとじゃれている時に噛んでしまったんです。予防接種はしているんですが、念の為に病院で診てもらったんですよ。」

「ほぉ、アンタは犬に好かれるんなぁ。犬は人を良く見る。きっと、片岡さんの犬もアンタに惹かれたんじゃな。そうでなかったら、その程度じゃ済まないからね。」


 包帯をしていて上着を羽織れない所為で、事情を知らない人からどうしたんだと聞かれたが、随所随所で樹がフォローを入れてくれるので、環はなんとかやり過ごす事が出来た。少し離れた所の長椅子に座って一息吐いていると、智里がトレイを持ってやって来た。


「大丈夫? 包帯してるから、質問攻めされてたね。」

「しょうがないよ……。自業自得だし。」

「あ、でも、ハクちゃんがちゃんと人を見てるって言うのは当たってるよ。」

「? どう言う事?」


 疑問に思っていた。先程話しかけてきた智里の祖母が言っていた「人を見ている。」と言う言葉が引っ掛かっていた。環は、智里に危害を加えようとしていて、ハクに噛まれた。しかし、病院で診てもらうと、あんなに噛まれていたのにかすり傷程度で済んでいたのだ。頭を傾げていると、智里が隣に座ってきた。


「あのね、犬が本気で噛む時って、不安や恐怖心からだったり、縄張りを守る為だったりするんだけど、どちらかと言うとハクちゃんは仲裁に入ったんじゃないかな。」

「仲裁……?」


 反復する様に言うと、智里はニッコリと笑った後、空を見上げた。雲一つない夜空一面に、星が輝いていた。


「泣いてたり、怒ってたり……、犬は人をよく見てるから、その人がどういう気持ちなのか分かるんだよ。はじめちゃんは、優しい人だって直感だろうけど分かったから、甘噛みで済んだんだよ。あの時は流石に怖いって思ってたけど、今思えばあれ以上傷付けない様にしてくれてたよね?」

「……。」


 智里の言葉に、環は視線を彷徨わせた。本当なら、頬を叩くつもりもなかった。だが、好きな人が自分以外の男の名前を言って泣いているのに気が昂って思わず叩いてしまっていた。その後の事も、完全に気が動転してしまって、強要してしまった。智里の方をチラッと見ると、美味しそうに串焼きを食べていたが、その左頬には大きなガーゼが貼られていた。申し訳なく思った環は、その頬にそっと触れた。


「ん? 何か付いてた?」

「いや……、何でも……。痛く、ないのかな……って……。」

「んー、青くはなってたけど、ガーゼ貼ってるから触っても痛くないかな。切れてたのも口端の所をちょっとだけだし、大丈夫。」


 「大丈夫。」この言葉が、重くのし掛かった。青痣になっているなら、当然、口を動かしただけでも痛い筈。それにどうして、自身を傷付けた相手に笑って寄り添えるのか。智里が側に居られるだけで、胸が締め付けられた。


「……ねぇ、ちいちゃん……。」

「んっ? ほぅひたの?」

「あの時、言った事、本気だから……。」

「?」


 口いっぱいに入れていた肉を飲み込み、首を傾げる。環は、俯いていた顔を上げ、智里の両手を握った。


「好きだっ。本気で、好きなんだっ。勿論、傷付けた事は許されない……。でも、俺の気持ちを知って欲しいっ。」

「……はじめちゃん……。」


 優しく包み込まれた両手に、環の熱意が伝わってきた。だが、はっきりさせないといけない。智里は一息吐くと、環の目を真っ直ぐ見た。


「ごめんなさい。」

「……。」

「はじめちゃんの気持ちは嬉しい。でも、私はその気持ちを受け止めれない。」

「……。」

「だから、ごめんなさい。」


 はっきりと言った後、深く頭を下げた。また、叩かれるかもしれないと頭の隅で思いはしたが、智里は環が分かってくれると信じていた。暫く沈黙が続いたが、不意に環が智里の手を離し席を立った。


「……分かっていたさ。あの男の人が来た時、ちいちゃんの身体の強張りが無くなっていったの……。」

「……うん。」

「……。」


 離れていても聞こえるくらい、鼻を啜る音が響いた。泣いている環の元へと行きたいが、ここで動いてしまったら意味が無くなると思った智里は、敢えて立ち止まった。すると、気持ちが落ち着いたのか、環が大きく深呼吸をした。


「……俺、帰るよ。皆優しいけど、あんな事しでかした手前、やっぱり居心地悪いし……。」

「そっか……。皆には、私から上手く伝えておくね。」

「ありがとう……。幸せにね……。」


 全くこちらの方を見ずに、環は部屋へと入っていった。取り残された智里は、環の後ろ姿を見送った後、話の輪の中心に居る樹の元へと走った。


「樹さん。」

「あ、智里さん。環さんは……?」

「それが、ちょっと疲れたらしくて、もう帰られました。」


 そう言うと、樹と祖母と智樹以外の他の面々は残念そうな顔をした。どうしたのかと疑問に思っていると、智里の母が身を乗り出した。


「いやだって、あんなに小さかった環君が、あんなにイケメンになってたのよ? 智里のお婿さんにーとかねぇ?」

「はぁっ!?」


 いきなり何を言い出すのかと、智里は面食らった。確かに、久し振りに会った環は、幼い頃と比べると男らしさに満ち溢れていたが、そんな風には全く思わなかった。弁解をしようとしたが、話が盛り上がり過ぎて割って入る事が出来ない。どうしようかと樹を見ると、大丈夫と言わんばかりに笑い掛けてくれた。その頼もしさに胸が熱くなっていると、いきなり肩を抱かれ引き寄せられた。


