三十三食目 美味しくないドーナツ

「……。」


 ――智里が突然居なくなってしまってから、丸々一週間が経った。その日の内に携帯に何度か連絡を入れてみたが、「電波の届かない所か、電源を切っているか――。」ばかり。もしかしたら、忙しかったり、移動中で見れないのかもしれない。そう思い、きっと朝になれば気付いて電話でもメールでもしてくれるだろうと、たかを括っていた。だが現実には、一週間経った今でも何も連絡が無かった。携帯が震えれば直ぐ様見るが、大概、ダイレクトメール。期待しては落ち込みを繰り返した。


「――はぁ……。」

「どうした、樹ちゃん。頭からキノコが生えてるぞ。」


 昼休み。いつもなら自作弁当にありついているのだが、そんな気力も無く、デスクに突っ伏していると、見兼ねた岡元が声を掛けてきた。だが、それに応える余力さえ残っておらず、樹は適当に手を振って応えた。


「おいおい、何かあったのか? まさか、ご新規さんをお前に回したの、未だ根に持ってる……?」


 ハッとした様に言う鈴井だったが、樹は力無く手を振った。この反応の薄さに、流石に心配になった樹の周りのデスクに座っている御木本、鈴井、仲眞、そして岡元は、顔を見合わせた。何かを言う訳でもなく、四人は無言で頷き、席を立った。そして給湯室に行き、コソコソと話し合いを始めた。


「……あの反応は、あからさまに可笑しい。」

「それに、今日は未だお弁当を開けてません。」

「それな。仕事のきりが良かったら真っ先に食うのに、今日は未だだ。仕事残ってんのかと思って見てたけど、ちゃんと出来てはいた。」

「うーん……。昨日も契約を取りに行ってましたけど、何かトラブルでもあったのかな……。」

「いや、樹ちゃんは契約取るの上手いから、それは無いな。報告書も、ちゃんとしてた。」


 うんうん唸りながら、樹について話し合う。だが、何が原因なのか、さっぱり分からない。腕を組みながら頭を捻っていると、御木本の頭の中に電球が光った。


「あっ、片岡さんの彼女さんは? もしかしたら、何か知ってるかもしれませんよ?」

「おっ、なるほどっ。身近に居るから、何かしら話をしてるかもしれんなっ。」

「流石ですっ、先輩っ。」


 何かしらの道標みちしるべを見つけた四人。これで、樹が元に戻ると思った。善は急げと言わんばかりに、智里へ連絡を入れろだの騒ぎ始める。しかし、一人だけ冷静に考えていた人物が居た。そして、静かに口を開いた。


「……ちょっと待て。彼女ちゃんの連絡先知ってる人、居る?」


 漫画で言う所のベタフラが、三人の背景に走った。鈴井の一言で、現実に戻されてしまった。誰も智里の連絡先を知らない。唯一知っている樹は、あの状態なので聞き出せる筈もない。折角解決出来る糸口を見つけたのに、また振り出しに戻ってしまった。


「あーもうっ!! このままじゃ、片岡さんがキノコの苗床になっちゃいますよっ!!」

「だけど、事情が分からないので、解決策も無いです……。」

「手掛りになる筈の彼女ちゃんの連絡先は、この中じゃあ誰も知らんしなぁ……。」

「…………。」


 鈴井は、考えを巡らせた。今まで樹が落ち込んでいた原因は、間違いなく智里の事。今回もそれで間違いは無い筈。……だが、智里が絡んでいるのなら、前なら相談してきたりするのに、今回はそれが無い。話し掛けても、返事すら返さない。明らかに抱え込んでしまっている。どうにかして、聞き出すきっかけを作れないか。鈴井は頭を抱えた。その時、給湯室の扉が開いた。ギャーギャー騒いでいた三人も、静かになる。


「あら? さっきまで騒がしかったのに、静まり返ってどうしたんですか?」


 ヒョコッと顔を出したのは、田嶋だった。手には、人気のドーナツ店の箱が握られている。仲眞が、どうしたのかと聞くと、美味しそうだったから衝動買いしてしまったドーナツを各部署に配っているとの事だった。


