第15件目 難聴と鈍感は似ている

 夜、俺は社宅の自室に戻り電気も付けず月明かりに照らされた煙を眺める。甘ったるい香りが部屋の中を曇らせ光をぼかす。


「ロッタ……か。」


 理想の女だ。過去の俺が考えた一人のキャラクター。その魅力はアンの身体に入って減りはしたが、色褪せない部分も多くあった。もし、彼女が昔の姿のまま現界していたらどうなっていただろう。俺は彼女の為にこの世界を敵に回して大立ち回りを……そんな訳ないか。俺は……何かを諦めてしまった。転生セラピーとは心の回復にもなるが、夢や幻想を殺す一つの手段でもある。アレを経験した人間は昇天から急転直下させられるのだ。転生から帰らせる時は患者がパニックを起こさない様に細心の注意を払う。そりゃそうだろう。あれだけの地位も名誉も実力も全て偽りだったと証明されてしまうのだから。


「……。」


 俺は無言で会社から貸与されたスマホ画面を見つめる。開いたのはダイヤル画面。そこに脳に刻まれた電話番号を入れる。


 しかし、電話は掛けない。月明かりを霞ませ天井をぼんやり照らす画面の光。俺はゆっくりと電子タバコを口に咥えファイアボタンを親指で押す。シュコーっという音をさせながら大量の甘い煙を吸い込むが……。


「ゲホッ! ゴホッ!」


 メンソールが強過ぎて思いっきりせてしまった。……何やってんだ俺は。そう思いながら涙目でスマホを掴む。


「はぁ……。」


 画面に表示されている電話番号。それは母親の電話番号だった。アドレス帳からは消してしまったというのに、記憶からは消えてくれないのだ。


 アンの父親と話をしてから妙に母さんが頭の片隅で引っ掛かる。


『トゥルルルル……。』


 何!? 指が当たってしまっていたか! 切ッ――。


「はい、もしもし。」

「……ッ。」


 聞き間違えはしない。母さんの声だ。


「もしもし?」

「ぁ……。」


 口が上手く開かない。声が震える。


「もしもーし。」

「……母さん。」

「ん? もしかして、ゆうちゃん?」

「う、うん。」

「あら! 久しぶり! 元気にしてる?」

「え、う、うん。」

「仕事は変わってないの?」

「変わってないよ。」

「ビックリしたんだよ? いきなり色々置いていってさぁ。急に働くだなんて。しかも研修で海外だもねぇ。パスポートなんていつ作ったのよ?」

「え……? 何言ってんだ……。」


 そこまで言って俺は一つの微かな可能性に気付く。そんな事があるのだろうか。


「あんたの会社、特殊な研修だからって連絡もとらせてくれないし。変な会社じゃないのよね?」

「う、うん。変な会社じゃないよ。」

「なんだっけ、テラピー? ピロティ? あの、お医者さんみたいな事やるんでしょ? 資格とか必要なんじゃないの?」


 捲し立てて質問を投げかけてくる母さん。俺の仕事については多少把握してるみたいだ。やっぱり俺の勘違いか……。


「でも、難しそうよねぇ。あんたの仕事。人の話を落ち着いて聞いてられるの?」

「流石にそこまでは……。」


 思わず笑みが溢れた。母さんの中で俺はまだ子供のままなんだ。


 ……ん?