「実は私達、お付き合いさせて頂いているんです。」


 樹の声が、盛り上がっていた所に滑り込む様に響き、さっきまでの騒がしさが嘘の様にシン……と静まる。一方の智里は、いきなりのカミングアウトに、目を見開き顔が真っ赤に染まった。樹は真実を言っているだけなのに、自身の親族の前で真正面から言われると、矢張り恥ずかしさが勝る。


「い、いつ、樹、さ……!? な、なな、何で……!?」

「私は、このつもりで此処に来たんですよ。」

「……え?」


 どう言う事なのか分からず頭に疑問符を浮かべていると、回されていた手が離れ、樹が跪いた。そして、上着のポケットを探ると、智里の前に差し出された。


「前田 智里さん。私は貴女と共に歩みたい……。そう常々思っていました。一緒に居ると楽しいし、明るくなれる。なので、どうか私と結婚を前提にお付き合いして下さい。」


 その言葉と同時に、樹は手の中にある箱を開けた。そこには、シルバーリングが一つ嵌まっており、中央に智里の誕生石であるガーネットが埋め込まれ、それを挟む様に二匹の犬がデザインされていた。あまりに突然の事で思考回路が停止してしまった智里は、樹を見た。


「あ、の……、樹さん……。」

「勿論、智里さんの意思を尊重します。大事な事なので、ゆっくりで良いんで考えておいて下さい。」


 そう言われ、今度はシルバーリングを見た。ここで指輪を受け取れば、親族公認で恋人同士となる。婿がどうのと言っていたので、ダメだとは言わないだろう。だが、結婚を前提となると話は別だ。いずれは生涯を樹に捧げる事になる。今までの様に、気楽な感じとはならないだろう。智里の頭の中では、「これだけ好きなんだから、素直に受け取ってしまおう。」と言う気持ちと「学生生活だってあるんだし、未だ未だ普通の恋人同士で良いじゃない。」と言う気持ちとが攻めぎ合っていた。


「……私、は……。」


 静まり返ったこの空間に、誰かが固唾を飲む音が響いた。ドクドクと煩く鳴る心臓を抑える為、智里は一つ深呼吸をした。そして、閉じていた目を開くと、樹を見た。


「私は、樹さんの事を尊敬しています……。東京に出て来て初めて優しくして下さった方ですし、お料理がとても上手で、それを通して仲良くもなり、こうして恋人としてお付き合いする仲までなりました。」

「……。」

「……時には、相談に乗ってもらったり、助けてもらったり……。この一年を通して言えるのは、私には、樹さんが必要だと言う事なのです。だから、あの……、つまり……。」


 ――伝えたい事が沢山ある。だが、気持ちが昂り、上手く口が動いてくれない。両手から、じんわりと汗が滲んだ。智里は、なんとか気持ちを落ち着けようと、何度も呼吸を繰り返した。しかし、胸の鼓動は治るどころか更に早くなった。どうしようと、頭の中で整理し様と試みていると、不意に頭を優しく叩かれた。ふと見上げると、智樹が照れ臭そうに頬を掻いていた。


「……お前の、素直な気持ちを伝えてやりゃあ良いっしょ。」

「……兄さん。」

「智里の取り柄は、「素直さ」だからなっ。」


 智樹の言ってくれた事に、智里は勇気付けられた。ニカッと笑いながら「うんっ。」と元気よく返事をすると、樹に向き直った。


「片岡 樹さん。私も、貴方となら色々と乗り越えて行ける……。そんな気がします。なので、不束者ではありますが、どうぞ宜しくお願いします。」


 左手を差し出して頭を下げると、樹はその手を取り、箱に入っていた指輪を薬指に嵌めた。スルスルと入る感覚に、頭が沸騰してきた。そして、指の付け根で止まり手が離された瞬間に顔を上げた。左手を掲げてみると、智里の指にピッタリとフィットした指輪が外灯の灯りでキラッと光った。


「っ……。」


 自然と流れ出た涙が、頬を伝って地面に落ちた。樹を見ると、いそいそと手元を動かしている。そして、左手を見せて来た。その左手薬指には、智里と同じデザインの指輪が嵌められている。智里は感極まり、泣きながら樹に飛び付いた。


「ぐすっ……。樹さん……。」

「はい、智里さん。」

「んっ、大好き……。」

「っ!?」


 耳元で囁くと、そのまま頬に口付けた。完全に不意を突かれた樹は、智里を抱き込む形で芝生の上に尻餅を着いた。そんな二人を見て、智里の両親は静かに涙ぐみ、祖父母は微笑んでいた。そして、菅原兄妹と智樹は、どこからともなくクラッカーを取り出し、満天の星空に向かって紐を引いた。


「「「恋人公認おめでとうっ!!」」」


――本日のメニュー――

・自家栽培野菜と牛肉のバーベキュー






END


―――――――――――――――――

「冴えないサラリーマンの、冴える手料理」これにて、第ニ章完結となります。

第二章、第一章と比べると料理してない様な……(; ̄ェ ̄)

第三章からは、結婚前提でお付き合いする事が公認された二人の葛藤の中で樹達が奮闘いたしますので、こうご期待くださいませ。

 そして、評価、ブックマーク等々、ありがとうございます。とても励みになっております。

これからも、「冴えないサラリーマンの、冴える手料理」を宜しくお願い致します。

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