「あ、でも、これって聞くきっかけにならないかな……?」


 田嶋からドーナツの箱を受け取った仲眞が、ポツリと呟いた。全く事情を知らない田嶋は当たり前だが、御木本達も頭に疑問符を浮かべた。


「何で、ドーナツがきっかけになるんだ?」

「あっ、いやっ、だって、作るのも食べるのも好きな片岡先輩ですから、ドーナツを渡したら何か喋ってくれるんじゃないかなぁって……。」

「ナイスアイディアっ!! よしっ、早速行ってみるぞっ!!」


 鈴井は仲眞の腕を掴むと、颯爽と給湯室から出て行った。道連れにされた仲眞の叫び声と、騒がしい靴の音が遠のいた所で、田嶋が口を開いた。


「……あのー、何かあったんですか? なんか、片岡さんがどうのって……。」

「俺等もよく分からん。まぁ、鈴井が戻ってき次第だな。」

「気長に待ちましょう。コーヒー淹れますね。」

「?」


 腕を組みながら、うんうんと頷く岡元と御木本に、更に疑問符を浮かべた田嶋だった。一方、オフィスの前まで着いた鈴井と仲眞は、扉の前で一旦、息を整えた。


「よしっ、突入するぞ。」

「は、はい……。」


 お互いに顔を見合わせて頷くと、扉を開けた。そして、鈴井と仲眞は、とびっきりの笑顔を作った。


「受け付けの田嶋さんからドーナツ貰ったから、皆で食べましょうっ。」

「一人一個ですよーっ。」


 二人が叫ぶと、室内に居た人がどんどん二人の元に飛んで来た。全部同じドーナツだったので、紙ナプキンに包んで渡していく。一人、また一人と渡していくが、一向に樹の姿が見えない。チラッとデスクを見ると、未だ突っ伏したままだった。


「――……悪いけど、後頼むわ。」

「……え? あっ、鈴井先輩っ!?」


 ドーナツを一つ掴むと、残りが入った箱を仲眞に渡した。突然の事に狼狽える仲眞を他所に、鈴井は樹の所へ向かった。


「……。」

「……。」


 だが、どう声を掛けたら良いか分からなかった。それ程までに、樹のキノコ化が進んでいたからだ。寧ろ、樹のデスクだけ腐海の森と化していた。鈴井は生唾を飲み、盛大に咳払いをした。そして、意を決して樹の肩を叩いた。


「あー……、あの、片岡……? 田嶋さんが、有名店のドーナツ買ってきてくれたから、一緒に食おうぜ?」

「……。」


 ゆっくりと顔を上げると、震える手を差し出してきた。仲眞の読み通り、ドーナツに反応したと心の中で喜んだ鈴井は、樹の手にドーナツを握らせた。樹は、暫く光の無い目でドーナツを見詰めてから一口食べた。それを見た鈴井は少し安心して、自分の椅子に座った。


「……たく、何があったか知らんが、皆心配してんだからな。後で事情を説明――……。」

「……ない。」

「……あ?」


 ポツリと呟いた言葉に、鈴井は話を切った。樹を見ると、また一口、また一口とドーナツをどんどん頬張っていた。流石に喉を詰まらせるんじゃないかと心配になった鈴井は、コンビニで買っていた未開封のお茶を開け、樹に渡そうとした。だが、樹はそれを無視して口を動かし続けた。


「……ない。美味しくない。美味しくない。美味しくない……。」


 口いっぱいにドーナツを頬張りながら呟く。本当は、名店の名に恥じない位、とても美味しい。なのに、口から出てくるのは「美味しくない」。矛盾している。そんな事は当人が一番分かっているのだが、頭がいっぱいいっぱいで、訂正する事さえ儘ならなかった。