「ね、ねぇ母さん。」

「何? 」

「俺の仕事なんだけどさ。どういう事やってるか知ってる?」

「どういう事って……話を聞いたりして心の傷を癒やすんだろ? あ、最近じゃ犬とか猫とかで癒やすんだってね? あんたんとこでやってるの?」

「……えっと、母さん。転生については……?」

「テンセイ? 一端に専門用語を使われてもわかんないよ。あ、もしかして甜菜テンサイ? 甘い物もストレスが減るって聞くねぇ。」

「な、何言って……転生だよ! 一回死んで生まれ変わる奴!」

「あぁ、そっちの転生? それがどうしたのよ?」

「……。」

「ゆうちゃん? おーい。」


 どういう事だ? 母さんが転生セラピーを知らない? 忘れてるとか……いや、俺の一回死んで生まれ変わるという話にも目立った反応は無かった。それはつまり……。


「い、いや、なんでもない。」

「あんまり難しい事言われても私にはわかんないよ。」

「そう、だよな。」

「ところであんた、月に幾ら貰ってんの?」

「え?」

「手取りでいいから教えなさいよ。」

「月によるけど……月にに、二十八とか。」

「まぁまぁね。ボーナスは?」

「あるよ。」

「へぇ、実入りの良い会社じゃない。」

「まぁ……。」

「仕送りでも送ろうかと思ったけど、大丈夫そうね。」

「だ、大丈夫だよ!」

「本当? ま、あんた昔から変に真面目だったしね。無駄遣いはしなそうだわ。そこは父親似って感じ。にしてもあんたがねぇ……。二十歳超えて嬉しそうに『なんとかッタ』とかいう居もしない彼女を説明された時は色々諦めかけてたけど……。」


 ……出来れば覚えていて欲しくなかった。


「い、言わないでよ。」

「彼女とか出来たの?」

「……いない。」

「孫の顔を見せろとまでは言わないから、後悔しない子を捕まえなさいよね。」

「わかってる。」


 シングルマザーの母さんが言うと説得力も並じゃない。一人で俺の事を大人になるまで……って俺は失敗作みたいなもんだけどな。大学も中退して引き篭もって……だからそんな俺をって思ったのに。


「もし、余裕が出来たら顔見せなさいよ。家にいなきゃ店に来ればいいわ。」

「……うん。」


 まだ店を続けてるのか。……そりゃそうだよな。母さん一人になっても仕事を辞める理由なんてないだろうし。


「これ、今度からこの番号に掛ければいい訳? あんたメッセのアカウントはどうしたのよ。」

「あ……アカウントは変えた。」

「なんでよ。まぁいいわ。それ教えなさい。あんたも仕事あるんだし毎回電話って訳にはいかないでしょ。」

「う、わかった。えっと、IDは……。」

「待って待って、いきなり言われてもメモ出来ないから。」

「あぁ、ごめん。」


 少しずつ昔の距離感を取り戻す。話を続けると魂に染み付いた関係性みたいな物は俺の声や口調となって自然に母さんを敬った。母さんは母さんで俺に急な近づき方はしない。それが俺達親子のやり方なんだろう。そう言えば母さんは昔から若い子は理解出来ないとよく言ってだから無理に干渉しようとしなかった。それが突き放している様に聞こえてあまりいい気分にはなれなかったけど、今となってはそれに共感出来るよ。アンと話していると余計にな。一回り違うだけであれだけ考え方や感じ方が異なるんだ。


