第3件目 魔王の上に大魔王がいるという謎

「久留屋さん……! どういう事なんですか!」

「ちょっと、廊下でその話はしないで。全部私のラボで話すわ。」


 勘違いであればいいと思う。……本当に? 顔は完全に別人だったが、あの振る舞いや態度は完全にロッタと同じだった。


 ヒルデロッタ・U・ベルゼバブ。俺が転生する前からゲームの相棒としてよく使うロールキャラであり、転生後俺が初めて創造した眷属である。俺に絶対的な献身を捧げる悪魔っ娘巨乳メイドであり、その力は条件次第で生みの親である我をもしのぐ! 一対の曲がり角は我の眷属の証。普段は陶器の様な透き通った白い肌だが、本気を出せばその溢れんばかりの魔力により肌青く変色し、目も黄金色に輝く。反面我には極端に甘く。我に褒められる事を至上の悦びとして………………。


 とにかく、転生していた時のお気に入りヒロインと言えばわかり易いだろう。


 学生時代設定拘ったんだよなぁ……。ロッタが生きて動いたのを見た時、俺は誇張抜きで涙を流して喜んだ。理想の嫁の肌に触れられるんだぞ? オタクなら理解してくれると思う。神に出会えたのと同じなのだから。だが、神は神。この世にはいない。いないはずなのだ。それなのにさっきの彼奴アンはまるで――。


「ん゛ー! んん゛ん゛ー!」


 ラボに入ってすぐに俺の鼓膜を震わせる物騒な声。車輪付きのベッドストレッチャーの上で拘束された彼女は間違いない。万丹ゆるにあんだ。眉間に皺を寄せて此方を睨む表情からは全くロッタらしさを感じない。……でも、俺を虚仮にされて一人で敵の軍勢を蹴散らしに行った時はこんな顔をしてた気がする。


 口には銀に輝くダクトテープが貼られている。テキトーかよ。騒いでいる理由は拘束されてるからでいいんだよな? ってかコイツはロッタなのか? アンなのか?


「もう一度聞くけど、彼女との接点は無いのよね?」

「……万丹ゆるにあんという少女とは無いです。でも……。」

「貴方のロールネームを口にしていた。」

「はい。」


 ロールネームとは俺達社員が使っているコードネームとは別の実際に転生時使用していた名前だ。本名を使う患者も多いが俺は……まぁ、独自の名前を使用していたんだ。だからこそ知る人は少ない。よく弄られるリーンウッドだって俺が口を滑らせただけで、ベルゼバブの部分は久留屋さんを含めた少数の担当者しか知らないはず。それなのにこの少女はその名で俺を呼んだ。


「少し説明するわね。彼女、万丹ゆるにあんは患者なのだけれど、その設定はこう。あ、これも他言無用よ。個人情報だもの。」

「はい。」

「彼女は異世界に転移し忘れられたいにしえの魔王に憑かれるの。そして、その魔王の力を借りて……まぁ、好き勝手するって感じよ。」

「……はぁ。よくある設定ではありますね。」

「で、その魔王の名前が……ヒルデロッタ。」

「何!? ロッタだと!?」


 俺はアンの顔をまじまじと見る。


 こいつの中にロッタが……?


「……いやいやいやいや。そんなまさか。だって憑くって言っても設定ですよね? ロッタだって……ってか俺が殴られた理由がよくわかんないんですけど!」

「彼女十八歳よ? それが知りもしないオジサンに抱きつこうとしたら拒絶するに決まってるじゃない?」

「はぁ!? え? コイツはアンなんですか? ロッタなんですか?」

「どちらでもあるわ。二重人格よ。今は――。」

「リーンウッド様ァ! 先程は! 先程は大変な無礼を働き申し訳ございません! わたくし、この責を以って自害したく思いま……っざけんじゃないわよロッテ! いきなり知らんオッサンに抱きつこうとするし、私の身体っての忘れてるでしょ! いつもの毅然とした貴方は何処行っちゃった訳!?」

