三十二食目 変幻自在の飴細工(前)

 嵐のお花見の次の日。樹は会社へ電話し、午後からの出勤という事にしてもらった。智里は、午前中に授業が入っていたが、こればかりはしょうがないので、学校へ連絡を入れておき、今日は休みにしてもらった。司は元々有休を取っていたので、そのまま莉乃と遊びに出掛ける事になった。そして、大家が連絡してくれた業者が来てくれ、扉を修理してくれた。鍵も壊れてしまっていたので、新しい物を取り付けてくれた。


「……では、これにて解散という事で。」

「はいっ。ハプニングはありましたが、とても楽しかったです。」

「あ、ありがとう、ございました……。」


 お昼ご飯を済ませ、解散となった。玄関先で司達を見送り、少し遅れて樹も会社に向かい、智里は自身の部屋へ戻った――。


「――……え? 新規さんが私に、ですか?」


 樹が会社に着いて早々、向かいのデスクに座っていた御木本が、樹に伝えた。どうもその新規で契約を申し出た社長が、二十代前半で会社を立ち上げた若社長らしく、この間の歓迎会の様子を撮影していた社員がブログに写真を載せた所、その若社長の目に留まり、是非樹にと声が掛かったのだ。


「古株の方の引き継ぎは終わっていますので大丈夫ですが、何故、私なんでしょうか? 御木本さんでも、他の方でも良いと思うのですが……。」

「それが、その若社長さん、飴細工職人らしくて、同じ様に食に関して「特別な意識」を持ってる人としか仕事しないって煩くって……。」


 少しやつれた様な顔をしているのを見ると、相当こだわりが強い人物なのだろう。樹は少し考えてから、「分かりました。引き受けます。」と答えた。すると、御木本の他にも、周りの人達から歓声があがった。何故、こんなにも歓ばれるのか分からない樹は、頭に沢山の疑問符を浮かべた。


「な、なんで、こんなにも喜んでるんですか?」

「ま、まぁ、ちょっとね……。」


 言葉を濁す御木本に、更に疑問符が浮かんだ樹だった。

――そして、一週間が経ち、いよいよ若社長に初めて会う日が来た。早めに会社に入って念入りに確認しながら資料作成をし、しっかりと準備してから駅に向かい電車に乗った。時間帯もあるが、今日は珍しく人が少なく、樹は若社長の概要確認の為、鞄からファイルを取り出した。


「えっと、ご新規さんの会社は、昨年の秋頃に新宿に店を構えた「bonbon」。飴に特化した会社で、大量生産より品質を重視。社長の天宮あめみや とおるさんも、職人として働いてる、か……。」


 写真も見たが、とても若々しく、今時の若者といった感じだが、仕事風景の写真も合わせて見ると、汗を流しながらも飴と向かい合う職人の風格も見られる。


「……今時の若い人って、凄いなぁ。」


 智里の事も考えると、樹が出会った若い人達は、行動力や技術力、専門性に富んでいる気がしてならない。自分には持っていない物を沢山持っているんだと思うと、少し落ち込んだ。


「――次は、新宿。新宿。お降りの際は、足元にご注意下さい。」

「おっと、もう降りなきゃ。」


 急いでファイルを鞄にしまい、ネクタイを締め直した。新宿駅に着き、電車を降りる。腕時計で時間を確認し、予定の二十分前には会社兼店に着く計算で、ホームを出た――。


「――でさぁ、もっと売り出したいって思ってんのよぉ。」

「そ、そうですか……。」


 「bonbon」に着き、若社長と対面。その時は、全く違和感を感じず、敏腕若手社長だと思っていた。だが、談話室に通され、いざ二人っきりになった時、天宮の本性が出た。鼈甲べっこうで作られたフレームの眼鏡を掛けた途端に、男らしさから、一気に女らしくなった。身振り手振りもだが、醸し出す雰囲気からガラッと変わった。つまり、会社の人達が樹が行くと言った時に歓声を上げたのは、この変異するキャラについて行ける自信が無かったからであろう。樹は一つ咳払いをすると、眼鏡のブリッジを上げ直し、持って来ていたファイルを取り出して、天宮に手渡した。


「お話を頂いた時から、こちらの傾向を調べさせて頂き、グラフにさせて頂きました。」

「……ふぅん。」


 樹の普通の対応に少し不満があるのか、面白くなさそうにファイルを流し読みした。そして、一通り読み終えると、勢いよく机に投げ捨て、樹を見下ろした。その顔は、先程までの女々しい感じではなく、標的を目の前にしたハンターの様な鋭さがあった。


