20

 正直、練習をサボろうかとも思った。


 昨夜の件もあって、両親も「今日は休んだら?」と言ってくれたけれど、明日は試合を控えており、なにより、家にひとりで居るのが少しだけ怖かったのだ。


 明日に備え、練習は軽めで終わった。「試合の前日は、少し物足りないくらいが丁度良い」のだと、練習後のミーティング中に顧問の西山は言った。


 皆が心配していた中川は、今日は練習に来ていた。実は両親も交えて、裏で西山と話をしていたらしく、(受験生ということもあって)中川はグラウンド10週の罰則のみで済んだ。


「迷惑かけてごめんなさい」


 練習前に中川がそう言った。しかし、彼はしおれている訳でもなく、むしろ明日の試合に向けてやる気満々といった様子だった。熱くても憎めない西山の言葉にも助けられたのだろう。


 今日も猛暑の真夏日だった。頭上をとんびが通りすぎていく。


「実はお化けの正体が分かったんだ」

「え!?」


 下級生たちが試合の準備に勤しむ中で、スパイクを丁寧に磨くしょうちゃんの隣に、圭司は座った。


「全部俺がやった……のかもしれない」

「ど、どういうこと?」

「俺も中川と一緒だよ。引っ越しして、父さんと母さんに――」


 その時、圭司の言葉を遮って、しょうちゃんが肩を掴んだ。


「圭ちゃん、お化けなになっちゃったの!?」


 目を大きく見開いて、真剣に見つめてくるしょうちゃん。突然のことに、圭司は可笑しくなって笑ってしまった。

 周りのチームメイトたちもこちらに注目する。


「違う違う。俺は殺されてもないし、お化けでもないよ」

「良かったぁ。てっきり、僕もお化けが見えるようになったかと思ったよ……」


 圭司は今度こそ声を出して笑った。

 いつも通りのに、チームメイトたちは何事もなかったかのように再び手を動かし始めた。


「じゃあ、殺されそうになっているとか?」


 お父さんとお母さんに、としょうちゃんは小声でそう言った。圭司は少しだけ、ほんの少しだけ考えた後、頭を横にふった。


「ううん。大丈夫」

「本当に? 何かあったら相談してね」


 きっと本心で心配してくれてるのだろう。

 お化けからメッセージがあったことは、実はまだ両親には話してなかった。なのに、しょうちゃんには打ち明けることができたのだ。それは彼が親友で、良いヤツで、聞き上手だからだろう。両親にとっては笑い話で済んでしまうことも、しょうちゃんは真面目に聞いてくれるから。


 圭司は「ありがとう」と言ってから、カッコつけた口調で、こう付け加えた。

 

「それに、お化けなんていないんだよ」



 サニーハイムにはバスで帰って来た。

 居間にはしっかり分別されたゴミ袋があり、キッチンには「お供え用、食べるな」とメモが貼ってあるお菓子があった。


 今日も一人きりのサニーハイム。しかし、昨夜のことなど嘘みたいに圭司の心は軽くなっていた。


 特に夏休みの部活後は、体は疲れてるはずなのに妙に清々しい気持ちになる。解放感とでも言うのだろうか、自由なこのひとときが、圭司には心地よくて久しぶりな気がした。


 それは、しょうちゃんと話ができて、中川も無事に復帰して、なによりお化けの正体にもようやく受け入れるようになってきたからだろう。


 中川は前に進んでいた。自分も進まなくて、と。

 母と祖母が倒れたのも、それぞれ過労と痴呆が原因だったことくらい、今では素直すぎるくらい頷ける。


「ふぅー……」


 深呼吸をひとつ。

 冷房を着けないで窓を開けた。すると、ちょうど心地の良い風が、清々しくも暖かな光と一緒に流れ込んできた。


 圭司は滑り台を降りた。そのおかげで、自分の悩みがどれほどちっぽけだったのか気がついたのだ。

 なんだ呆気ない。意外と短いじゃないか。高いとばかり思い込んでいたのに。

 圭司も前を向いた。そんな彼を祝福するかのように、光を浴びた真っ白なカーテンレースが揺れる。


 しかし、忘れることなかれ。光あるところには必ず影がある。

 鬼とはおぬ――姿の無い厄災。

 暗闇にひっそりと息を潜め、角と牙を隠しては日常に紛れ、いつも我々の後ろ首を狙っているのだ。


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