「おおぅ……。」


 ダクトテープが下顎だけ外れたらしい。鼻の下に幾何学的形状の銀髭を生やしてる様な姿のまま一人で口喧嘩をするアン。まるでホラー映画の様だ。泣いたかと思えば怒り、悔しそうに顎先に皺を寄せたかと思えば眉間に深い皺を刻む。


「こういう状況よ。」

「こういうって……。」

「転生時のデータっていうのは張りぼてでね。違和感が生じそうな部分を脳が補完するの。夢の中で夢と気付かない様に世界が動く。だからこんな事はありえないはずなのよ。人工知能どころか人工意識レベルの人格が形成される事なんて言うのはね。でも、貴方は一つの命を創造するレベルで一人の仮想的人間を思い描けていた。それは勿論ウチのシステムのサポートあっての事だけれど、それでも想定外の動きをしたのよ。」

「想定外……。」

「例え夫婦でさえここまで一人の人間について考えたりしないわ。異常よ。それが彼女に自由を与えてしまったの。まさかセラピーのアセットデータに潜り込んでパターンを偽装するなんて……。完全に生きた何かよ彼女。」

「ロッタの事ですよね……?」

「えぇ。」


 何とも言えない気持ちになりながらも実感が少しずつ湧いてくる。神が顕現したという喜びを伴って。


「オッサン。あんたロッタの何なの?」

「アン! 貴方とは言えこれ以上のリーンウッド様への無礼は許せないわ!」

「ロッテは黙ってて! ってかどう見てもリーンウッドってツラじゃないでしょ! どっちかと言えば鈴木っぽい!」

「くくっ……。」

「久留屋さん? 今笑いました?」

「笑ってないわ。」

「その姿は仮の姿よ! 元はもっとキリッとしていて少しあどけなさの残る御顔だったわ。でも、今のその御姿も素敵です! 流石リーンウッド様……ただ姿を変えるだけでなくこれ程威厳のある姿になられるなんて……! しかし、その御姿ではまだまだオーラが隠しきれておりません! お考え直しを!」

「ふっ……!」

「久留屋さん?」

「しょ・う・き・に・戻りなさい! この阿呆ロッタ!」

「親であり師である方を尊ぶのの何が問題だと言うのよ!」

「……親? 師?」


 収拾がつかなくなりかけた所でアンが止まる。


「え、オッサンってもしかしてロッタがいつも私に話してくる大魔王なの?」

「そうよ! この方こそ殲鏖せんじんの大魔王! リーンウッド・U・ベルゼバブその御人!!」

「せんじんってどう書くのよ。」

殲鏖せんじんは殲滅の殲に……。」

「や、やめよ! 呼び名等飾りに過ぎぬ……!」

「はっ! マイロード!」

「マイロード!」


 愕然とした顔を即座に両手で塞いだアンはこれ以上無いのではという悲哀に満ちた声で復唱する。


「ぶふぅっ!! ゴホッ! ゲホッ!!」

「久留屋さん!?」


 まず、異世界というのは転生者の都合により殆どが日本語が公用語である。だが、それをほぼ違和感無く受け止めた転生者は何も考えず漢字で色々それらしい二つ名や技名を考えていたりするのだ。そして、殲鏖せんじんは我の造語である。なんかもう、死にたい。


「……と、とにかく、彼女はまだセラピーを終えていないの。でも、この状況では戻す事が出来ないのよ。」

「頭の中のロッタをなんかパッペー君みたいなのに入れるとか出来ないんですか?」

「まだそこまでの技術は開発されていないわ。この事象だって論文に纏めれば大変な事になるくらいの出来事よ。ただ、実証出来ればだけどね。」

「貴様ァ! 先程から聞いていればリーンウッド様に馴れ馴れし過ぎるわね! リーンウッド様も何故その様な態度でこの様なゴミに接するんですか! くぅっ! なんでこの世界では魔法が使えないのっ!」

