第19話



 水族館の中をある程度散策した後、僕と彼女は近くのフードコートに来ていた。時刻は昼時で、見渡す限り客で埋め尽くされていた。


「私はテイクアウトでも良いよ?」

「いえ、折角なので」


 彼女はそう言ってくれたが、僕は断る。せっかくここまで来て、しぶしぶ帰るのは何だか負け犬みたいで嫌だった。

 そんな僕の様子を見て、何かを理解したのか彼女はクスクスと笑う。


 気恥ずかしくなって僕は、先を急いだ。



 少し探すと案外簡単に席は見つかった。2人用の相席に腰かけて、先に彼女を促す。


「僕は待ってるので、先にどうぞ」

「ありがとう。それじゃあお願いね」


 そう言って、彼女は喧噪の中に包まれていった。

 その姿を見送ってから、僕は独り嘆息する。突発的に始まったデートは、思わぬ形で進展しているように感じられる。


 けれどそれが、果たして良いことだけなのか、僕にはわからなかった。彼女がどうして僕に優しくしてくれるのか、分からない。

 そもそも、彼女といつ出会ったのかすら、薄情な僕は忘れてしまっているのだ。


 それと同時に、僕の頭が小さく痛んだ。チクリとした痛みに思わず呻くと、周囲の笑い声は酷く不愉快に感じた。


(楽しまないと……)


 せっかくのデートを、こんな気分で終わらせてはならない。そんな思いを盾にして、僕は胸の奥のモヤモヤを消した。

 

「ありがとう、待たせちゃったね」


 少し経つと、彼女が帰ってきた。僕を見ても特に何も無いところを見るに、恐らく普通なのだろうと安堵する。


「それじゃあ、次は僕が」

「行ってらっしゃい」


 彼女に見送られながら、僕もまた、喧噪の中へと入り込んでいった。




 さて質問だが。彼女とデートしている時の昼食とはどうしたら良いのだろうか。好みの物を頼むのであれば丼ぶり系を頼みたいところだけれど、それだと引かれるかもしれない。

 だったらどんな物だと好まれるのかと問われれば今それを考えている所だ、と返そう。


 本当に、こんな些細な事でも悩むくらいに僕は出掛け慣れしていない。

 悲しきかな。結局、散々悩みに悩んだ末、やっぱり最初の丼ぶりへと帰ってきた。麺類は服に染みが付くかもしれないし、食べ方に拘る人もいるみたいだったから。


(あ、バーガー……)


 お馴染みのMマークをデカデカと記した看板を見て、後悔する。けれど買ってしまったものはしょうがなく、止むなく僕は彼女の元へと戻ってきた。


「ありがとうございました」

「大丈夫……へぇ、親子丼?」

「はい、せっかくなので家で食べない物を」


 そう言いながら彼女のトレイを見ると、そこには小さめのハンバーガーがちょこんと乗っていた。


(……)


 何となく気恥ずかしい気分になったので、八つ当たりのように丼ぶりを食べ進める。その姿を彼女がニコニコしながら見てくるのが恥ずかしかった。


 会話は無かったが、互いに問題無い性格だったので、つつがなく食事は終わった。


 そういえば、このフードコートではどの店で注文しても会計は一か所で行うことになっているのを思い出した。

 彼女も僕も食べ終えていたので、先に終わらせようと口を開きかけた時――。


「それじゃあ、会計済ませてくるね」

「え、いやいや、僕が行きますよ」

「大丈夫、ここは任せてくれない?」

「デートに誘ったのは僕ですよ、僕が払います」


 どうやら彼女も僕と同じ結論に至ったらしい。席を立とうとする彼女を押し留めながら、交渉に臨む。

 引かない僕を見て、彼女は溜息と共に微笑を浮かべた。


「なら、貴方が払うけど、貴方は私の言うことを一つ聞く、っていうのはどう?」

「……わかりました」


 誘った側として、払わせる訳にはいかないと、悪魔の要求を渋々飲む。ここで「じゃあ私が払うわね」と言わない辺り、やっぱり彼女は優しい。

 その優しさを要求の内容に反映させて命令してくれると助かるのだけれど。


「さて、じゃあ私はもう少し待つね。宜しく」

「はい」


 ニコリと笑みを浮かべて言う彼女に、僕はそれだけ返して席を立った。


 もしかして、彼女は僕が払うと見越して安いバーガーを?

 一瞬、そんな考えが脳裏に浮かんで、すぐに掻き消した。そんな僕に配慮し過ぎたこと、彼女がするとは言い切れなかったからだ。


(簡単な要求だと良いんですけどね……)


 そんな事を思いつつも、少しだけ期待している自分が恐ろしかった。

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