「グスッ……、美味しく、ない……。」

「テメッ……!! いい加減にしろっ!!」


 仕舞いにはボロボロと涙を流し出した樹に、カッとなった鈴井は椅子を倒しながら立ち上がり樹の胸倉を掴んだ。樹の口の中に残っていたドーナツのカスが鈴井の顔に散るが、鈴井は気にしなかった。否、気にならない程、激情していた。ワイワイと楽し気だった仕事場が、一瞬にして静まり返った。


「ゲホッ、ゴホッ……!!」

「……何があったか知らねぇよ。お前が全然話てくれねぇからな。だけどなっ!! テメェの口から「美味しくない」ってのは聞き捨てならねぇっ!!」


 苦しそうにもがきだした所で、鈴井は手を離した。勢いよく尻餅をつく樹に、鈴井は畳み掛ける様に両頬を片手で掴んだ。そこへ、お盆を持った御木本達がやって来た。室内のどよめきに異変を感じた御木本は、呆然と立ち尽くしている仲眞の所へ詰め寄った。


「ちょっ、仲眞君っ。何があったの!?」

「あっ、そのっ、片岡先輩にドーナツを持って行った鈴井先輩が、何故か怒りだして……。」


 見遣ると、泣きじゃくっている樹を鈴井が鋭い剣幕で捲し立てていた。ピリピリと感じる殺気に似た感覚に、御木本は思わず身震いした。そしてカップを乗せたお盆を仲眞に押し付け、二人の所へ行こうとした。だが、それを岡元が片手で制した。


「岡元さんっ!! 早く行ってあげないと……!!」

「……黙って見てろ。」

「――っ!! ……。」


 樹達の方をジッと見続ける岡元に、御木本は言い返せなかった。退けようとして掴んでいた岡元の腕から手を離し、御木本も樹達を見守った。


「お前いっつも何か食うと、ヘラヘラヘラヘラ笑いながら「美味い」て言ってたじゃねぇか。なのになんだ? 「美味しくない」て……。何があった?」

「……。」


 先程までとは違い、本気で心配している鈴井の顔を見た樹は、涙ぐみながら口の中に残っているドーナツを飲み込んだ。言ってしまえば気持ちが楽になるかもしれない。だが、鈴井や他の人に話して、かえって迷惑にならないか心配。その二つの気持ちが渦巻いていた。考えれば考える程、気持ちが揺らぐ。樹は、その歯痒さに下唇を噛み締めた。


「……たくっ、しょうがねぇ奴だな。」


 痺れを切らした鈴井は樹の両頬から手を離し、代わりに腕を掴んで立たせた。呆気に取られていると、鈴井が誇らし気に胸を張り、自身に親指を立てた。


「この鈴井さんがっ聞いてやるんだぞっ。絶対に解決してやるに決まってるだろうがっ。」


 自信満々に言う鈴井に、樹は勿論、他の従業員までもの視線を集めた。そう言えばと、樹は思い出した。何かしら悩み事があった時、よく相談したのは鈴井だった。自身から相談した訳では無いが、樹が悩んでいると一番に話し掛けてくれていた。ただの同期なだけなのに――……。


「……どうして、鈴井さんは……。」

「?」

「俺に、寄り添ってくれるんですかっ……。」


 涙腺の我慢の限界を迎え、ボロボロと大粒の涙を流しながら、鈴井の肩を拳で弱く叩いた。樹の意外な行動に一瞬キョトンとしたが、直ぐに白い歯を見せながら意地悪そうに笑った。


「そりゃあお前、同期だからに決まってんだろ。」


 泣きじゃくる樹の頭を抱え込み、泣き止むまで背中をさすった。そこへ、感極まって泣いている御木本も加わり、三人で互いの頭を撫でて慰めあった。周りの従業員はと言うと、三人の友情に似た感情から泣く者も居れば、安堵のため息を吐く者、拍手を贈る者と多種多様だったとか――。兎にも角にも、漸く張り詰めていた雰囲気が解けた。


「――……さぁ、何があったか、洗いざらい話せよ。片岡。」

「……はい。」


――本日のメニュー―

・ドーナツ(市販)





END

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