 気付けば俺は昔の調子で話を続け、軽やかな心持ちで通話を終えていた。一つの疑念を残して。落ち着くために再度煙を吸う。


「……俺を転生させたのは母さんじゃ無いのか?」


 謎が口を衝いて出た。そして、その質問に応えるが如くスマホが震える。


「ん?」


 アンからのメッセだった。なんだろうか。


『ねぇ』


『こんな時間にどうした』


『返信早』


『終末暇?』


『週末なら暇だ』


『みす』

『返信早』


『暇なら買い物付き合って』


『買い物?』

『わかった』


『じゃあ11時に駅前のエイト前』


『俺が女子寮前に迎えに行く』


『(翼の生えた猫が複雑な表情で上目遣いしているスタンプ)』


『それはどういう意味だ?』


『だめ』


『何がだ』


『いいから11時前に駅前のエイト前ね』

『来たらけるから』


 ……やはりわからんな。何を買うのかと聞いてもいいのだろうか。しかし……うん。


『わかった』


 そう返すと電話が掛かってきた。アンからだ。


「もしもし。どうかしたか。」

「ベルウッド様! ベルウッド様ですね! 声に少し違和感がありますが、まさかこうやってベルウッド様のお話が聞けるだなんて!」

「ロッタか。」

「そう、ロッタがオッサンとどうしても話したいんだって。」

「なんでこんな素敵な魔法を教えてくれなかったの? これ、ベルウッド様と繋がってるのよね?」

「そうだってば。」

「……。」

「ベルウッド様! 私の声が聞こえますか!?」

「あぁ、聞こえているぞ。」

「嬉しいです! 寝る前にしとねの上でこうしてベルウッド様のお声が聞けるだなんて!」

「お、おぉ。俺もお前の声が聞けて嬉しいぞ。ロッタ。」

「あぁ! 素晴らしい! 魔法が無いなんて不便な世界だと思ってましたが、この障害は貴方様の輝きをより尊く引き立てる様です。」

「ふふっ、嬉しい事を言ってくれるではないか。」


 ロッタがこの世界に現れて俺は一つの不安に襲われていた。それは、アンが俺に幻滅しないかという事だ。俺に魔力は無く、威厳だって鼻で笑われる程度だ。収入も少なければ、顔だって多分普通である。そんな俺が前世の盛りに盛った俺と比較されたら勝ち目なんてないのだ。


 ロッタは今、アンの瞳を通して俺をどう見ているのだろう。


「お慕い申しております。」

「――ッ!?」


 不意打ちだった。自尊心が瞑れかけていた所に投げられたその言葉。俺の心は激しく掻き乱され波紋を広げる。


 溌剌というよりは湿った色気を持ち、艷やかな想いが込められた声色に聞こえた。意味は……考えるまでもない。それに前世でなら何度でも聞いた言葉だ。


「ちょっ!? ロッタ!! 私の身体で何言っ――。」

「自身の肉体が無いというのはここまでにもどかしい物なのですね……。ベルウッド様は……私の指の感触を覚えているでしょうか。」

「……覚えているとも。」


 アンの訴えを遮ってロッタが続ける。


「私は幸福です。死を乗り越えて愛する父、主人、いえ、貴方様にこうしてまた出会えたのですから……。」

「ロッタ……辛い思いさせたな……。」


 異世界転生から現実に戻す際、最も使われるのが異世界での満足した死だ。我も沢山の部下に囲まれ惜しまれながら死に、此処で目覚めたのだったな……。あの時のロッタの悲痛な顔は未だ覚えている。無理に上げた口角に止めきれていなかった涙。嗚咽で声も出ない彼女に対してどれだけ申し訳ないと思った事か。


「構いません。ベルウッド様だけでなくその御祖父様にも出会えたのですから。」

「いや、それはまぁ……そうだな。」


 例の誤解は未だ解いていない。そもそも彼女は自身のいた世界が仮想の世界、つまり幻だったと思えないのだから幾ら言っても冗談だと流されてしまう。俺が説明をしてもだ。何故なら彼女が夢の住人なのだから。この世界はバーチャル世界だったと説明されてみろ。それを信じるためには生きた年数分の全経験を嘘だったと疑わなきゃいけないんだぞ。そんなの、信じてしまうのは極僅かだし、信じれたとしてそいつの心は何処か壊れていると言える。


「……もういいでしょ、ロッタ。」

「あぁっ! もうちょっと!」

「週末にはデ、出掛けるんだから……!」

「それとこれとは別なの!」

「ダーメっ! どうせまた変な事言うんだから! ちょっとは私の身体って事考えなさいよ!」

「いいでしょ! アンもやっとベルウッド様の――。」

「ロッ――ブツッ。」


 うん? 途切れてしまった。アンが俺の……なんだったんだろうか。しかし……惚れた女から愛はどうしてこう男の心を揺さぶるんだろうな……。


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