11

 アパートに着くと、順子はいつも通りパートに出掛けていった。


 今日は祖母の家ではなく、サニーハイムに帰って来たのだが、家の中が少しおかしい。浦島太郎ではないけれど、母も少しやつれた顔をしていて、居間にはゴミが散らかっていたりした。


 今回のは、きっと大戦だったのだろう。


 圭司は、そんな戦の傷痕を引きずる母を見送ると、「いなくて良かった」と一言こぼしてから、自室に向かった。


 窓が閉まっていて、ムワリとした粘っこい熱気が襲う。この家には圭司一人だけ。冷房の効く居間でも良かったのだけれど、現場である自室が聖域のように思えてしまい、結局は暑さを我慢することにしたのだ。


 窓を開けると、気持ちの良い風が入ってきた。けれども、やっぱり夏は暑かった。

 汗拭きのタオルを首に巻き、ノートをあける。


――ぼくはころされた


 まだたしかな手応えはないけれど、まるで魔王に挑む前の心持ちで、彼は鉛筆を持った。そして――


「誰に殺されたの?」


 と書いた。

 お化けの文字のすぐ下に。


 蝉の大合唱がうるさい。

 しかし、今かいまかと「お化け」からの返事を待っていたけれど、いくら経っても何も書かれやしない。

 見ているからか? と、居間にジュースを取りに行って帰ってきても変わらず。

 

 これもハズレ……いや、きっと返事はくる!


 圭司は、時に見つめ、時に立ち上がり、時にパソコンでお化けの「交流」について調べながら、返事を待った。


 やがて、ひぐらしの寂しい声が聞こえるようになった。大きな音をたてる農作業用のトラクターが、アパートの前の小道をゆっくりと通りすぎていく。


 間違えた――?

 ノートを見つめている時間より、パソコンの前にいる時間のほうが長くなってきた。

 塩が要る要らない。人形が要る要らない。はたまた深夜2時じゃないとダメだったり、日中でもカーテンを閉めれば良いと、ネットには体ひとつじゃ到底出来ないことばかり。


 きっと、中にお化けが隠れているであろう部屋は見つけた。しかし、その扉は固く閉ざされ、居留守かと思わせるくらい反応はない。

 何度、その扉をノックしたことか。

 日は傾いた。東側に窓がある圭司の部屋には、どっぷりと濃い宵闇が落ちる。


 圭司は半ばあきらめかけていた。ノックを止め、夕飯を食べようかとキッチンへ向かおうと立ち上がりかけたその時――圭司のスマホが鳴った。


 机の端に置いていたからか、振動で落っこちてしまった。慌てて拾い上げて画面を見ると、どこかで見たことあるような知らない番号からだ。


 まさか、お化けから?


 期待と不安の波が満ちたり引いたり。そして、通話ボタンを押した。


「……もしもし?」

「もしもし! 圭司か!?」


 それは父からの電話だった。


「う、うん。どうしたの……?」


 波が一気に引いていく。しかし、それはやがて来る大波のためであった。


「母さんが倒れた。父さんは病院に向かうから、お前も来なさい」


 それだけ言うと、父の智則は順子が運ばれた病院の場所を告げ、慌てて電話を切った。


 引いた波は期待だけを綺麗さっぱり置いてきて、不安の大津波となった。圭司の心に押し寄せ、満ちる。


 ひぐらしの鳴き声もトラクターの音ももう聞こえない。

 机の上に広げてあった数学の宿題のノートには、お化けからの返事はまだなかった。

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