三十二食目 変幻自在の飴細工(後)


「えっと、ご新規様との話し合いがある場合、何時に終わるか分からないので、そのまま直帰となります。」

「つまり、フリーって事ね?」

「え、あ、はぁ。そうなります、ね。」


 天宮の問い掛けに、歯切れの悪い返答をする樹。何故なら、今朝出勤する直前に、智里から「帰ってきたら、お話したい事がある」と言われたのだ。また何か相談事があるのかもしれないと思い、早めに帰宅したかったのだ。だが、これは未確定な上、個人の事情なので、仕事と挟めない。それに、腕時計を見ると、今十六時位。電車に乗って、歩いてアパートまで帰ると、定時で帰宅する時間よりだいぶ早くに着く計算になる。唸りながら考えを巡らせていると、痺れを切らした天宮が、わざとらしく大きな溜め息を吐いた。


「はぁーあっ。これじゃあらちが開かないわねっ。」


 ソファーから立ち上がり、ツカツカと踵を鳴らしながら樹の隣に来ると、いきなり樹を肩に担ぎ上げた。成人男性の平均体重より少し軽いとはいえ、六十キロある樹を軽々と持ち上げた。突然の事に放心状態になっていたが、そのまま部屋を出たので流石に焦り、足をバタバタさせた。


「えっ、あっ、ちょっと、天宮様!?」

「もうっ、たっぷり話し合いをした仲なんだから、そんな堅っ苦しい呼び方しないで、「あめちゃん」とかで良いのよ。」

「あ、あめちゃ……て、そんな事ではありませんっ!! なんで、担がれて!?」


 パニック状態の樹を無視して、そのまま一階にある店の厨房へ足を進めた。入った途端に、空気が変わった。数人の作務衣さむえを着た人が作業をしており、ピリッとした張り詰めた糸の様な空間に、樹の額から汗が流れた。


「今から、「奥」に入るわ。見たい子は、おいで。」


 天宮が静かにそう言うと、それまで手元に集中していた職人達が一斉に手を止め、天宮の方を向いた。そして、一人、また一人と静かに着いて来た。そして、重たそうな扉の前まで来ると、オートロックのキーを解除し、中に入った。


「……さぁ、始めるわよ。」


 樹を降ろし、ゴム手袋をしっかりとはめ、年季の入った木箱を開けた。使い込まれた銅鍋に、錆が全く無い和鋏わばさみ、きちんと毛先が整えられた面相筆に、赤青黄の食紅。どれも使い込まれているが、その分、しっかりと手入れされているのを見ると、とても大事にしているのが分かる。


「今日も、宜しくね……。」


 木箱を撫でながらポツリと呟くと、作業を開始した。溶けた飴を練り、丸く成形し、棒に刺し、和鋏で素早く切り込みを入れ、指で伸ばす――。道具もそうだが、飴を丁寧に扱う天宮の目は、飴に恋している様に憂いを帯びていた。


「――……出来たわ。」


 面相筆を置いた天宮の額には、大粒の汗が溢れていた。机の上には、ハートを抱いた二羽の兎が居た。一つの塊から、美しくも可愛らしい作品をものの五分で作り出すその職人技に、樹の胸が高鳴った。


「ほら、これあげる。」


 汗を拭いながら、手早く袋詰めをしたと思ったら、樹に差し出した。未だ興奮が冷めていない状態で言われたので、「へ?」と素っ頓狂な声が出てしまった。飴細工と天宮を交互に見ていると、また溜め息を吐かれた。そして、強引に手を取られ、握らされた。


「全く、こんな仕事魔が彼氏じゃあ、彼女ちゃんが可哀想だわぁ。さぁ、契約も済んだし、お土産もあげたんだから、さっさとお帰りっ。」


 裏口の方へ押しやられ、遂には閉め出されてしまった。飴細工を握り締めながら呆然としていると、扉が開き、若い男性が出てきて樹の鞄を差し出した。


「……社長は、他人の顔色見るのが鋭いっすから。……すんません。」

「あ、いえっ。そんな……。あ、鞄、ありがとうございます……。」


 鞄を受け取ると、男性は軽く頭を下げ、中に入ろうとしたその時、樹の口が開いた。


「――……っ、あっ、あのっ。天宮様にお伝え頂けますか!? 「今度は、彼女と来ます。」とっ……。」


 咄嗟に出た言葉に、男性はドアノブを握ったままキョトンとした。暫く固まった状態で無言が続いたが、男性が小さく笑ったのを皮切りに、樹の顔が一気に茹で蛸状態になった。


「……分かりました。社長には、俺から伝えておきます。」

「よ、宜しくお願いしますっ。」


 お互いに頭を下げ、漸く樹は帰路に着いた。電車に乗っている間も、歩いている間も、樹は貰った飴細工を見詰めていた。三十路になったサラリーマンが、可愛らしい飴を持っているだけで周りの注目を集めていたが、樹は全く気にしなかった。……と、言うよりも、この美しい作品を早く智里に見せてあげたい一心だった。


「――……あ、そう言えば、智里さん話しがあるって言ってたな。」


 ふと、朝に言われた事を思い出した。アパートに着き、大家からハクを受け取り、ルンルン気分で階段を上がった。そして、智里の部屋まで行くと、合鍵を差し込んだ。


「……あれ?」


 だが、鍵が回らない。何度も差し直しては回してみるが、ガチャガチャと音がするだけで回らない。どうしたのかと思い、智里の隣の部屋のチャイムを鳴らした。そして暫くして、漸く扉が開いた。


「へーい……って、片岡さんじゃないですか。どうしたんですか?」

「あ、急にすみません。あの、ちさ……前田さん、どうかされたんですか? 鍵が開かなくて……。」


 出てきた男性は、今まで寝ていたのか、ボサボサ髪を乱雑に掻きむしると、「あー……。」や「えっとー……。」等と、言葉を濁した。もしかして、何かに巻き込まれたんじゃないかと思った樹は、なかなか言い出さない男性の肩を掴んだ。その時、持っていた飴が床に落ちてしまった。


「何で言ってくれないんですか!? まさか、事故か事件に……!?」

「ちょっ、ちょっと落ち着いてっ!! 徹夜明けでさっきまで寝てて、頭痛いだけなんでっ!!」


 そう言いながら、男性は肩を掴んでいた手を振り解いた。ビックリしたが、靴箱に寄り掛かりながら頭を押さえている姿を見て、本当に具合が悪かったのだと悟り、頭を下げた。


「す、すみませんっ!! 取り乱してしまって……。」

「 ……ったく。前田さんなら、実家に帰るって言ってましたよ。何でも、お見合いがどうのって。」

「………………お見合い?」


 聞いた瞬間、落ちたままの飴細工のハートが、パキッと音を発てて割れた――。






END


―本日のメニュー―

・匠の飴細工


―追記―

樹の会社は、広告会社です。そこの営業部勤務になります。

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