「……だけどね、この世界、統計だけじゃあダメなのよ。職人は、自分の腕が命。それを色の付いた棒や歪な五角形だけで判断されたら困るわ。」

「勿論、存じ上げています。」


 樹が持って来た資料には、今までの「bonbon」での売上や客層、どの様な品が買われているのかをグラフ化していた。開店初月は、物珍しさや少し値は張るが良品質の甲斐あって、どの数値も跳ね上がっていたが、翌月下旬頃から下り始めていた。今は横這いになっているが低く、客層が偏っている。その事は、社長である天宮がよく知っており、その事をわざわざ紙媒体に分かりやすくグラフにして提示されたのが、しゃくに障ったのだろう。今にも殴り掛かられそうな勢いで、顔を近付かされた。


「飴は、私の命。飴は、繊細さで更に輝く。それを作るのが、私の、この会社の腕なのよ。」

「……確かに、天宮様の会社は手作りが資本。それが功を成して、下がった今でもリピーターが買って下さっています。ですが、それだけでは直ぐにマンネリ化してしまいます。ですので……。」


 樹は、持って来ていた提案書を出していった。二枚ずつ程度の物をAからCまで作り、しっかりと、だが簡潔にまとめ上げた物だった。


「私共が出来る最善の策を提示させて頂きます。勿論、今回提示した物で天宮様が気に入らなければ、後日、更に提案を練って来ます。」

「……。」


 天宮は樹に顔を近付けたまま、チラリと机の上に置かれた提案書を見た。そして、もう一度、樹を見ると、小さく溜め息を吐いて椅子に座った。


「……コレ。」


 頬杖を着きながら、一つの提案書を指差した。樹は、指された物を手に取り、ニッコリと笑顔を向けた。


「……やはり、天宮様も「そうした方が良いかも」と思われていたのですね。」

「まぁね。このご時世、皆がスマホやタブレット片手に色んな情報を共有しているのなんて、仕事で厨房に篭ってても知ってるわ。だけど、私はこういったたぐいのが苦手なのよ。情報だけ握ってても、それに踊らされて、本当に良い物を見逃すのが怖いの。」

「確かに、一見すると敷居が高そうに見えるお店でも、実は中に入ってみると、柔らかい雰囲気や音楽、手に取りやすく陳列されていたりしますよね。」

「そうなのよっ!!」


 ガタンッと大きな音を発てながら、一人掛け用のソファーから天宮が勢いよく立ち上がった。


「私のお店は、完全手作りで量産型の物より少し高いんだけど、大人から子供まで楽しめる様、見た目や色合い、味にまでこだわり抜いた飴を置いているっ。なのにっ!! 新規で来て下さる人の声を聞くと、やれ高級そうだの、やれ買いにくいだのっ……。」

「人それぞれの意見ですからね。それは否めません。ですが、リピーターの方の声は、味良し、見た目良し、贈り物にも良し等と、良いご意見が多いです。」


 資料を見ながら言うと、天宮は少し落ち着きを取り戻した様で、赤面しながら一つ咳払いをすると、またソファーに座り直した。そして、背もたれに身体を預けながら腕を組むと、深く溜め息を吐いた。


「……で? 私にここまで言わせたからには、良いウェブデザイナーを紹介してくれるんでしょうね?」


 その言葉を聞くと、樹は一瞬だけニヤリと笑った。ほんの少しだけ見せた意外な顔に、天宮は身体中がゾクッとした。


「勿論です。私が推薦させて頂く者は、ウェブ関連に強く、元々デザイン会社に勤務していましたので、皆様が目を惹くHPを作ってくれるでしょう。それから、HPを作るに当たって、SNSに公式アカウントを作成するのも良いかと思います。SNSは手軽に見れますし、更新もし易く、コメントや評価、フォロワーが付けば、そこから新規のお客様へと流れます。」


 ここぞとばかりに畳み掛ける樹に、天宮は冷や汗を流した。見た目はヒョロッとしたナヨナヨ系サラリーマンかと思わせていれば、こちらが頭を下げると物の見事に化けの皮を脱いだのだ。天宮は、ゴクリと生唾を飲んだ。


「……貴方、見かけによらず、やってくれるわね。」

「私はただ、皆様のお役に立ちたいだけですよ。」


 一方は微笑みながら、もう一方は冷や汗を流し引きつった笑顔を見せながら、掛けていた眼鏡のブリッジを押し上げると、契約書にサインをした。しっかりと確認し、ファイルに挟み、重要書類用の鞄に入れて鍵を掛けた。漸く緊張の糸が緩み、一気に喉が乾いた樹は、出されていたアイスコーヒーを飲み干した。向かい側では、天宮がその姿をジッと見詰めている。流石に気付いた樹は、グラスを置くと頬を掻きながら口を開いた。


「ど、どうかされましたか?」

「……いいえ、何でもないわ。それより、貴方。この後のスケジュールは?」


 スケジュールと言われ、直様、手帳を取り出した。パラパラと急いで今日の日付のページを開いて、指でなぞりながら確認した。

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