「ロッタ、これには我なりの思惑がある。黙って見ているが良い。」

「はっ! マイロード!」

「マイロード!!」

「ッ……ふ……。」


 再び顔を塞ぐアン。そして、どう見ても笑いを堪えている久留屋さん。これ羞恥手当とか出ないんだろうか。請求したい。可能な限り多額で請求したい。


「アンもリーンウッド様の素晴らしさに気付いた様ね!」

「違わい! 自分の身体を使って恥ずかし過ぎる事をされて死にたくなってんだよ! っつか離せえええ!!」

「…………。」


 俺も死にたい。


「それで、話を戻すんだけど……このままでは色々問題があるの。副産物としてこういう事象があった訳だけれど、再現性が無ければただの事故。そして、治療も出来ない。家族には契約書を書いて頂いてるからその辺りは問題無いと思うのだけれど、やっぱり人格はどうにかして分離させなきゃでしょ? だから、弊社としてはロッタっていう人格の分離、出来なきゃ消去したいのよ。」

「なッ……消去?」

「駄目!!」


 今迄とは明らかに違う声色で叫んだのはロッタではない。アンだった。


「ロッタを消すなんて許さない! それだけは絶対嫌!」

「……出来なきゃって話よ。」

「出来なくても嫌! 別に向こうではこれでも問題なかった! さっきは暴走したけど、あんな事滅多に無いし!」

「あのねぇ。一応不祥事なのよ、これ。二重人格者なんて今時珍しくは無いけれど、そのロッタって人格の元を探られたらどうしてもウチが出てしまうの。それを放置するのは困るのよ。」

「そ、それは少し横暴じゃないですかね。」


 自然に俺は口を挟んでいた。


「ロッタが他の患者の治療に影響を与えたのは想定外とは言え、責任が生じないかと言えば別問題かと思います。」

「……。」


 久留屋さんの鋭い目。それは俺にとって苦手な光である。それでも俺は言葉を続けた。


「アン……でいいか。君はロッタと居たいんだよな? 知ってるか? 誰かとずっと一緒に暮らすっていうのは……例え親であろうと苦痛な事が多い。親ですらトイレや風呂の時くらいは離れてるもんだ。でも、そんな時もロッタは一緒にいて、それから、どれくらいかわからないけど旅をしてきたんだろう。それを今後も続けていきたいって言うんだな? 例え君に好きな人が出来て、その人と……その、えっちな事だってするかもしれない。だろ? でも、その時だって一緒だ。それに堪えられるか?」

「……うん。」

「どうあっても、例え喧嘩をしても最後には一緒にいたいって思えるか?」

「そうだって言ってるの! だって私とロッタは……親友だから!」

「……久留屋さん。彼女、セラピー工程を終えましょう。」

「何を言っているの?」

「ウチで働いて貰うんですよ。面倒は俺が見ます。」

「……どういう事?」

「リーンウッド様の元で……!」

「ロッタ、まだだ。もうしばし待て。」

「はっ。」


 視線を俺から逸らし宙を見つめて何かを考える久留屋さん。


「研究への全面協力と、絶対的な黙秘を継続する事で期限を伸ばす事なら出来るかもしれないわね。」

「それって協力すればロッタを消さないでくれるって事?」

「そうとも言えるかもね。期限付きだけど。」

「……! します! 協力!」

「なら、早速その手続をしなくてはね。親御さんとのコンタクトとかも……まぁそれは私が決める事ではないわね。」

「ありがとうございます!」

「私は提案しか出来ないわ。それが許可されるかはこれから次第よ。」

「そう、なんですか……ってロッタはなんで消える事について何も言わないの!?」

わたくしが消える訳ないわ。こうして次元を超えてリーンウッド様の元に来られた私に不可能なんてある訳ないもの。」

「……そうだな。」


 ロッタの根拠の無い自信に何故か同意してしまう。


 だが、俺もそうであって欲しいと心の底から思った。

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